警察官不祥事:匿名や非公表の正当性を問う 警察発表実態調査から浮かぶ問題点
毎日新聞は、昨年4月から1年間の警察における匿名発表の実態を全国調査した。警察官の不祥事を「任意事件だから」などの理由で匿名(あるいは非公表)にしたり、被害者の意向がくまれなかった例を報告する。【まとめ・本橋由紀】
(1)不祥事--飲酒事故でも名前を明かさず
岩手県警が県警関係者の不祥事2件を公表していなかったことが07年11月、分かった。06年に男性警部補を同僚女性へのセクハラで戒告処分としたケースと、05年に男性事務職員を盗撮行為で書類送検し、6カ月の減給処分にしたケース。警部補は、女性が被害届を出していないため刑事事件にならず、事務職員は任意の取り調べで盗撮を認めたため逮捕しなかった。
県警は「私的行為による懲戒処分は停職以上を公表するという警察庁の指針に沿って対処した」と説明。指針では「発表基準に該当しないものでも、警察の信頼確保のため必要な場合は発表する」との規定がある。しかし「隠ぺいの意図はない。指針で対象外だからだ」との説明を繰り返した。
香川県警自動車警ら隊の巡査(23)が昨年9月、酒を飲んで乗用車を運転し当て逃げ事故を起こした。県警は道交法違反(酒酔い運転、事故不申告)容疑で書類送検した。この件では、巡査を懲戒免職処分にしたものの、県警は「身柄を取っていない」との理由で、記者が求めたにもかかわらず巡査の名前を最後まで発表しなかった。
金沢市内のアパートで07年5月、石川県警警部補(44)がナイフを腹に刺された状態で見つかった。県警は「殺人未遂事件の発生」と事件を発表。被害者を「県警本部勤務 警部補(44)」とした。発生から10日後、県警は「警部補が自分で刺したことが分かった」と発表したが、匿名だった。「軽犯罪法違反(虚偽申告)で、通常は発表していない」との理由。その後、警部補を懲戒戒告処分としたが、その際も匿名だった。
北海道警根室署員4人が任意聴取中の男性に暴行を加えた。釧路地検が昨年6月、4人を起訴猶予処分とすると発表したが、名前は明かさなかった。
(2)書類送検--公選法違反でも広報せず
昨年7月の参院選で証紙を張っていない違法ビラを配布したとして、自民党山梨県連の事務局長と幹事長の県議(その後、失職)が公職選挙法違反(文書頒布)の容疑で書類送検され、略式起訴された。2人には罰金20万円、公民権停止3年の略式命令が下った。
県警は書類送検をしたものの発表せず、甲府地検が08年3月28日、事務局長と県議の略式起訴事実と略式命令の内容についてのみ発表した。県警は「他県でも同様の事案は広報していない」と説明した。
この事件では複数の県議や事務局長の関与がうわさされていたため、各社は県警に「書類送検でも広報を」と要請していた。
青森県三沢市で07年10月、米軍三沢基地所属の米兵が起こした軽傷ひき逃げ事故を、県警三沢署が「証拠隠滅や逃亡の恐れがない」と任意で調べ、08年3月に道路交通法違反(ひき逃げ)容疑で青森地検八戸支部に書類送検した。事故自体は発表したが書類送検は伏せられた。「書類送致事件は公表していない」という理由。報道で事実が明らかになった。
昨年11月、福島市の庭坂郵便局で、元職員の男性が定額貯金約200万円を着服したことが発覚。福島署が業務上横領事件として書類送検したが発表しなかった。
地検への取材で送検が判明し、福島署に確認したところ「任意事件だから」との回答だった。
(3)被害者の希望--実名での取材に応じる人も
3月23日、茨城県土浦市のJR荒川沖駅周辺で8人が殺傷された事件で、茨城県警は被害者の氏名を発表する際、被害者の「希望」をつけた。「実名は勘弁してください」などと書かれている被害者の中には、実名で取材に応じた人もいた。
知的障害を持つ安永健太さん(当時25歳)が、佐賀市の国道を自転車で蛇行していたとして、5人の警察官に取り押さえられた直後に急死した。県警は匿名で発表。佐賀署は「遺族が名前を出さないでくれと言っている」と説明した。
ところが、遺族を取材すると「当日は、匿名を希望した。佐賀署が『バイクをけって逃げた』という説明をしたからだ」と話した。その後、安永さんが警察官に取り押さえられる最中に意識をなくしていたことが判明し、遺族は実名での報道を希望。毎日新聞も実名報道に転じた。
食卓を震撼(しんかん)させた中国産ギョーザの中毒事件(今年1月)では、千葉市で2人、市川市で5人の入院患者が出た。しかし、千葉県警は、入院した被害者の氏名を匿名で発表した。「被害者に取材が及ぶと迷惑する」「氏名を公表する事案ではない」との理由で、報道側は実名公表を求めたが対応は変わらなかった。
