さくらの大学ノート

さくらが日々想うことをつづります。
(旧だいがくしょくいんのたまご・ひよこ)

ウワサの業界人

2005年06月30日 | 大学について思う
いわずともがな知れた、生協の白石さん。
いろんなところで紹介されています。

私も、どこから辿り着いたのか覚えていませんが、
がんばれ、生協の白石さん!はよくチェックしています。

この他にも、ググったり、ヤフったりすると、わんさか出てきます。
直筆コメントの写真とかもいたるところでUPされていますし、
農工大の生協のHPの「一言カード」のところに、たくさんの回答が掲載されています。

白石さんは工学部の担当らしく、農学部の回答担当Iさんに
「白石さんに負けずがんばって下さい」という一言カード寄せられるほど、
盛り上がっています。

大学職員として、「こうなりたい!」というわけではありませんが、
(白石さんは生協職員ですし、)
このユーモアのセンスと、寄せられた声にきちんと回答する、という姿勢は
見習いたいと思っています。

受験生対応をしていて、私が足りないなぁと思うのが、ユーモア。
自大学の知識に関しては、かなりあるんじゃないかと、自負していますが、
(母校ですしね。もう6年目ですから当然っちゃ当然です。)
受験生の中にはガチガチに緊張して来る子もいるので、
そういうのをうまくほぐしてあげられたらいいなぁ、と思っています。

私の上司は、そういうのが抜群にうまくて、説得力もあるので、とても
魅力的で、見習うところの多い人です。
(本当に1歳しか違わないのか、といつも思う…怜)


寄せられた声に回答する、というのは、大学の姿勢として、ですね。
うちの大学にも「投書箱」なるものがあって、学内のポストと、
WEB上のメール(?)で、思うことを伝えられるしくみがあります。

…あるのですが、4月の末に送ったひとつの投書に対して、6月末現在、
全く返事が来ません!

前副学長が作ったしくみなので、副学長が変わった今、もうシステムとして
機能していないのかなぁ…とも思います。

それじゃあ意味ないっしょー!!說

確かに返事をするのは難しいだろうな、ということを書きました。
でも、それで何かが変わることを期待していたというよりは、大学側の姿勢を
見せてほしかったんですよ。

「それはムリです」の一言でいいから、何か返してほしかったというのが本音です。


それと、その寄せられた声をなぜ公表しないんだろう?と思います。

例えば、「スクールバスの本数を増やしてほしい」とか、「学食が混みすぎ」
なんていう声は、1件だけでなく、たくさんの人がいろんなところから
あげてくると思うんですが、そういう投書に関しては対個人への回答では
なく、学校の姿勢として、あるいは副学長個人の考えとして、公表すれば
いいんじゃないでしょうか?

昨年北大へ行ったとき、「学生からの声」に回答をつけて、掲示板に張られて
いるのをみて、感動しました。

うちの大学はとかく学生の声を聞かないんだよなぁ(学生としてのつぶやき)。

学生との対話って、大切だと思うんですよね。







さて、私は農工大の生協の白石さんに個人的にめっちゃ感謝しています。
なぜなら、白石さんに背中を押されて、彼に告白できたから烈

がんばれ、生協の白石さん!のエントリ、恋の相談をご参照ください。

この想いを告げることで、彼が自信をもてて、彼の魅力があがるなら、
それはとてもステキなことだ!と思って。

上の方で、「『こうなりたい!』と思うわけではない」と書きましたが、
こうして誰かの背中を押してあげられる職員にはなりたいと思っています。

やっぱりステキだわ…白石さん。

ついに私も…

2005年06月29日 | 大学について思う
萩国際大学について、書いておこうかな、と思います。

先週新聞でこの話を読んだとき、
『ワー!ついに倒産キター!』と、
2chばりの感想を思わずつぶやいてしまいました。

たまたまここが一発目だっただけで、今後このような報道が
悲しいかな、続くのではないかと思っています…。

この件に関して、私の尊敬する方はかなり辛口の
コメントを書いておられます。

昨日のある講義でも、この話題が出て、それぞれにコメントを
求められたのですが、一様に厳しいコメントが多かったですね。

・開学した年(99年は既に18歳人口が減少していた)
 (※補足:1967年開学の萩女子短大からの転換)
・立地(交通の便の悪さ)
・山口県・萩市計40億円の出資
・マーケティング(山口県の県内進学者は約20%)
・安易な留学生募集
・地方大学の戦略の甘さ


