憂国の花束

右でも左でも無く、上でも下でも無く。

祖国日本よ! 誇り高くあれ。

「賢所皇霊殿神殿に謁するの儀」・・悠仁さまは愛子さまより格下ではない。

2022-01-02 19:53:05 | 皇室
😐 愛子さまを悠仁殿下より上に置きたい者が後を絶たない。

皇室典範
第五条 皇后、太皇太后、皇太后、親王、親王妃、内親王、王、王妃及び女王を皇族とする。
第六条 嫡出の皇子及び嫡男系嫡出の皇孫は、男を親王、女を内親王とし、三世以下の嫡男系嫡出の子孫は、男を王、女を女王とする。

第五条に拠れば、親王は内親王より上位である。
すなわち悠仁親王は愛子内親王より上位であることは明らかなのだが…。

先だって「悠仁殿下は愛子さまより格下」とする根拠に「悠仁殿下は庭で拝礼、愛子さまは殿上で拝礼」と解説するブログ記事があったので、反論を書いたが、今度は「紀子さまはローブモンタント、雅子さまはスーツ」と当日の両妃殿下のお召し物から、推察して悠仁殿下は庭上で拝礼、愛子さまは殿上で拝礼と書く。

どうして、そんなに悠仁さまを格下にしたいのか、と思う。
悠仁殿下も愛子さまも誕生に関わる儀式として、民間のお宮参りに当たる「賢所皇霊殿神殿に謁するの儀」をされている。
「賢所皇霊殿神殿に謁するの儀」は皇族の結婚の際などにも行われます。

賢所の内部は非公開なので、実際の間取りは推察するしかないのだが、
内々陣、内陣、外陣と三間になっていると伝えられている。
内々陣は神の御座、内陣では「大前の儀」が行われるが、外陣で行われるのが「謁するの儀」です。皇霊殿、神殿それぞれ、内部は三間になっていて、それぞれその外陣で行うので「賢所皇霊殿神殿に謁するの儀」と言われるのですわね。


愛子さまも悠仁さまも「賢所皇霊殿神殿に謁するの儀」で宮中三殿を拝礼されているので三殿の外陣、すなわち殿上で拝礼されたことに違いはありません。

2014年3月14日共同通信社
敬宮愛子さま「お宮参り」 両陛下と宮殿で対面
 皇太子ご夫妻の長女、敬宮愛子(としのみや・あいこ)さまは13日午前、「賢所皇霊殿神殿(かしこどころ・こうれいでん・しんでん)に謁(えっ)するの儀」に臨んだ。歴代天皇らがまつられた皇居・宮中三殿を誕生後初めて参拝する儀式で、一般のお宮参りにあたる。
 初参拝は誕生50日目以降となっている。東宮職によると、暖かくなるのを待ったため103日目になった。
 敬宮さまは皇居で両陛下から贈られた白い絹の着物「御初召一重(おうぶめし・ひとかさね)」に着替え、午前10時39分、東宮女官長に抱かれて三殿を順に参拝。続いて宮殿「鳳凰(ほうおう)の間」で天皇、皇后両陛下と対面し、天皇陛下と敬宮さまが形式的に杯をとり交わした後、雅子さまが両陛下にお礼を述べた。
 東宮職によると、敬宮さまは10日現在、身長62.6センチ、体重6265グラム。皇太子さまがおふろに入れたり、庭を散策する際に抱いたりすることもあるという。


😇 ブログには雅子さまがスーツをお召しなのは、愛子さまに付き添って殿上に上がるために十二単に着替えるためだと書いてあるが、それはないでしょう。

東宮御所の玄関にお出ましになったのが、午前9時50分。午前10時に東宮御所を車で出発。「賢所皇霊殿神殿に謁するの儀」は午前10時39分に始まっています。
東宮御所から宮中三殿まで車で3分だったとしても、女房装束のお着替えには頭カツラでも最低でも1時間はかかります。30分でスーツから装束へ着替えは出来ません。
装束で無い以上、雅子さまが愛子さまに付き添って外陣に入られることはありませんが、乳幼児の拝礼には必ず母親が付き添うと何処に書いてあったのか。
皇室の歴史をみれば、お世話はその役目の者がしてきました。お宮参りに当たる「賢所皇霊殿神殿に謁するの儀」でも愛子さまは女官長が抱いて拝礼しているし、悠仁さまは御用掛が抱いて拝礼している。また宮参りに当たる「賢所皇霊殿神殿に謁するの儀」では、掌典長が祝詞をあげ、神饌をいただいて拝礼するという儀式なので、難しい祝詞を母親が乳幼児に代わって唱えるということもないようです。
些細なことですが、気になる記事でした。

