未来を信じ、未来に生きる。

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社会規範のこと。パート2。

2006-09-30 07:08:08 | 国内教育
 質問

 国家と政府の位置付けについて共通の理解を得たことは喜ばしく思います。時の政府の施策については国民は常に監視を怠ることのないようにすべきです。これについては多分同意いただけるかと思います。

 問題は国家とは何かでありましょう。そこで愛国心が浮上してくるわけですが、誰しも愛国心を全面否定するとは思いません。その形を巡る議論かと思います。まぁ中には国なんか俺には関係ないって人もいるでしょうが、それでも、幸せな暮らしを願わない人は皆無でしょう。奉仕の精神や優しさの発露は先ず物質的な豊かさと精神的な豊かさがないとなかなか難しいものです。

 現在残念に思うのは物質的にこれほど恵まれていながら尚、社会規範が乱れてしまっていることです。これはいったい何に由来するものでしょうか?。昔は悪いことをした子供をアカの他人が叱る光景をよく目にしました。いまではまず見かけませんね。

 何故そんな時代になったんでしょう。私は「人権の過保護」に由来するものと考えざるを得ません。統制と規律に対する過剰なアレルギー反応の結果であるとは言えないでしょうか?

 拝金主義は資本主義社会の宿命でありましょう。共産主義の夢がついえたとは言え、その理想は素晴らしい面も含んでいますし、現代社会の問題点を鋭く指摘していますね。

 「一つの妖怪が欧州を歩き回っている…共産主義と言う妖怪が…」大変有名な書き出しの共産党宣言。百五十年前に書かれたものですが、この中ですでに拝金主義が指摘されています。

 「ブルジョアジーは資本を増大させ、近代の代議制国家に於いて独占的な支配力を勝ち取ったのである。支配権を握ったブルジョアジーは、封建的、牧歌的な諸関係を全て破壊し、赤裸々な金銭関係に変えた」それは今もって続いており、ま、今の日本に於いて愛国心は支那との関係に於いて邪魔になるだけなんでしょうね。

 我が国独自の社会資本主義の道を歩み続けてきた日本は、今大きな転機を迎えようとしています。これだけ世界が密接になった時代、子供達に何を教えていくべきか、慎重に考えたいものです」

 回答

①国民は時の政府への監視を怠ることのないようにすること。

  はい。もろ手を挙げて完全に同意致します。

 ②「人権の過保護」

  はい。この点も完全に同意致します。

 物質文化をいかにして社会規範化していくか、という問題提起に対して、です。

 ③拝金主義と資本主義、共産主義と社会規範の関係。

 「我が国独自の社会資本主義の道を歩み続けてきた日本は、今大きな転機を迎えようとしています。これだけ世界が密接になった時代、子供達に何を教えていくべきか、慎重に考えたいものです」

 はい。人類の未来にどういう理想を描くのか、真の国際社会とは、どのような社会なのか。どのような軌道で理想社会を実現して行くか。私たちは現在の国際社会を、どう生きるのか。哲学の根本問題だと考えます。

 そこで、拝金主義と資本主義の関係についての今現在での僕の認識を述べさせて頂きます。

 その前に、①拝金主義 ②勤労 ③遊戯 ④貨幣 ⑤資本主義 ⑥共産主義につき、僕の定義を述べます。

 ①拝金主義とは、不労所得である。

 ②勤労とは、自然を人間に役立てる目的で改造する労働を含む社会貢献である。

 ③遊戯とは、自然を人間に役立てる目的で改造する労働を含む社会貢献ではない思想と行為である。

 ④貨幣とは、諸個人の勤労能力の高低を示す指標である。

 ⑤資本主義とは、生産手段の私的所有に基づく階級社会を維持し、人権を抑圧する思想、運動、国家体制である。

 ⑥共産主義とは、生産手段の社会的所有に基づく無階級社会を実現し、貨幣を完全に廃止した社会を目指す思想、運動、国家体制である。

 そこで、拝金主義と資本主義の区別と関係です。

 区別できる点は、拝金主義は生産手段の所有関係を規定する概念ではない、という点です。

 すなわち、資本主義社会であっても、拝金主義は廃止できるわけです。拝金主義は勤労に反する遊戯による不労所得ですから、廃止することは勤労の社会貢献性を社会に完全実現することとなり、拝金主義による遊戯、すなわち個人主義は撲滅できます。

 僕が、証券取引所を含めて公営ギャンブルを批判する社会貢献的、公共的根拠はここにあります。

 次に、関係する点ですが、共に諸個人による勤労の成果を私的に所有する点です。拝金主義による不労所得が反社会的だということは述べましたから、本所得の私的所有は不当なものです。他方、諸個人による勤労の成果としての生産手段を私的に所有することも反社会的なので不当なものです。生産手段は勤労者の所有物であり、一部の勤労者の所有物ではありません。

 さて、最後に共産主義について、です。

 なるほど、生産手段の社会的所有に基づく無階級社会は正に、社会貢献的、公共的である。

 しかし、貨幣を完全に廃止する社会において、諸個人の勤労能力の高低を、いかにして表わすかという点につき問題がある。

 すなわち、諸個人の勤労能力の高低は、①先天的なもの②後天的な思考の訓練と経験の熟練③自然、社会環境という主体的な面と客観的な面の組み合わせで決まる。

 つまり、諸個人の勤労能力の高低は人間社会に普遍的な存在である。

 そうであれば、諸個人の勤労能力の高低を表わす指標である貨幣を廃止することは誤りとなる。

 こうして、拝金主義は資本主義社会の宿命であるとは言えず、資本主義社会においても廃止できるものだといえます。

 さらに、共産主義の理想の素晴らしい面とは、生産手段の社会化を目指す思想、運動、国家体制にあり、誤っている面は貨幣の廃止を目指す面、すなわち、諸個人の勤労能力の高低をいかにして表わすかの基準を消滅させていることにある、と考えます。

 以上が「物質文化をいかにして社会規範化していくか」という問題提起に対する哲学の基本となります。
コメント (4)
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