西向きのバルコニーから

私立カームラ博物館付属芸能芸術家研究所の日誌

お墓がない!?

2007年06月07日 00時57分00秒 | 関西ですねん!
西野山古墓発掘へ 田村麻呂との関連裏付け 京都市(産経新聞) - goo ニュース


♪ 田村の森の わかみどり~

 私が卒業した小学校の校歌の歌いだし部分である。

 小学校のすぐ北側には、平安時代初期の武人で征夷大将軍の坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)の墓があり、その前にある広場とともに木々に囲まれ、その地域では「田村森」の名で親しまれ、小学校の校歌にも歌われ、我々子供たちの恰好の遊び場にもなっていた。

 1972(昭和47)年には、広場は「坂上田村麻呂公園」として整備され、公園のオープン記念式典には、私の在籍した当時の6年3組が学校代表として参列。児童会長らがテープカットを行い、クラス全員で校歌を斉唱した。

 そうして小学校のひとつのシンボル的存在だった思い出多きあの坂上田村麻呂の墓地が、実はそこにはなかったのだという。

 勿論今現在、小学校もずっと同じ場所に位置し、校歌の歌詞も昔のままである筈だ。あの校歌は、今後どうなるのだろうか? そして「田村森」を支えてきた地域の人々のロマンや、我々の思い出は……?


 まったく、歴史という学問は、罪な学問である。