2007/2/18(日) 午後 7:56
NHKの「そのとき歴史が動いた」で足利義満を取り上げていた。義満は、勘合貿易を開始するにあたり、チャイナ皇帝に臣下の礼をとった。義満の死後、チャイナ皇帝は、義満を賢明な臣下と称えたという。番組は、義満を、日本とチャイナ間の国交を回復した合理的なリーダーだという。現在の関係改善の教訓にもなるとの口ぶりであった。果たして、そうか。
国と国との関係は、対等、内政不干渉が原則でしょう。仮に、安部総理が、チャイナに臣下の礼をとり、友好関係を樹立すれば、合理的なリーダーなのであろうか。世界の笑いものになるのが落ちでしょう。
いつから、日本人は、こんな自明の理さえわからなくなったのでしょうか。人間、社会。国、この世に存在するあらゆるものは、生存意欲があるゆえに存在します。日本では、いじめ自殺に典型的に見られるように、本能的な生存本能さえ衰えているようだ。人間すらそうだから、社会、国の生存意欲が衰えるのは当然かもしれない。NHKの判断は、独立をあきらめるという、まさに国の自殺を勧めているのでしょう。しかも、日本国民の準税金でこれを運営しているのです。
世界をみてみれば、国の独立とは、どこでも、いつの時代でも最大関心事であった。独立とは自分のことを自分で決められること。歴史上、自国の独立を自力で守ることができた国は極めて少数です。多くの場合、独立をあきらめ、地域の支配的秩序形成者の支配下に入ることで安全を確保しました。
アジアでは、チャイナ皇帝を中心とする冊封体制があり、チャイナ皇帝に服属することでしか、安全を守れなかった。満州族がチャイナの最大版図を達成した清時代には、アジアで冊封体制に組み込まれなかったのは、日本とムガール帝国のみという。
日本は、海という天然の要害に守られていた。このため、幸い冊封体制から早期に脱することができた。また、この海のお陰で、歴史の大部分を外敵に襲われることなく独立して過ごすことができた。そのため、日本は世界でもまれな文明を発展させることができた。「文明の衝突」を書いたハンティントンは、日本をチャイナ文明と並ぶ世界8大文明の一つとして認めている。
日本の歴史を学べば、誰でも、その歴史発展過程がヨーロッパの歴史と相似形なのに驚く。これは、外敵に撹乱されることなく連続的に歴史的発展が行われたせいでしょう。朝鮮は、民族的には、日本と酷似してますが、チャイナ文明の辺境の位置づけを脱することはできなかった。グローバル化以前のチャイナ文明圏の歴史では、繰り返し古代的王朝が交代する「アジア的停滞」が特徴です。朝鮮併合時、日本と朝鮮の米の生産性はほぼ4倍の格差があったとされてます。商工層の発展も未熟でした。世界に冠たる日本美術・文学に対し、朝鮮芸術は民芸レベルにとどまりました。なにが、日本と朝鮮の歴史を分けたか。民族的資質ではなく、日本と朝鮮のチャイナからの独立性の差にあることは明らかでしょう。
しかし、日本がその地理的環境だけで独立を保ちえたというのは、誤りでしょう。日本でも、聖徳太子以前は、チャイナ皇帝の権威に支配の正当性をたびたび求めていました。卑弥呼や倭の五王です。しかし、7世紀いち早く冊封体制から脱し得たのは、当時の日本の指導者の卓見と勇気によるところが大でしょう。おかげで、8大文明の一角を占める世界に誇ることができる歴史が成立したのです。
このような観点からすれば、明らかに、義満の行為は、先人の伝統をけがした日本の歴史の汚点でしょう。これは、戦前の普通の日本人の常識です。なぜ、NHKは、この歴史のあたりまえの認識に到達できないのか。たぶん、戦前の思想統制に対する過剰反応があるのでしょう。
戦後、戦前の日本は全否定されました。たしかに、戦前の日本の行為には反省すべき点が多々あるのは事実でしょう。しかし、やみくもに、全否定するのは誤りです。事実に基づき評価・判断する精神をもたねばなりません。
白村江の戦いが行われた日唐戦争、元寇のような例外時を除き、日本の独立は、物理的には努力なしで達成された。そのため、独立はただで達成できるという世界の非常識が日本では常識となった。また、ただだから、そのありがたみも理解されていない。敗戦後、初めて経験した占領も、占領国が米国という史上物質的にはもっとも豊かで国家によるものだったため、被支配アレルギーは生まれなかった。(物質的には寛容だったものの、文化的には野蛮であった。)パックスアメリカーナに時代、世界の治安は米国にまかせ、ひたすら金儲けに励む。憲法第9条がちょうど都合よかった。そうして、国の独立の重要性の認識はますます薄れてしまっている。これが、NHKのような言論が平気で出てくる原因でしょう。
