時代のウェブログ

イマを見つめて
提言します

ペット育成ゲーム

2010年05月15日 14時19分27秒 | 趣味・遊び
ひまつぶしにペット育成ゲームをやってみた。
すごく良くできている。

大昔に「たまごっち」が大流行した頃、亜流として犬や猫を飼うゲームが作られたが、とても熱中できる代物ではなかった。画面内をドット絵の犬・猫が歩き回るだけでは30秒で飽きてしまう。
それに比べて今のゲームは本当に芸が細かいと感心した。
当然、猫を飼ったのだが、後足で背中を掻く仕草とか、前足で顔を洗う仕草が本当にリアリティがある。実際に生きた猫を飼ってる人間として100点満点を付けられる出来栄えだ。
ただひとつ不満なのは(←じゃ100点じゃないやんw)、猫がよくやる肛門を舐める仕草がない。毛づくろいはやるが、それとは微妙に違う。教育的配慮か?
でも、あの仕草って猫好きは結構、萌えるんだが(←特異な性癖を有しているのではないw)。
ただ正直、あの猫のざらつく舌で舐めたら本人も結構気持ち良いように思う。ウォシュレットなど比較にならないだろう。

そもそも口は消化器官の起点で肛門は消化器官の終点。同じ器官でありながら、なぜ汚いと感じるのか考えてみた。これは東海道・山陽新幹線に例えば、東京の人間が博多を汚いと言うような物ではないか?
口の中で舐めていた飴玉を一度、口から出して、再度舐め始めるのに抵抗ある人間はほとんどいないだろう。一部の超潔癖症は別として。でも肛門の中に入れた飴玉を口に入れて舐めるのには、ほとんどの人間が抵抗を感じるはずだ。一部の特殊性癖を有する者を別にして。
境目はどこなんだろう。
仮に食道まで入って行って出て来た飴玉は、また舐めても平気な気がする。
胃まで達すると、どうだろう。胃液まみれの飴玉をまた舐めるのには何か抵抗を感じる。
てことは、汚く感じる境界線は噴門かな。
胃から出て来た物を汚く感じるのは、ゲロの印象かもしれない。

例えば上戸彩が口の中で舐めていた飴玉を舐める行為に、お金を払ってもしたいか、お金を貰わないとしたくないかを尋ねられたら、お金を払ってもしたい行為だ。
でも上戸彩が吐き散らかした嘔吐物を掃除するのを、お金を払ってしたいか、お金を貰わないとしたくないかと尋ねられたら、お金を貰わないとしたくない。一部の性癖を持ち、熱狂的ファンは払うかもしれないがw
やっぱり境界線は噴門だな。

ていうか、移転初投稿がこれかよww


最新の画像もっと見る

コメントを投稿