横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されてから15日で44年となるのを前に、取材に応じる母の早紀江さん。昭和52年の書き初めとして、小学6年だっためぐみさんが書いた作品を背景に掲げた=9日午後、川崎市(代表撮影)
(産経新聞)
横田めぐみさん(57)=拉致当時(13)=が北朝鮮に拉致されてから、15日で44年となった。これに先立ち、母の早紀江さん(85)が報道各社の取材に応じ、わずか13年で途切れた幸せの日々を振り返った。小学生時代のめぐみさんが精いっぱいに仕上げた作品や、早紀江さんに贈ったお土産を披露し、「希望を持って帰りを待っています」と再会への決意を語った。
「元朝の志」。新潟市立新潟小の6年生だっためぐみさんが、昭和52年の書初めとして書いたものだ。拉致されるおよそ10カ月前。「元」の部分に開いた穴が、過ぎ去った時間の長さを物語る。
「『もういいじゃない』と言っても、めぐみちゃんは何度も書き直して。ようやく『志』の字も気に入るものになった」。冬休みの課題として提出するものだったといい、早紀江さんは娘の一生懸命な様子を思い返しながら、目を細めた。
めぐみさんと過ごした日々は、昨日のように思い出される。
早紀江さんは、小さな壺のような焼き物も持参した。「『お母さんの好きな色でしょ』と言ってくれた。本当に私の好きな色で、よく知っているんだなと思った」。めぐみさんが小学校の宿泊行事で持ち帰ったお土産で、黄金色に青磁色のまだらが美しい。
めぐみさんが小学5年のころ、家族で行った山口の萩への旅行の記憶も、鮮明なままだ。宿の前にいたサルを家族で見ていたとき、幼かった弟の哲也さん(53)が「おいで」と手を出すと、突然、サルが頭の上に飛び乗り、帽子を持っていってしまった。
「哲也が『キャー』とびっくりして泣いてしまったのを、めぐみちゃんは『おかしい、おかしい』と笑い転げていた。めぐみちゃんも、萩の旅行のことはいつも思い出しているのではないかしら」
楽しくにぎやかな家族の日常は52年11月15日、突然、奪われた。
昨年は、救出運動の最前線でともに闘い続けた夫の滋さんが87歳で亡くなった。85歳の早紀江さん自身も、ふとした拍子に転んでしまうことが増えた。時間がないことを痛感する。
めぐみさんに関する情報は、北朝鮮にいるということ以外はほとんどなく、焦りは募る。それでもなお、再び抱き合う日を「希望を持って待っている」と言い切る。なぜなのか。「『どうして』という理屈ではなく、本能的に湧いてくるもの」。親としての思いがにじむ。
長く長く離れ離れになった娘に、祈りを通じて語りかける。
「家族はめぐみちゃんを愛しています。とにかく、元気でいてね」
ようは南北統一して密航者が精査されると偽物天皇家の用心棒が居なくなるので日本人の袋叩きに遭って生活できないと言うのだろうから皇室解体したらいいだけ相続の放棄をすればお咎めなしだ。後は日清製粉とかチッソの海外支社にご厄介になって生計を立てればいいだけだ。このまま密航者は居座っても山葡萄原人になるだけだ