× ×
事件・事故が起きた時、被害者名の発表を実名・匿名のどちらにするかの判断を警察に委ねるとした項目を盛り込んだ犯罪被害者等基本計画が05年12月に閣議決定された。
その項目は「警察による被害者の実名発表、匿名発表については、犯罪被害者等の匿名発表を望む意見と、マスコミによる報道の自由、国民の知る権利を理由とする実名発表に対する要望を踏まえ、プライバシーの保護、発表することの公益性等の事情を勘案しつつ、個別具体的な案件ごとに適切な発表内容となるよう配慮していく」というものだった。これについて、政府の基本計画検討会が当時▽取材・報道の自由に規制を加えるものではない▽実名発表を求める被害者まで匿名にはしない▽警察の恣意(しい)的な判断や安易な匿名発表の拡大を認めるものではない▽匿名発表とする場合はその都度、マスコミに理由を説明し、議論に応じる--との見解を示したが、必ずしも見解が守られていない実態が浮き彫りになった。
◇隠ぺいの疑い招く--服部孝章・立教大教授(メディア法)
公人による不祥事の匿名での発表や、不祥事自体の不公表は「隠ぺいをしているのではないか」との疑いを招くもので、捜査機関への信頼確保の点からも看過できない。公人は、国民の知る権利の対象であり、懲戒処分、書類送検のいずれの場合も警察官がかかわった事件は、社会的な公益性は高く、一般私人より厳しい扱いは当然で、実名発表すべきだ。事件の被害者・遺族側の希望を理由にした匿名発表についても警察が十分な説明をしていない疑いがある。報道機関による検証にふたをすることにつながる。
◇個人情報の混乱続く--鈴木正朝・新潟大法科大学院教授(情報法)
現在起きている個人情報の保護に名を借りた過剰反応や情報隠しは、啓発活動によって一般国民が専門家と同じように法律を解釈できれば収まるという問題ではない。そもそも法律の規定があいまいなため、解釈で解決することは無理なのだ。個人情報保護法の改正を見送った政府や国民生活審議会・個人情報保護部会の委員が力不足を認めず、保護法制全体の抜本的な見直しに及び腰なままでは、一連の「混乱」は今後も続くだろう。
(出所:毎日新聞 2008年6月16日 東京朝刊)
毎日新聞は、昨年4月から1年間の警察における匿名発表の実態を全国調査した。警察官の不祥事を「任意事件だから」などの理由で匿名(あるいは非公表)にしたり、被害者の意向がくまれなかった例を報告する。【まとめ・本橋由紀】
(1)不祥事--飲酒事故でも名前を明かさず
岩手県警が県警関係者の不祥事2件を公表していなかったことが07年11月、分かった。06年に男性警部補を同僚女性へのセクハラで戒告処分としたケースと、05年に男性事務職員を盗撮行為で書類送検し、6カ月の減給処分にしたケース。警部補は、女性が被害届を出していないため刑事事件にならず、事務職員は任意の取り調べで盗撮を認めたため逮捕しなかった。
県警は「私的行為による懲戒処分は停職以上を公表するという警察庁の指針に沿って対処した」と説明。指針では「発表基準に該当しないものでも、警察の信頼確保のため必要な場合は発表する」との規定がある。しかし「隠ぺいの意図はない。指針で対象外だからだ」との説明を繰り返した。
香川県警自動車警ら隊の巡査(23)が昨年9月、酒を飲んで乗用車を運転し当て逃げ事故を起こした。県警は道交法違反(酒酔い運転、事故不申告)容疑で書類送検した。この件では、巡査を懲戒免職処分にしたものの、県警は「身柄を取っていない」との理由で、記者が求めたにもかかわらず巡査の名前を最後まで発表しなかった。
金沢市内のアパートで07年5月、石川県警警部補(44)がナイフを腹に刺された状態で見つかった。県警は「殺人未遂事件の発生」と事件を発表。被害者を「県警本部勤務 警部補(44)」とした。発生から10日後、県警は「警部補が自分で刺したことが分かった」と発表したが、匿名だった。「軽犯罪法違反(虚偽申告)で、通常は発表していない」との理由。その後、警部補を懲戒戒告処分としたが、その際も匿名だった。
北海道警根室署員4人が任意聴取中の男性に暴行を加えた。釧路地検が昨年6月、4人を起訴猶予処分とすると発表したが、名前は明かさなかった。
(2)書類送検--公選法違反でも広報せず
昨年7月の参院選で証紙を張っていない違法ビラを配布したとして、自民党山梨県連の事務局長と幹事長の県議(その後、失職)が公職選挙法違反(文書頒布)の容疑で書類送検され、略式起訴された。2人には罰金20万円、公民権停止3年の略式命令が下った。
