うらくつれづれ

折に触れて考えたこと ごまめの歯軋りですが

死についてー麻生財務大臣発言に思うー

2013-01-31 20:29:45 | 政治・行政

死ぬのは恐ろしい。特に、自分の事として考えたときは。末期がん患者が、病院で、痛い痛いと泣きわめきながら、殺してくれと叫んでいる映像を見たときはショックだった。小生は、遺伝的にがんで死ぬ確立が高いと思っていたので、ひと事とは思えない。

個人的に一番いやな死に方は、溺れ死にだ。潜水艦が撃沈されたとき、真っ暗闇で、浸水が始まったとする。その恐怖はいかばかりか。「海猿」のヒットも、前提としての溺死の恐怖が寄与しているのだろう。もっと、すごいのは、現実に海軍で、潜水艦に乗務している兵士だろう。

昔、江藤淳という評論家がいたが、死の宣告を受け病院で手首を切って自殺した。迫りくる死の恐怖に耐え切れなかったのだろう。

死に方は、様々だ。ストレスやうつ病に負け、自ら命を絶つ人もいる。死の恐怖を超える苦しみに苛まれていた不幸な人々だ。

そうかと思えば、昨年100人のチベット人が、チャイナ政府の圧政に抗議して焼身自殺をおこなった。かれらは、国際社会からの何等かの支援を期待していたのだろうが、残念ながら犬死に終わってしまった。それに比べれば、アルジェリアで、テロリストの手にかかった人々は、チベット人よりは、恵まれている。(命は代替が利かずどの人にとっても一回限りのものなので、当人にとっては等価だということは承知の上での、話だ。)

昔の日本人は、命を落とすことに今より恐怖を抱いていなかったようだ。戦国武将は戦場で死に装束といっていい甲冑を己の美意識で飾った。江戸時代でも、なにかことを起こすには、死の覚悟がいった。忠臣蔵のように武士が覚悟を持つのは当然だが、百姓でも、直訴や一揆を起こすときには死をした。町人でも、「め組のけんか」にあるように、男女とも意地にため命をかけた。死が日常のことの場合、日常は緊張に満ちたものになるだろう。江戸時代の工芸が、明治以降世界を驚かせたのは、この緊張感とは無縁とは思えない。

死への対処は、文化にも影響をあたえた。宗教はすべからく死への対処を中心に発展してきた。平安貴族は、極楽浄土への生まれ変わりを求め、平等院など豪華な寺院を建立した。つれづれ草や方丈記、平家物語なども、死を貫にして語れない。死は文学の重要課題でもあった

事故で、命を落とす人もいる。御巣鷹山に墜落した日航機に乗客していた人には、過失はないが、高速道での不注意でなくなる人には相応の自己責任が認められる場合もある。

東京大学の駒場寮では、寮雨という現象があった。駒場寮は、長細い建物で一方の隅にしか便所がなかった。便所に辿り着くまでには、遠い部屋からは7・80メートル。夜酒盛りの最中に、この距離を移動するのは、おっくうだ。そこで、窓から建物の庇にでる。そこから用をたすのである。それを寮雨といった。その寮雨の最中に転落死した例があるそうだ。前途を期待していた親の悲しみはいかばかりか。

さて、死と本当に恐ろしいものなのか。実は、恐ろしいのは、死ではなく、断末魔の苦しみだ。それは、殺してくれと叫ぶ末期がん患者の言葉から明らかだ。断末魔の苦しみから逃れるために、死んで楽になりたいのだ。江藤淳も断末魔の苦しみの中で、自己を保持できる自信がなかったのだろう。

身体的な故障は、たとえ些細なことでも大変な苦しみを齎す。アカプルコ郊外の海岸で、屋台のスナックを食べた後、激烈な下痢になり手足も動かせないことになったことがある。数日間、ホテルのベッドに釘付けになり、せっかくの旅行がふいになったことがある。ただの下痢でも、こういう事態は発生する。あるいは、指先の小さなささくれでも、人間の行動を変化させるには、十分だ。拷問の禁止は、むべなるかなである。これが、断末魔の苦しみとなれば、どうか。残念ながら経験者の話をきくことが出来ないが、想像を絶することは確かだ。

これと似たものに、臨死体験というのがある。橘隆が、本をだしている。昏睡など臨死から生還した人にインタビューしたものだが、これによれば、臨死状態自体は、心理的には苦しくないそうだ。極楽のようなきれいな場所で、親など親族が出迎えにくる場合もあるようなことが書いてあったと記憶する。臨死状態では、脳内にエンドルフィンなどの麻薬効果のある物質が分泌され、このような状態になるそうだ。

さた、いよいよ本題だ。麻生財務大臣が、医療費抑制のため、終末期医療について、老人はさっさと死ななければならないと発言したそうだ。これに、共同通信に記者が食いつき、大臣は内閣の安全運転のため、発言を撤回したそうだ。