などなど。

学生が集まるかどうか、という点を見極める目が甘かったんじゃないか、
という声が多く聞かれれました。

また、18歳人口減少期に、このような立地条件で設置を認可した、
文科省の設置認可についても、疑問視する声があがりました。
萩国際大を認可したこと自体を責めるというよりは、全体として
この設置認可の流れって、いいの?という感じで。
(ちょうど講義のテーマがaccreditationとcharteringだったので)

さて、私は何を思ったか、というと、
『この大学の学生はどうしているんだろう?』ということが非常に気になり、
『近ければ見に行くのになぁ…!』ということを考えていました。

実は、昨年のこの時期に、大学開設時の虚偽新制等々で民事再生法を申請した
T大学には、行ったことがありまして…。

夜行バスにのって、朝現地につき、夕方バスで帰ってくるという
強行手段でしたが、実際に学内を見てみて、学生たちと触れ合って、
『あ、この大学、もしかしたら大丈夫かもしれない…』と感じることが出来、
とても有意義な視察となったんですね。

なぜそう感じたか、といえば、学生が元気だったから
自分の母校をつぶさないために、彼ら、彼女らは自分たちに出来ることを
精一杯がんばっていました。

ただ、その年の学生たちは1~4年まで含めて、大丈夫だと思えたのですが、
それが受験生につながるかどうかは、微妙なところかな、という印象でした。

萩国際大の場合は、その学生自体がもともと少ないですからね…。

それでも、一部で『潰さないでほしい』という声もあるようなので、
学生たちが今後どう動いていくかで、この大学の運命が少し変わっていくのでは?
と考えています。

誰か私に(金銭的に)援助してくれないかな…。









大学教育学会 in 京都

2005年06月14日 | 大学について思う
6月11日・12日に京都大学で行われた大学教育学会に参加してきました。

と言っても…

学会参加がメインなのか、京都の大学見学がメインなのかと聞かれたら、
後者だと言わざるを得ないほど、学会をサボって大学めぐりをしていました。

京都へ行くのは初めてで、ついでに大学見学を、と思っていたので、
9日の夜行バスに乗って10日の朝に京都入りし、1日大学を見て周り、
11日、12日と学会に半分参加し、13日にまた大学を見学して、
授業に間に合うよう、新幹線のぞみで帰りました。
(実家は静岡なので、新幹線といえばこだま(新幹線の各駅停車)しか
乗ったことがなく、のぞみの速さにびっくりでした!)

京都へ行くのは初めてで、たった3泊4日の滞在でしたが、
とてもいいところで、帰るころには離れるのが寂しいなぁと思っていました。
日本人としての心のふるさとなんですかね?(和物大好き!)

そうそう、京都駅で修学旅行生がキャーキャー言っていたので、何かと
思ったら、反対側のホームに「スキマスイッチ」の2人の姿が…
えぇ、あのアフロの方を見間違うはずがありません。
気さくな感じで、みんなに手を振っていたので、「いい人たちだなぁ」と
思いながら、自然に笑顔になっていました。


以下、京都での大学見学&学会参加報告です。



10日には、立命館大学に行き、アポなしで「大学行政研究・研修センター」
の専任研究員であり、次長のTさんにお話を伺うことに成功☆
3年後をめどに立ち上げられる「大学アドミニストレーション養成専門職大学院」
についてもお話を伺ってきました。

その後、同志社大学へ行き、うちの大学の創立者もそこにいたであろうチャペルに座り、
オルガンコンサートを聞き(立命館でエネルギーを使い過ぎてちょっと疲れていました)、
夕方、京都精華大学のISOの取り組みについてお話を伺いました。

その後は先生たちと合流し、京都精華大学前にある居酒屋で関西FMICSメンバー&
京都精華大学の職員の方々と交流させて頂きました。
(若くて熱い!(んでかっこいい)ステキな職員さんと知り合うことが出来ました☆)


11日は、午前中に学会のラウンドテーブルに出席し、話を聞いた後、京都大学内にある
安くてステキなレストランで食事をして、午後、京都産業大学のキャンパスツアーに
参加しました。

京産大では、入試課のスタッフはおらず、学生スタッフのみで毎週土日の
キャンパスツアーを行っています。
「受験生だと思って一通りやってください」とお願いし、大学説明と、
ツアーを受けさせていただきました。
彼らは立命館、同志社、京大(だったかな?)の学生ガイドと交流を持ち、お互いに
ツアーをやったり、話をしたりして、スキルアップをはかっているそうです。
(うちの大学はそれはなかったなぁ…)

今回は体感のみで終わりましたが、今後取材させてほしいとお願いをして、
京産大を後にしました(私の研究テーマはオープンキャンパスなので)。

京大に戻って学会懇親会に出席した後、京都精華大学の五月(さつき)祭の前夜祭に参加!
前日の交流会で「良かったら見に来て下さい」と言われたので(いや、絶対来た方が良い!
とまで言われたので)、行ってみたのですが、めちゃ楽しかったです!

