2009年は、激動の1年でした。
10月に大学職員への転職、しかも広報としての配属を叶えたのも束の間、文系大学と理系大学の組織作りの違いや、歴史ある大学故の古さになかなか馴染めず、リカバーする方法さえ見えない「自分、仕事出来ない」感にも苛まれ、『もう無理。ここは私の場所じゃない…きっと違うんだ!』などと思い悩んだ時期もありました。
ただ、上司とも少しずつスムーズにコミュニケーションをとれるようになり、イベントのピークを越えて物理的に業務量が減ったことも手伝って、周りの環境と、自分が持つ力を、冷静に見られるようになってきました。
そして、ピークを越えても何だかすごくモヤモヤしていた12月、友人に会いに、福岡に行きました。
きっかけは、友人から言われた「年末に東京に行く予定がなくなったから、来てください」という一言。来てと言われて簡単に行ける距離でもなく、友人も本当に来るとは思っていなかっただろうけれど、なぜか「今行ったら、この先も行くかもしれないけれど、今行かなかったら適当な理由でこの先も流してしまう」という直感のようなものが働いて、「今遮るものや、断る理由は何もないな」と判断したのでした。
結果、この選択は正しかったです。
私にとってターニングポイントとなる、大きな意味を持つ旅となりました。
友人がつないでくれたのは、同い年で博士(工学)の学位を持ち、特任助教として大学教育にかかわる人。
学位や肩書もですが、同じ業界で、考え方や知識や成し遂げてきたもの全部、私の遥か上を行く同い年の人に会ったのは、初めてでした。
年上であれば、「経験している時間が長い分、そうなるだろう」と素直に認められると思うんです。
私は10月生まれなので、同じ学年の人とは、前後にちょうど半年ずつの時間差。
基本的に、
同じタイミングで、
同じ教育を受け、
同じ社会の出来事を経験してきた
はずの人とそれだけ離れている現実は、頭をガーンと殴られたほどの衝撃でした。
もちろん、厳密にいえば全然、同じじゃないんですけどね。
その人が、「10年後に、職員がめちゃくちゃ強い大学をつくろう!」とか口走るものだから。
そんなの、めっちゃ作りたいに決まっているじゃないですか!!
敵わない人の存在を知ったと同時に、一緒に作れる仲間の存在を知ったのは、私がこれから生きていく上ですごく大きな出来事でした。
(ちなみに、つないでくれた友人はさらに年下なんですけれども…orz)
2人と話したり、さらに友人が活動を共にする仲間に会わせてもらったりするなかで、一緒に何かを作れる仲間がいることの強さを感じました。
そして、私は、年上の方にかわいがってもらうことばかりで(それはそれですごく幸せなことなのですが)、同世代の子と何かを作ることは、オープンキャンパスの学生スタッフを卒業して以来、やってこなかったということに気づかされました。
社会人になってからの3年間、いつでも、想いは持ち続けてきたつもりです。
けれど、それをかたちにしてきたかと問われれば、否。
ひとりなのかなぁ…とも思いました。
でも、周りを見渡せば、私のすぐそばにも、仲間がいました。
私が何もしてこなかっただけ。動こうとしなかっただけでした。
この先は、私の想いをかたちにしていくために、一つ一つ、動いていこうと思います。
福岡への旅を通して、人にはそれぞれに合った「タイミング」があること、そのタイミングを活かすことで、「つながり」が生まれていくことを体感しました。
神奈川に帰ってきてからの1週間で、さらにそれを強く意識する出来事がたくさんあったのですが、それはまた後日、書いていこうと思います。

10月に大学職員への転職、しかも広報としての配属を叶えたのも束の間、文系大学と理系大学の組織作りの違いや、歴史ある大学故の古さになかなか馴染めず、リカバーする方法さえ見えない「自分、仕事出来ない」感にも苛まれ、『もう無理。ここは私の場所じゃない…きっと違うんだ!』などと思い悩んだ時期もありました。
ただ、上司とも少しずつスムーズにコミュニケーションをとれるようになり、イベントのピークを越えて物理的に業務量が減ったことも手伝って、周りの環境と、自分が持つ力を、冷静に見られるようになってきました。
そして、ピークを越えても何だかすごくモヤモヤしていた12月、友人に会いに、福岡に行きました。
きっかけは、友人から言われた「年末に東京に行く予定がなくなったから、来てください」という一言。来てと言われて簡単に行ける距離でもなく、友人も本当に来るとは思っていなかっただろうけれど、なぜか「今行ったら、この先も行くかもしれないけれど、今行かなかったら適当な理由でこの先も流してしまう」という直感のようなものが働いて、「今遮るものや、断る理由は何もないな」と判断したのでした。
結果、この選択は正しかったです。
私にとってターニングポイントとなる、大きな意味を持つ旅となりました。
友人がつないでくれたのは、同い年で博士(工学)の学位を持ち、特任助教として大学教育にかかわる人。
学位や肩書もですが、同じ業界で、考え方や知識や成し遂げてきたもの全部、私の遥か上を行く同い年の人に会ったのは、初めてでした。
年上であれば、「経験している時間が長い分、そうなるだろう」と素直に認められると思うんです。
私は10月生まれなので、同じ学年の人とは、前後にちょうど半年ずつの時間差。
基本的に、
同じタイミングで、
同じ教育を受け、
同じ社会の出来事を経験してきた
はずの人とそれだけ離れている現実は、頭をガーンと殴られたほどの衝撃でした。
もちろん、厳密にいえば全然、同じじゃないんですけどね。
その人が、「10年後に、職員がめちゃくちゃ強い大学をつくろう!」とか口走るものだから。
そんなの、めっちゃ作りたいに決まっているじゃないですか!!
敵わない人の存在を知ったと同時に、一緒に作れる仲間の存在を知ったのは、私がこれから生きていく上ですごく大きな出来事でした。
(ちなみに、つないでくれた友人はさらに年下なんですけれども…orz)
2人と話したり、さらに友人が活動を共にする仲間に会わせてもらったりするなかで、一緒に何かを作れる仲間がいることの強さを感じました。
そして、私は、年上の方にかわいがってもらうことばかりで(それはそれですごく幸せなことなのですが)、同世代の子と何かを作ることは、オープンキャンパスの学生スタッフを卒業して以来、やってこなかったということに気づかされました。
社会人になってからの3年間、いつでも、想いは持ち続けてきたつもりです。
けれど、それをかたちにしてきたかと問われれば、否。
ひとりなのかなぁ…とも思いました。
でも、周りを見渡せば、私のすぐそばにも、仲間がいました。
私が何もしてこなかっただけ。動こうとしなかっただけでした。
この先は、私の想いをかたちにしていくために、一つ一つ、動いていこうと思います。
福岡への旅を通して、人にはそれぞれに合った「タイミング」があること、そのタイミングを活かすことで、「つながり」が生まれていくことを体感しました。
神奈川に帰ってきてからの1週間で、さらにそれを強く意識する出来事がたくさんあったのですが、それはまた後日、書いていこうと思います。
