さくらの大学ノート

さくらが日々想うことをつづります。
(旧だいがくしょくいんのたまご・ひよこ)

当たり前だからこそ続く。

2013年07月22日 | オープンキャンパス
昨日、東京造形大学のオープンキャンパスに行ってきました。

 東京造形大学 OC特設サイト
 東京造形大学HP「OPEN CAMPUSの様子

造形大のOCは、2年ぶり、2度目。
美大・芸大のOCは、数年前にいくつかの大学を見て、彼らの方が魅せるプロなんだよな、と感じてから、運営方法の細かい部分などにはこだわらず、純粋に楽しむことにしています。
分野は違えども、参考になる部分はたくさんあるので、大学の運営側の方にもぜひ、お近くの美大・芸大OCに足を運んでいただきたいです
逆に美大・芸大OCで、「見せる・魅せる」ということがうまくできていないなーと思ってしまうようなイベントだったら、すこぶる残念……と思って、そっと帰ってくることにしています

さて、タイトルの言葉。
映画専攻領域のプログラム「クリエーターズ・トーク」のゲスト、犬童一心監督の言葉です。

このトークセッションでは、小学生の頃に映画が好きになったこと、高校生の時に映画を撮り、作る側から映画を探究し始めたこと、広告製作会社の社員として(現在も!)働きながら、映画を撮り続けていることなど、犬童監督の人生と映画との関係をたっぷりお話しくださいました。

そして質疑応答の時間。映画専攻の4年生の学生さんからの、「就職をしても自分の作品も作り続けたいと考えているのですが、会社で社員として働くことと自分の作品を撮ることを両立するコツはなんでしょうか?」という問いかけに、犬童監督はこう答えました。

「映画を撮ることは自分にとって当たり前のこと。映画を撮らなければいけないとか、映画を作るのが夢だとか、ということではなく、自分にとって当たり前のことだったから映画を作っているのだと思う。」

子どもの頃に魅了された映画。どうやってつくられているんだろう、どうしてこのカットなんだろう……ということを、作りながら自分の中で明らかにしている。だから、義務や夢ではなく、撮るという行動は当たり前のことなんだというのです。


あぁそうかぁ、と思いました。
私もときどき、オープンキャンパスのよりよい在り方を探る、ということを、荷物のように背負ってしまうことがあるのですが、何がしかの明解な答えを出さなければいけないとか、こういうことできたらいいなぁ……という妄想だけで終わるとかではなく、ただ、自分にとってはOCに行くことが自然だから、学びの入口に触れることが楽しいから、行く、ということでもいいのだなと、どこかでほっとしたのです。

実際、犬童監督は会社員になってから5、6年は映画を制作していなかったそうです。
でも、仕事に慣れ、仕事を通して作品づくりにおいて好きなこと(犬童監督にとってはアニメーションとダンス)にも気付いて、また映画を作りたくなって、仕事の合間に作ったと。その自主製作映画を認めてくれる人と出会ったり、賞に応募してはどうかと声をかけられたり……ということを経て、仕事としても映画を作るようになったそうです。
もともと、映画監督を職業にできるとは思っていなかった、とおっしゃっていました。


私自身は映画制作や映画監督に関心がある訳ではなく、今回の参加者が驚くほど少なくて会場を出るに出られないということもあって最後まで聞いていたのですが、すごく得した気持ちになって帰路につきました。

映画専攻自体の人数がそんなに多くないということもあると思いますが、受験生だけでなく在学生や地域の方にも参加を呼び掛けたら良かったのに、もったいなかったです。


ちなみに……犬童監督は卒業生ということで、ちゃんとスタッフや教職員と同じ赤いTシャツを着て登壇されていて、いい方だなぁなんてことをFacebookに書きこんでいたら、八王子駅のホームで時刻を確認するために隣に立ったのが犬童監督で、すごーーーーくびっくりしたのでした!!

