あのとき、ワタクシメは事務仕事をしていた。
職場の人がほとんど外に出ていたため、フロアにいた同じ係の人は一人しかおらず。
頭上のプラスチックプレートがぎしぎしと揺れているので怖くなり、机の下にもぐろうかとしたくらいだ。
あれで、停電になっていたらパニックになっていたかもしれぬ。
そのあとも繰り返し繰り返し続いた無数の余震。
体感できるものだけで、数百はくだらなかったろう。
職場の近所に避難所が開設され。
それに携わる業務をしたり。
徒歩で近くのお風呂屋さんに通う方々を見かけたりした。
不安が続いた。それでもそんなことは言えなかった。
一番不安なのは、被災した方々なのだから。
一年が過ぎた。
一年がたってしまった。
何ができるのだろう、という自問は今もやまない。
自答の一つが「生き延びること」になった後も。
合掌。
職場の人がほとんど外に出ていたため、フロアにいた同じ係の人は一人しかおらず。
頭上のプラスチックプレートがぎしぎしと揺れているので怖くなり、机の下にもぐろうかとしたくらいだ。
あれで、停電になっていたらパニックになっていたかもしれぬ。
そのあとも繰り返し繰り返し続いた無数の余震。
体感できるものだけで、数百はくだらなかったろう。
職場の近所に避難所が開設され。
それに携わる業務をしたり。
徒歩で近くのお風呂屋さんに通う方々を見かけたりした。
不安が続いた。それでもそんなことは言えなかった。
一番不安なのは、被災した方々なのだから。
一年が過ぎた。
一年がたってしまった。
何ができるのだろう、という自問は今もやまない。
自答の一つが「生き延びること」になった後も。
合掌。