昨年、小生の親族がなくなった。脳溢血を起こして目が不自由になり、リハビリ中だったが、誤飲性肺炎を起こした。病院を見舞ったときには、片肺は完全につぶれ、もう片方も機能不全。口に酸素吸入マスク、栄養点滴のチューブに繋がれていた。本人は、苦しい息をしており、子供が何かを話しかけても判っているのかどうか不明。ただ、大きく呼吸して、と言うと呼吸がゆっくりになるので、何等かの意識はあるのだろう。医者は、意識は混濁して何もわからないだろうと言う。

場所は、とある大病院の危篤状態にある患者のみを集めたフロアの個室。看護婦が時々見回りに来て、手馴れた手つきで痰を吸引する。ベッドのよこでは、親族があつまり、今日の昼食をどうするかなどの雑談をしている。その風景に似たものを探すとすれば、第二次大戦中の、陸軍省だろう。ガタルカナルで、日本軍が死闘を演じていたとき、東京の陸軍省では、職員だ定時に退庁していたそうだ。

ベッドでは、人生の一大事に直面している人間がいる。かたや、同室の親族には、日常と平凡なFACT OF LIFEがある。その、超えがたい落差を、不条理というのだろう。さらに、そこにいる看護師や医師にとっては、患者の世話は、経済行為だ。その上に、行政が終末期医療のあり方を論じ、それについて政治家の揚げ足取りに専念している共同通信記者がいる。

親族は、経験のない事態に直面して医者のいうなりだ。医者は、延命は絶対の善とする常識に従い、当然のことのようにチューブをつける。医療点数も稼げる。ここに、患者の意向は反映されない。実際、その患者は、チューブを無意識にはずそうとしているかのようなしぐさをみせる。しかし、はずれかかると、看護師が付け直す。

患者は、目も見えない真っ暗な状態で、言葉も発することができない。息が苦しい。死ぬことは確実らしい。こんななかで、係累のものの冗談の高笑いが聞こえる。一刻も早くこの苦しみをなんとかして欲しい。いつまで、この苦しみが続くのだろうか。これこそ、江藤淳が耐えられなかった死の恐怖だ。

オランダでは、安楽死が認められている。一定の手続きを経ると、治療法がなく死が確実な患者で望む者に認められる。患者は、痛みをコントロールされた状態で、ゆっくりと最後の日を過ごす。そして、旅立つ心の用意が出来ると睡眠薬と筋弛緩剤を服用する。数分で、患者は永眠する。

日本でも、尊厳死運動がある。あらかじめ終末期医療について意思表示しておくのだ。しかし、日本の医療制度のなかに尊厳死医療の標準的方法はないのだろう。そして、麻生大臣が発言を撤回したように、そのための行政処置もないのだろう。

小生は、少なくとも患者は、自分の終末期医療について支配権(尊厳死か否かの選択権)をもつべきだと考える。そのための、準備を行政は整えるべきだ。そうすれば、江藤淳の悲劇は避けられただろう。その意味で、麻生大臣が発言を撤回したことは極めて遺憾だ。言葉じりはやや問題があったが、是非、この問題を再度提起していただきたい。共同通信記者の救いがたい点は、患者に対する洞察力が決定的に欠けていることだろう。

ウィキペディアによると、尊厳死に反対する人がいると言う。「生存権を脅かしかねないものとして尊厳死を警戒する立場の人もいる。森岡正博は、尊厳死を望む根底は「生産性のある人間のみが生きるに値する」という価値観だと指摘している[要出典]。 「安楽死・尊厳死法制化を阻止する会」という市民団体は、尊厳死という名のもとに、殺人や自殺幇助が一般化する可能性があると主張している。」

いやはや恐れ入る。生死は、極めて個人的な現象だ。他人にとやかく言われる筋合いはないだろう。手続きは、きちんとしなければならない。それだけのことだ。

この倒錯した論理は、どこからでてくるか。よく似た主張をする団体がある。農業保護を叫ぶ農協。しかし、かれらの訴えるのは、農協の存続であり、農家はだしに使われているにすぎない。団体、差別を解消するのではなく、存続させみんながそれを学習する必要があるという。団体存続のための主張だ。かれら差別の解消には興味がない。あるのは、自己の属する団体の永続という経済的利益だ。障碍者団体。障碍者が生まれないようにするのは、現在の障碍者が将来少数になって不利益をこうむる可能性があるから、反対という。そして、そういう倒錯の論理を「人権教育」として子供に強要しているのが日教組の教員であり、世間に対して宣伝しているのが、共同通信をはじめとするマスメディアだ。

小生は、個人の人生決定権を奪うあらゆる試みに断固反対する。これこそ人権だ。ましてや、その試みが、所属する団体の永続をはかるというくだらない理由であればなおさらだ。