うらくつれづれ

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限定正社員制度と日本社会の変革

2013-06-14 18:25:22 | 経済

アベノミクスの第3の矢に対する失望で、株価が暴落している。アメリカのQE3終了観測とチャイナの景気減速が重なったことも運が悪かった。

規制改革は、金融緩和のように意思決定のみですぐにできるものではない。例えば農業規制には、それに依存している多くの生活者がぶら下がっている。この人達を敵に回すことは選挙前には得策ではないだろう。医療にしても同じことだ。

しかし、現状維持では、経済の低迷で、利権維持すら中・長期的には確保困難になるだろう。つまり、利権擁護の抵抗主義者は、近視眼に囚われている。国民に、いかにスムーズに苦い良薬を飲ませるか、これが政治のリーダーシップというものだろう。

この点から見ると、第3の矢には、一つの画期的な項目が含まれている。それは、限定正社員の検討だ。まだ、言葉のみで具体的内容は今後に待たなければならないが、しっかりしたものができれば、日本社会を根底から変革するものになるだろう。

限定正社員とは、地域あるいは職種に特化した正社員のことだ。その含意は、地域事業所または職種がなくなれば、解雇されるということだ。逆に、地域または職種が存続する限り正社員として雇用は継続しなければならない。

この議論が出てきた背景は、一つは雇用の流動化の促進のための解雇規制の緩和要請、もう一つは、全労働者の4割近くを占めるようになってしまった非正規労働者の待遇改善の要請だ。高度成長期に適合した日本型労働慣行は、経済の成熟とともにさび付き、大量の恵まれない労働者を生み出してしまった。その原因は、法制度的に恵まれすぎた正社員制度にある。

連合は、既得権益の擁護にやっきだ。そして、擁護のアリバイつくりの口先だけの非正規労働者支援を訴える。経済音痴の国会も5年継続雇用の非正規社員の正規化義務を法制化してしまった。しかし、法律で、雇用を生み出すことはできない。企業は、単に雇用を外国に移すだけだ。そうしなければ、企業はつぶれて、経済は衰退し、更に雇用は失われる。

実は、この限定正社員の考え方は、特異な制度ではなく、世界標準だ。逆に日本型正社員制度が特異なのだ。労働契約は、労働の対価を定めるものだ。世界標準は、労働内容を示し(job description)それに対価を支払う。労働内容を定めない日本の労働契約は、世界の不思議といってもいい。

しかも、それは不思議に留まらず、労働者の権利を侵害するものだ。労働者は、無限低に使用者の命ずるまま何でも従わなければならない。この理屈を悪用して極限まで労働者を追い詰めているのが、所謂ブラック企業だ。れっきとした大企業でも、追い出し部屋というものがある。企業内の余剰人員を座敷牢的な施設に押し込め、自ら退職を希望するよう強要するものだ。

日本の正社員は、これだけの経済的成功を達成しながら不幸だと思う。いつもあくせくし、気がやすまるときがない。有給休暇の消化率が悪いのも、サービス残業がなくならないのも、育児休業を取らないのも、すべてこの正社員制度のせいだ。(なお、正社員制度の特典を享受しながら、全く負の側面と無縁なのが、公務員だ。官公労を主力とする連合が、正社員制度を死守しようとするのは、けだし当然か。)

ことは、労働問題に限らない。女性差別、障害者差別も、その根幹は、正社員制度ある。労働内容の応じた賃金を支払う制度であれば、企業にとって義務さえ果たしてもらえば女性や障害者を拒否する理由はまったくない。しかし、無限低の仕事をさせ、なおかつ年功賃金制度を適用するとなると、女性、障害者の雇用は、経済合理性に反する。

世の差別反対論者は、差別は意識の問題だとナイーブに考えている。安倍政権の第3の矢にうたわれている女性の活用のスローガンもそうだ。保育所を設置して、女性活用の数値目標をかかげれば事足りるとする。しかし、問題の本質は、女性や障害者が対応困難な無限低労働制度にあり、これを解決することが、女性の社会進出の最大支援策だろう。

欧米社会は、日本を封建的な女性蔑視社会と考えている。そして、一部の愚かな「知識人」やマスコミが、日本の後進性を国際社会に吹聴している。しかし、それは事実に反する。糾弾すべきは、日本型労働制度であり、人々や社会の意識ではない。

(類似の問題に、外国人等の住宅賃貸差別の問題がある。日本では、借家人が過保護であり、家賃を払わなくても追い出すことが困難だ。このため、入居にあたり、資格審査が厳しくなる。また、それでも無理に追い出すためには、暴力団の力を借りるしかない。裁判官の愚かさが、差別を助長し、非合法勢力を温存する結果となっている。)

さらに、職種別に労働を整理することにより、日本社会に決定的に欠けている専門性を育成し、プロフェショナリズムに基づいた社会に変革することが可能となる。欧米では、職種毎に、専門家集団や協会が形成され、職業知識の開発と普及に努めている。

例えば、ジャーナリズムや広報。大学にも授業があり、理論を研究すると共に、実践教育が行なわれている。そして、そういう実践教育を受けないで、ニュース・キャスターや広報官になることは考えられない。日本では、これらは、すべて素人が見よう見真似でやっている。日本のマスコミがお粗末なのは、当たり前だ。広報に至っては、専門職種とすら認められていない。

より、深刻なのは情報処理技術だろう。地方自治体などでは、システムが理解できる人間が存在しない。ベンダーにおんぶに抱っこだ。情報システムは、現代の読み書きそろばんだ。読み書きそろばんが出来ない人間が、行政を行なっている。日本型労働慣行の弊害はかくも深い。

残念ながら、いまだ、限定社員制度の詳細は不明であり、従来の日本型労働慣行を支持する考えは経営者の中にも根強い。日本企業の強さは、ここから生まれたと考えている人も多い。確かに、一部幹部候補生に対しては、有用だろう。実際、年功賃金体系は、戦前は一部エリートにのみ適用されていた制度だ。間違いは、戦後すべての労働者に制度を広めたことだ。

改革の方向は、限定正社員制度を雇用の原則とすることだろう。ただし、従来型の制度も、一部の将来の管理職登用人材に対して残せばいいだろう。また、限定正社員にも、管理職登用に耐える人材は、中途から正社員に職種転換できる道を開いておくことも必要だ。そして、それを民間任せにせず、まず公務員から適用し、それを民間に広めていくべきだ。

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