グローバル化がいかに進んでも、国をはなれて個人の生活は存在し得ない。仮に、中国の農民に生まれたらどういう人生を歩むことに確率が高いでしょうか。アフリカに生まれたらどうか。ベストではないでしょうが、日本人は、世界の他の地域の人より、より良い人生を歩むことができる初期確率は相当高いでしょう。
さらに、現在の支配的文明である西欧文明に接しても、ひどい劣等感にはさいなまれない。なぜなら、西欧文明の要素に対する対応物が、国内に見つかるからです。これは、有史以来の先祖の営々たる営みの集積の果実を我々が受けているからです。
国の進歩性の判断基準は、国民に与える人生選択の可能性の大きさでしょう(経済的基盤を含む)。その基準によれば、相対的にみて、日本は誇るに値する国と言えるでしょう。
かつて日本がチャイナに朝貢したときは、それなりの事情がありました。卑弥呼は、クナ国との戦争に苦戦し、魏に救援を求めました。倭の5王は、困難だった朝鮮支配の安定性を求めて朝貢しました。義満は室町幕府の国内支配の脆弱性を金で解決しようとしたのでしょう。
しかし、いま朝貢外交を繰り返そうとしている人々は、単純な私利ではないか。自由民主党にも財界にも、欲に目がくらんだ義満もどきがたくさんいます。年金福祉事業団の資産をチャイナにただ同然で売り飛ばす国会議員さえいるくらいですから。そして、利権操作により、これらミニ義満を操っているのがチャイナです。
明治維新時、日本人は、勤皇・佐幕双方とも、国の独立維持という大義では一致していました。それが、英仏の介入を防いだのですが、それは一朝一夕で達成されたものではなく、日本の歴史認識の賜でしょう。
残念ながら今の日本では、当たり前の議論が通用しない社会になってしまったようだ。NHKをい初めとする日本メディア(除サンケイ)は、かつてチャイナ政府と屈辱的な報道協定を締結し、チャイナ政府のちょうちん記事を垂れ流した。言論の自由を守った米メディアの笑いものです。NHKの番組をみていると、その輝かしい伝統が脈々と生きているのを実感します。
NHKの「そのとき歴史が動いた」で足利義満を取り上げていた。義満は、勘合貿易を開始するにあたり、チャイナ皇帝に臣下の礼をとった。義満の死後、チャイナ皇帝は、義満を賢明な臣下と称えたという。番組は、義満を、日本とチャイナ間の国交を回復した合理的なリーダーだという。現在の関係改善の教訓にもなるとの口ぶりであった。果たして、そうか。
国と国との関係は、対等、内政不干渉が原則でしょう。仮に、安部総理が、チャイナに臣下の礼をとり、友好関係を樹立すれば、合理的なリーダーなのであろうか。世界の笑いものになるのが落ちでしょう。
いつから、日本人は、こんな自明の理さえわからなくなったのでしょうか。人間、社会。国、この世に存在するあらゆるものは、生存意欲があるゆえに存在します。日本では、いじめ自殺に典型的に見られるように、本能的な生存本能さえ衰えているようだ。人間すらそうだから、社会、国の生存意欲が衰えるのは当然かもしれない。NHKの判断は、独立をあきらめるという、まさに国の自殺を勧めているのでしょう。しかも、日本国民の準税金でこれを運営しているのです。
世界をみてみれば、国の独立とは、どこでも、いつの時代でも最大関心事であった。独立とは自分のことを自分で決められること。歴史上、自国の独立を自力で守ることができた国は極めて少数です。多くの場合、独立をあきらめ、地域の支配的秩序形成者の支配下に入ることで安全を確保しました。
アジアでは、チャイナ皇帝を中心とする冊封体制があり、チャイナ皇帝に服属することでしか、安全を守れなかった。満州族がチャイナの最大版図を達成した清時代には、アジアで冊封体制に組み込まれなかったのは、日本とムガール帝国のみという。
日本は、海という天然の要害に守られていた。このため、幸い冊封体制から早期に脱することができた。また、この海のお陰で、歴史の大部分を外敵に襲われることなく独立して過ごすことができた。そのため、日本は世界でもまれな文明を発展させることができた。「文明の衝突」を書いたハンティントンは、日本をチャイナ文明と並ぶ世界8大文明の一つとして認めている。