キャンパスの片隅に出来たクラブで踊ってきました☆
(京都精華は建築学科もあるので、いたるところに小屋が出来てました)

今回の五月祭は学生主体のお祭りで、基本的に大学側はノータッチなんだそうですが、
その陰で、学生部の職員さんを中心に夜を徹しての警備活動がありました。
オールナイトで行うので、変な輩が侵入してこないように、とのことでした。

学生を「それは出来ない」「やっちゃダメ」と押さえつけるのではなく、
学生がやりたいことをやらせてあげられる環境を作れるのって、すごいなぁと思いました。

日曜日も、午前中は学会の自由研究発表を見て、土曜日と同じレストランで食事を取った後
(高等教育界の重鎮、寺崎昌男先生とご一緒しちゃいました)、京都駅前にある
京都キャンパスプラザを見てきました。
特に何があるわけではなかったのですが、大学コンソーシアム京都の資料と、
京都の大学フェア(池袋でも行われます)の資料をもらい、中をぐるーっとみて回りました。
日曜日だというのに学生さんが集まっていたのが印象的でした。

13日は、大谷大学へ足を運びました。
以前から顔見知りで、京都精華大学の飲み会でもご一緒させていただいた
Tさんが働いている姿を見かけたので、ちょっとご挨拶を、と思って声を掛けたら、
最新設備で整った響流館(こうるかん。図書館、博物館などが入っています)の中と、
キャンパス内を案内して下さいました!

そこで気付いたのは、
「その大学のことが好きな人が、キャンパスツアーをすれば、
受けた側は必ずその大学を好きになる」という法則でした。

そしてそこにもうひとつ必要なのは大学に関する知識!

Tさんが大学の理念や、歴史や、考え方を話してくれる度に、
大谷大学っていいところだなぁと思うようになりました。

実はその前に、一通りキャンパス内を回っていたのですが、
その時は特に何とも(好き、とも嫌いとも)思わなかったんですね。
でも、案内して回ってもらって、大谷大学って良い大学だなぁと
いう風にコロっと考えが変わりました。

それは京都精華の時も同じで、学生のふりしてもぐりこんでいたときは、(芸術系もあるので)「う~ん、(学生として)私には合わないかな…」くらいに思っていたのに、
職員の方に案内してもらって、京都精華も好きになっちゃいました。

たぶんキャンパスツアーをするのに必要なのは、
「その大学を好きだという想い」と「その大学に関する知識」であって、
やるのは誰でもいいのかもしれません。

ただ、受験生にとっては、身近なロールモデルである学生の声が
やはり一番響くのでしょう。

(大学職員のタマゴの私に、大学職員の声が響いたように。)

そんなことを考えました。

大谷大学の後、最後に龍谷大学に行ったのですが、龍谷大学は何もかもがでかいです!!
広場も、校舎も。ちょうどお昼時にいったので、人に酔いそうになりました。

もしかしたらそんなに敷地は広くないのかもしれないけれど、
なぜか「デカっ!」というイメージを持ちました。

入試課がお昼休みで閉まっていたこともあって、龍谷大学では
特に何もせず、風だけ感じて帰ってきました。

大きすぎて、私には把握しきれない感じがきつかったのですが、
これもキャンパスツアーに参加したら変わるのでしょうか?