愛子さまのお宮参り当日の雅子さまのスーツ姿の写真は、雅子さまのドレスコードがおかしいという話題の場で、よく貼られていたものでしたが…。
皇太子妃時代の雅子さまのドレスコードは本当に変でしたね。


2日 元明天皇千三百年式年祭の儀

2022-01-02 17:56:04 | 公務
2日に行われていた一般参賀が2年続けて中止になり、その代わりのように元明天皇千三百年式年祭の儀が行われた
元明天皇は721年12月29日〈養老5年12月7日〉に薨去されているので、厳密に言えば今日は命日ではないが、報道は1300年前の今日が命日と報ずる。

仏教の法事は命日当日か、命日の前に行うものだが、神道の霊祭、式年祭は命日過ぎに行うものなのか?




歴代天皇を偲ばれる皇室ご一家
2022/1/2 13:58 FNNプライムオンライン
<抜粋>
今年も新年祝賀の儀は、参賀に参列する人数を減らし縮小して行われ、2日に行うのが恒例となっていた新年一般参賀は中止となりました。

元明天皇千三百年式年祭の儀
こうした中、1月2日に行われたのは「元明天皇千三百年式年祭の儀」という宮中祭祀でした。

亡くなられた天皇は、3年、5年に続いては10年ごと、50年のあとは、100年ごとの節目で宮中三殿の「皇霊殿」と「山陵」で式年祭が行われ、今年亡くなって1300年の節目を迎えた元明天皇の式年祭が行われました。つまり、元明天皇が亡くなられて1300年の命日に、そのご事蹟を偲びお祭りが行われたということです。

😐 厳密に言えば1月2日は命日と言えないと思う。
<中略>
父親は天智天皇、母親は蘇我倉山田石川麻呂の娘で、西暦661年に誕生したとされています。夫は、天武天皇と持統天皇の間に生まれた草壁皇子。二人の間には、後の文武天皇、元正天皇が生まれています。

😐 元明天皇は男系女子の天皇。父、草壁皇子を通じて天皇に繋がる文武天皇は男系男子の天皇、同じく父、草壁皇子を通じて天皇に繋がる元正天皇は男系女子の天皇です。

707年に文武天皇が亡くなったことを受け、第43代天皇に即位します。当時は、文武天皇の息子、のちの聖武天皇がまだ7歳と言うこともあり、孫の成長を待つこととなったのです。
<中略>
そして、太陽暦の712年1月2日、61歳で亡くなったとされています。

😱 ひえ~~~~~!太陽暦712年なら、2012年が千三百年式年祭です。
これまでずっと西暦721年12月7日もしくは12月29日とされてきた命日が1月2日になったのは何時から?
今上と雅子さま、秋篠宮殿下妃殿下にご進講した愛知県立大学の丸山裕美子教授 の説でしょうか。
定説を覆して、元明天皇の没年を722年とするには、教科書の記述を変えるので結構大変なことだと思うのですが?ネットのコトバンク、系図等は721年12月7日もしくは29日としているところばかりです。

ただ、今日書かれた素人のブログ(私も素人ですが)では、722年1月2日を元明天皇の命日と書くところが現われて来ています。
それは、今日2022年1月2日に元明天皇千三百年式年祭の儀を行ったから、逆算して、そのように書くのだろうとは思うのですが…。
さて、宮内庁の見解は?
 
1月2日午前、天皇陛下は宮中三殿の「皇霊殿」へと入り拝礼され、続いて秋篠宮さまも皇霊殿で拝礼されました。葬られた奈良市奈良坂町にある元明天皇山陵で行われたお祭りには、寬仁親王妃信子さまが参列されています。

1300年前の祖先を敬い、そのご事蹟を知ることで歴代天皇を偲ぶ。このように歴史と伝統を守り続けることは、皇室の皆さまにとって大切なお仕事の一つなのです。

😇 歴史と伝統を守り続けることは大切なお役目です。
聞いていらっしゃいますか?雅子さま。
そして、女性宮家、女系天皇派の皆さんもね。