日本の歴史を学べば、誰でも、その歴史発展過程がヨーロッパの歴史と相似形なのに驚く。これは、外敵に撹乱されることなく連続的に歴史的発展が行われたせいでしょう。朝鮮は、民族的には、日本と酷似してますが、チャイナ文明の辺境の位置づけを脱することはできなかった。グローバル化以前のチャイナ文明圏の歴史では、繰り返し古代的王朝が交代する「アジア的停滞」が特徴です。朝鮮併合時、日本と朝鮮の米の生産性はほぼ4倍の格差があったとされてます。商工層の発展も未熟でした。世界に冠たる日本美術・文学に対し、朝鮮芸術は民芸レベルにとどまりました。なにが、日本と朝鮮の歴史を分けたか。民族的資質ではなく、日本と朝鮮のチャイナからの独立性の差にあることは明らかでしょう。
しかし、日本がその地理的環境だけで独立を保ちえたというのは、誤りでしょう。日本でも、聖徳太子以前は、チャイナ皇帝の権威に支配の正当性をたびたび求めていました。卑弥呼や倭の五王です。しかし、7世紀いち早く冊封体制から脱し得たのは、当時の日本の指導者の卓見と勇気によるところが大でしょう。おかげで、8大文明の一角を占める世界に誇ることができる歴史が成立したのです。
このような観点からすれば、明らかに、義満の行為は、先人の伝統をけがした日本の歴史の汚点でしょう。これは、戦前の普通の日本人の常識です。なぜ、NHKは、この歴史のあたりまえの認識に到達できないのか。たぶん、戦前の思想統制に対する過剰反応があるのでしょう。
戦後、戦前の日本は全否定されました。たしかに、戦前の日本の行為には反省すべき点が多々あるのは事実でしょう。しかし、やみくもに、全否定するのは誤りです。事実に基づき評価・判断する精神をもたねばなりません。
白村江の戦いが行われた日唐戦争、元寇のような例外時を除き、日本の独立は、物理的には努力なしで達成された。そのため、独立はただで達成できるという世界の非常識が日本では常識となった。また、ただだから、そのありがたみも理解されていない。敗戦後、初めて経験した占領も、占領国が米国という史上物質的にはもっとも豊かで国家によるものだったため、被支配アレルギーは生まれなかった。(物質的には寛容だったものの、文化的には野蛮であった。)パックスアメリカーナに時代、世界の治安は米国にまかせ、ひたすら金儲けに励む。憲法第9条がちょうど都合よかった。そうして、国の独立の重要性の認識はますます薄れてしまっている。これが、NHKのような言論が平気で出てくる原因でしょう。
グローバル化がいかに進んでも、国をはなれて個人の生活は存在し得ない。仮に、中国の農民に生まれたらどういう人生を歩むことに確率が高いでしょうか。アフリカに生まれたらどうか。ベストではないでしょうが、日本人は、世界の他の地域の人より、より良い人生を歩むことができる初期確率は相当高いでしょう。
さらに、現在の支配的文明である西欧文明に接しても、ひどい劣等感にはさいなまれない。なぜなら、西欧文明の要素に対する対応物が、国内に見つかるからです。これは、有史以来の先祖の営々たる営みの集積の果実を我々が受けているからです。
国の進歩性の判断基準は、国民に与える人生選択の可能性の大きさでしょう(経済的基盤を含む)。その基準によれば、相対的にみて、日本は誇るに値する国と言えるでしょう。
かつて日本がチャイナに朝貢したときは、それなりの事情がありました。卑弥呼は、クナ国との戦争に苦戦し、魏に救援を求めました。倭の5王は、困難だった朝鮮支配の安定性を求めて朝貢しました。義満は室町幕府の国内支配の脆弱性を金で解決しようとしたのでしょう。
しかし、いま朝貢外交を繰り返そうとしている人々は、単純な私利ではないか。自由民主党にも財界にも、欲に目がくらんだ義満もどきがたくさんいます。年金福祉事業団の資産をチャイナにただ同然で売り飛ばす国会議員さえいるくらいですから。そして、利権操作により、これらミニ義満を操っているのがチャイナです。
明治維新時、日本人は、勤皇・佐幕双方とも、国の独立維持という大義では一致していました。それが、英仏の介入を防いだのですが、それは一朝一夕で達成されたものではなく、日本の歴史認識の賜でしょう。
残念ながら今の日本では、当たり前の議論が通用しない社会になってしまったようだ。NHKをい初めとする日本メディア(除サンケイ)は、かつてチャイナ政府と屈辱的な報道協定を締結し、チャイナ政府のちょうちん記事を垂れ流した。言論の自由を守った米メディアの笑いものです。NHKの番組をみていると、その輝かしい伝統が脈々と生きているのを実感します。