憂国の花束

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天皇の教育 メモ(2)

2022-01-21 23:37:09 | 皇位継承
今週、週刊誌は一斉に悠仁殿下の筑波大付属高校進学を前提に記事を書き始めた。眞子さんの結婚と同様に筑波大付属高校への進学は確定しているのでしょう。同時にその先の東大進学への計画も進められているのでしょう。
週刊誌は「ほれ!忖度だ!」「又しても秋篠宮家の特権利用だ!」と煽るが、私はようやく悠仁殿下の帝王教育への計画が水面下で図られていたこと、それが目に見えて来たことを喜んでいる。

悠仁殿下は将来の天皇という特別な方です。悠仁殿下に特権を使うのと、小室が盗むように皇室特権を使うのとでは話が違う。何故週刊誌は悠仁殿下と小室を同じレベルで扱うのか。何故隣の受験生と悠仁殿下を同列に語るのか。
小室や隣の受験生と悠仁殿下を同じ土俵で語る人々は悠仁殿下が特別なひとだということを忘れているか、何か勘違いをしているのではないでしょうか。


15歳で立太子した昭和天皇 この年陸海軍大尉


15歳の悠仁殿下 この方の皇位継承を喜ばない一派とは何ものなのか。

高校ご進学直前、悠仁さまの“帝王教育”に動きづらい深刻な理由〈今後“皇籍を離脱したい”と願う皇族が現れたら…〉
#2

*近代の天皇教育の礎を築いたのは明治天皇
 大正天皇が幼少のころから病弱で充分な教育ができなかったことを反省。
 皇孫迪宮(みちのみや)裕仁親王 を生後70日で枢密顧問官で海軍大将(死後昇進)の川村純義に養育を任せる。

*川村家の教育方針
(1)心身の健康を第一にすること
(2)天性を曲げぬこと
(3)ものに恐れず、人を尊ぶ性格を養うこと
(4)難事に耐える習慣をつけること
(5)わがまま気ままのくせをつけないこと
川村家は純義亡き後も昭和天皇満4歳まで、家族ぐるみで厳しく躾けた。
  1904年11月弟淳宮 と共に沼津御用邸。
  1906年5月青山御所内に設けられた幼稚園へ通う。

*1908年4月学習院初等科入学。学習院長乃木希典から質実剛健の教えを受ける。
 1914年3月学習院初等科卒業。
*1914年4月 東宮御学問所(乃木希典発案、明治天皇裁可、総裁東郷平八郎)
東大や学習院などの教授や一流の知識人らを結集し、この国の天皇としてあるべき人物をつくりあげるための特別な教育機関です。(米田氏)
皇太子時代の昭和天皇はこの御学問所で、先ほど挙げた永積さんら5人のご学友とともに、7年間学びました。倫理をはじめ、歴史、数学、化学、地理、博物、仏語、国文、漢文、美術史、法学、経済学、馬術、軍事講話……。未来の天皇として、幅広い教養を身に着けたのです。
 ちなみに昭和天皇の3人の弟宮(後の秩父宮、高松宮、三笠宮)は、学習院中等科を出て、それぞれ陸軍や海軍の学校へ進んでいます。皇太子とは、受ける教育に明確な違いがありました。(米田氏)

 
*昭和天皇の骨格は大日本帝国憲法
 上皇の骨格は日本国憲法。
 田中耕太郎など からの教えを受けて象徴天皇のあり方を考えた。

「皇籍を離脱したい」と願う皇族が現れた時には、今の憲法に照らすと、自主性を尊重することにならざるを得ません。これが、秋篠宮家の長女・眞子さんの結婚をめぐる対応の難しさでもありました。そして今後も、同じようなことが起こる可能性がないとは言えません。
 
*三笠宮寛仁親王の皇籍離脱騒動を収めたのは昭和天皇の一言だった。
 米田氏はこれを
「昭和天皇が帝国憲法時代の皇族への監督権を行使したように感じられたものです。実際には監督権は失われているのですが、変わらぬ威厳によって効力を発揮したように思えたのです。 
 
米田氏は最後にとても怖いことを書いています。
米田氏のような経歴、立場の方がこれを言うのは、政府、皇室、関係者の間の共通認識は「次の天皇が誰なのかまだ未定」ということなのでしょうか。
ぞっとするが?

もっとも、悠仁さまへの教育でいえば、何より先に考えなければならない問題が他にあります。
 前述したように、「帝王教育」とそれ以外の「皇族教育」は、歴史的に差がつけられてきました。しかしそれは、皇位継承者がはっきりしているからこそ可能なことです。
 安定的な皇位継承のあり方を議論する政府の有識者会議が報告書を提出したとはいえ、先行き不透明な状況にあります。これでは宮内庁は、いくら現時点での皇位継承順が2位とはいえ、悠仁さまへの帝王教育に公的に動きづらい。つまり、誰が次の天皇になるのかを早く確定させることが、先決すべき問題なのです。
 とはいえ、ここまで見てきたように、次代の天皇は教育によってつくられるもの。秋篠宮殿下自身はある程度自由な教育を受けられるお立場でしたが、宮家としては悠仁さまの将来に待ち受けうる課題として、帝王教育の準備を進めておいていただければと願うところです。


😐 皇室典範を拠り所に「秋篠宮殿下、悠仁殿下の皇位継承は確実」と言う人々がいるが、私は皇室典範をそれほど確固なものとは見ていない。法律はひとが決めたものだから、ひとがその気になれば変えることもできる。現に上皇は皇室典範をいとも簡単に変えてみせたではないか。

国民が天皇を「特別なひと」と認めなくなったら、天皇は存在意義を失ってしまう。残念ながら昨今、天皇は急速に国民から「特別なひと」とは思われなくなっているようだ。

帝国憲法下だろうが日本国憲法下であろうが、「ひととして有るべき姿」の基本的な部分にさほどの違いはないだろう。今上は「ひととしてあるべき姿」を信念をもって示しているのか?雅子皇后は「ひととしてあるべき姿」を示しているのか?

平成の天皇は、象徴天皇のあり方を模索して答えを見つけることが出来なかった。今上は良さそうなことを言うひとに従うだけ。悠仁殿下には2000年「特別なひと」であった天皇の末裔として、象徴天皇のあり方への答えを見つけて頂きたい。
農学という実学も良いが教養として哲学も学ばれたほうが良いのではないでしょうか。

関係者の間で皇位継承が流動的なら、なおさら悠仁殿下には「私が引き受ける。」という気概をもって良い教育環境で学び、磨かれて行かれることを願っています。