日々の疲れもあったり、参議院選の投票もあったり、少し重たく感じる身体を引きずっての移動でしたが、良い休日を過ごしました

共感のコミュニケーション

2013年07月08日 | 勉強会・イベント
こんにちは、さくらです。
関東は梅雨明け。暑いです。

昨日は、
「まち暮らしってなんなのよ?
~まち暮らしカンファレンス2013・七夕☆彡~」
というイベントに参加してきました。

登壇したのは、コレクティブハウジングという住まい方を推進する
NPO法人コレクティブハウジング社(CHC)」の活動を通じて
関わり、親しくしていただいている方々。

現在は、「N9.5(エヌキューテンゴ)」という会社を立ち上げ、
それぞれがコレクティブハウジングやまち暮らしの活動を
展開しています。

※私とコレクティブハウジングの出会いは、過去の日記もどうぞ。
あまり具体的ではないですが

イベントではそれぞれが進めるプロジェクトや……
 ・西国図書室(シェアする暮らしのポータルサイト記事より)
 ・ASAGAYA102―おたがいさまキッチン&まちのしごとば
 ・まち暮らし不動産    など

メンバーが素敵だなと思うまちの活動……
・国立 国立本店
・国立 おかんめし
(はっ!あとひとつが思い出せない……!)

などを紹介いただきました。

昨年5月に転職にあわせて引っ越した、西国分寺。
1年2か月の間に、ひとり暮らしの私にもご近所さんが出来た、
不思議なまちです。
仕事を通じて出会った人たちのおかげなのは言うまでもないのですが、
その仕事を離れても仲良しでいられるのは、まちで暮らそうとする
気持ちのある人たちだからなのでしょうね。
ありがたいなーと思っています。

私は根なし草のように引越しを繰り返してきましたが、
何もないはずのこのまちには好きなものがたくさんあって、
離れがたくなっている自分がいます……不思議ですね。


さてさて、そのイベントの中で出会った言葉が印象に残ったので、
ご紹介します。

「説得と理解のコミュニケーションよりも、
遊びと共感のコミュニケーションのほうがずっとうまくいく」

影山知明さん、齊藤志野歩さん、篠原靖弘さんのトークセッションで、
影山さんが本を読んでいた時に出会い、共感している言葉として、
語られました。


これを聞いたとき、大学教育の制度や仕組みと、学生対応についても
あてはまることなんじゃないかと、感じたんです。

例えば教育の現場において、学則よりももう少し下の階層で、
施設やセンターの使い方を担当部署で定める、ということ、
あると思います。
それから外れた学生がいたときにどうするか。

基本、“説得と理解”のコミュニケーションですよね。
「決まりなので、守ってください」とか
「守らないと、……します」といったように制裁を加えるときも。

もちろん、制度や規則を定めた時点で、様々状況や事情を考慮していた
はずですが、それでも、外れる学生がいるということの一部には、
制度や規則が現実の利用の快適さに即していない場合もあると思うんです。

そこを、“共感の”コミュニケーションで、互いが使いやすい
制度、規則にしていけるか。
どうしてこの制度、規則なのか、それによってあなたや他の学生に
どんないいことがあるのか。
それを話せない、話しても共感を得られないということが何度も
あったとしたら、たぶんそれは、制度や規則が理にかなっていないと
いうことなんじゃないでしょうか。

制度や規則も、学生と話をする中で、一緒に育てていけたらいいですよね。


先日、私の職場である施設の利用者さんとお話する中で感じた、
もやもやした気持ちに、光がさしたような言葉でした。

明日からもがんばろうっと

続・オープンキャンパスの研究

2013年07月06日 | オープンキャンパス
突然ですが、今年、続・オープンキャンパスの研究、やろうと思います。

しばらくもやもやして動けずにいたのですが、先日、オープンキャンパスの中づり広告を見ても、まったくテンションのあがらない自分に気づきまして。

たぶん、私の中で、ひとくぎり、なのだと思います。

だから、今年で最後にしようと思っています。
思い切り、オープンキャンパスのことを考えて、冷静に分析して、自分の中のオープンキャンパスを終わらせようと思います。

まるで恋だったかのように(笑)
まぁ、ずっと恋していたようなものですけどね。

大学教育への想いは、変わらないと思うけれど、思い切りやったら、次に進めるような気がしています。


いつになるかはわかりませんが、また研究成果をご報告できるといいなと思います。