県警は書類送検をしたものの発表せず、甲府地検が08年3月28日、事務局長と県議の略式起訴事実と略式命令の内容についてのみ発表した。県警は「他県でも同様の事案は広報していない」と説明した。
この事件では複数の県議や事務局長の関与がうわさされていたため、各社は県警に「書類送検でも広報を」と要請していた。
青森県三沢市で07年10月、米軍三沢基地所属の米兵が起こした軽傷ひき逃げ事故を、県警三沢署が「証拠隠滅や逃亡の恐れがない」と任意で調べ、08年3月に道路交通法違反(ひき逃げ)容疑で青森地検八戸支部に書類送検した。事故自体は発表したが書類送検は伏せられた。「書類送致事件は公表していない」という理由。報道で事実が明らかになった。
昨年11月、福島市の庭坂郵便局で、元職員の男性が定額貯金約200万円を着服したことが発覚。福島署が業務上横領事件として書類送検したが発表しなかった。
地検への取材で送検が判明し、福島署に確認したところ「任意事件だから」との回答だった。
(3)被害者の希望--実名での取材に応じる人も
3月23日、茨城県土浦市のJR荒川沖駅周辺で8人が殺傷された事件で、茨城県警は被害者の氏名を発表する際、被害者の「希望」をつけた。「実名は勘弁してください」などと書かれている被害者の中には、実名で取材に応じた人もいた。
知的障害を持つ安永健太さん(当時25歳)が、佐賀市の国道を自転車で蛇行していたとして、5人の警察官に取り押さえられた直後に急死した。県警は匿名で発表。佐賀署は「遺族が名前を出さないでくれと言っている」と説明した。
ところが、遺族を取材すると「当日は、匿名を希望した。佐賀署が『バイクをけって逃げた』という説明をしたからだ」と話した。その後、安永さんが警察官に取り押さえられる最中に意識をなくしていたことが判明し、遺族は実名での報道を希望。毎日新聞も実名報道に転じた。
食卓を震撼(しんかん)させた中国産ギョーザの中毒事件(今年1月)では、千葉市で2人、市川市で5人の入院患者が出た。しかし、千葉県警は、入院した被害者の氏名を匿名で発表した。「被害者に取材が及ぶと迷惑する」「氏名を公表する事案ではない」との理由で、報道側は実名公表を求めたが対応は変わらなかった。
× ×
事件・事故が起きた時、被害者名の発表を実名・匿名のどちらにするかの判断を警察に委ねるとした項目を盛り込んだ犯罪被害者等基本計画が05年12月に閣議決定された。
その項目は「警察による被害者の実名発表、匿名発表については、犯罪被害者等の匿名発表を望む意見と、マスコミによる報道の自由、国民の知る権利を理由とする実名発表に対する要望を踏まえ、プライバシーの保護、発表することの公益性等の事情を勘案しつつ、個別具体的な案件ごとに適切な発表内容となるよう配慮していく」というものだった。これについて、政府の基本計画検討会が当時▽取材・報道の自由に規制を加えるものではない▽実名発表を求める被害者まで匿名にはしない▽警察の恣意(しい)的な判断や安易な匿名発表の拡大を認めるものではない▽匿名発表とする場合はその都度、マスコミに理由を説明し、議論に応じる--との見解を示したが、必ずしも見解が守られていない実態が浮き彫りになった。
◇隠ぺいの疑い招く--服部孝章・立教大教授(メディア法)
公人による不祥事の匿名での発表や、不祥事自体の不公表は「隠ぺいをしているのではないか」との疑いを招くもので、捜査機関への信頼確保の点からも看過できない。公人は、国民の知る権利の対象であり、懲戒処分、書類送検のいずれの場合も警察官がかかわった事件は、社会的な公益性は高く、一般私人より厳しい扱いは当然で、実名発表すべきだ。事件の被害者・遺族側の希望を理由にした匿名発表についても警察が十分な説明をしていない疑いがある。報道機関による検証にふたをすることにつながる。
◇個人情報の混乱続く--鈴木正朝・新潟大法科大学院教授(情報法)
現在起きている個人情報の保護に名を借りた過剰反応や情報隠しは、啓発活動によって一般国民が専門家と同じように法律を解釈できれば収まるという問題ではない。そもそも法律の規定があいまいなため、解釈で解決することは無理なのだ。個人情報保護法の改正を見送った政府や国民生活審議会・個人情報保護部会の委員が力不足を認めず、保護法制全体の抜本的な見直しに及び腰なままでは、一連の「混乱」は今後も続くだろう。
(出所:毎日新聞 2008年6月16日 東京朝刊)