私の軸が「オープンキャンパス」「キャンパスツアー」と
定まってきたことが大きく影響しているのだと思いますが、
昨年の北海道の大学見学(去年の学会は北大)よりも、ずっと
実りの多い大学めぐりでした。

今後はこれをどう修論に結び付けていくか、ですね。





子どもが産まれました。

2005年06月07日 | about myself
といっても、私の子ではありません。

大学生時代にずっと一緒にバイトを続けていた、
大親友(だと私が勝手に思っている男友達)の子どもです。

彼とは大学1年のころバイト先で知り合い、
そのバイトの中で、同い年は多かったのだけれど、
4年制大学に通い、4年間続けるだろうというのは
2人しかいなかったのもあって、仲良くしていました。

結局そのバイト先は、(焼肉屋さんだったのですが、)
日本で起こった最初のBSE騒動で閉店してしまいました。
そこで彼と談合して、次のバイト先の面接を一緒に受け、
しばらくしてまた別のバイト先に一緒にうつりました。
そんなこんなで、4年の半ばで私がバイトをやめるまで、
3年半、一緒にバイトを続けていました。

お互い男性、女性をさっぱり意識しなかったので、
恋愛相談をしたり、バカな話で盛り上がったり、
とても付き合いやすく、素で話せる良き友でした。


でした…って、今も大好きな友達のひとりにかわりは
ないのですが、お互い別々の道にすすんで、あまり
会える機会がなくなったことと、もうひとつ理由があって、
素で話すことが、ちょっと出来なくなりました。

それは、彼がとてつもなく成長して、追いつけないところまでいってしまったから。

わいわい遊んでいた頃には、特に尊敬するとかって言うこともなく、
むしろ私よりガキだな、ぐらいに思っていたのに、
いつのまにか私を追い越して、どんどんいい男になっていって
しまったことが、悔しくてたまらないのでした。

彼が変わったのは、就職活動のころでしたか…。
やっぱり、就活は並大抵のことじゃないんですね。

今、彼は就職して2年目。
昨年結婚して、今月子どもも産まれました。

かたや私が経験きたことで、彼と違うことなんて、
大学院で悩んでいることくらいですからね。

これからもいろんなことを乗り越えて、どんどん
いい男になって、いいダンナであって、いいパパであって、
ずっと敵わないんだろうなーと思うので、

今は、素で話せませんね。
何言っても、「何言ってんだか~」といわれちゃいそうで。


ま、いつか、私も、もっともっと女っぷりあげて、
また彼と肩を並べて話できるようになりたいな、
てか、絶対なる!とは思っていますけどね廉


私の尊敬する方のブログにいってみたらびっくり!
その方にもお子様が生まれておりました。

子供というのは、未来が明るくていいですね。
これから、いかようにも伸びていける…。

私も、まだまだそう思われているんだろうけど☆ 

おめでとうございます


不思議な国

2005年06月06日 | ニュース
中国で大学受験のための2Bの鉛筆が不足しているようです。


<中国大学受験>今年も鉛筆の「偽2B」問題が浮上

 【北京・大谷麻由美】中国の大学受験「全国統一試験」を巡り、今年も鉛筆の「偽2B」問題が浮上している。採点は数年前から、機械読み取り方式を採用したが、読み取れるのは2Bの濃さだけ。しかし、受験生の急増で2Bは品薄状態。色の薄い偽物が市場に出回るようになり、知らずに偽物を使った学生は正解しても機械に誤りと判断され、受験に失敗する例は後を絶たないという。
 今年の試験は7、8日に実施される。募集定員475万人に対し867万人が志願した。志願者数は03年613万人、04年723万人と毎年100万人以上増えており、今年も過去最高を記録。受験生にとってはますます狭き門となっている。
 新華社通信によると、01年には山東省青島市の学生600人が偽2B鉛筆を使って全員0点となり、翌年に再受験を強いられた。「中華」というメーカーの模倣品が多く、色は薄く、鉛筆の表面も荒削りだ。値段は本物が1本0.5元(約6円)だが、偽物は0.2元(約2円)前後。
 今年も陝西省西安、甘粛省蘭州、雲南省昆明で偽2B鉛筆が発見されたという。受験生が思わぬ所で足元をすくわれないようにと、北京市や南京市などでは本物の2B鉛筆を支給。受験生や家族には「価格と質を見て購入するように」と注意を呼び掛けている。
(毎日新聞) - 6月6日20時47分更新


中国でも大学改革はすすみ、日本でなかなか変えられないことにも、積極的に取り組んでいます。

日本への外国人留学生は中国からの学生が一番多いのも周知の事実です。

国がどんどん大きくなっていく一方で、鉛筆の不足・偽鉛筆の出現という一面も持っている、私はいろんな部分でその二面性をすごく感じていて、不思議な国だな、と思っています。

反日感情とか、その部分にコメントはあえてしませんが、ただ、日本で学ぶ中国留学生たちが、目の前にいる日本のことを好きでいてくれたら、嬉しいなと思います。