時代のウェブログ

イマを見つめて
提言します

20世紀少年・第一章

2009年08月22日 11時40分00秒 | 音楽・芸能
金曜ロードショーで『20世紀少年・第一章』を見る。
『TRICK』シリーズが大好きな筆者は堤幸彦は大好きな監督の一人で、彼の演出で随所に見られる「秋本治的なマニアックな小ネタ」がたまらない。実に素晴らしい感性を持っていると思う。
ただし、この『20世紀少年・第一章』については、いささか辛い採点をしたい。
主人公たちの少年時代と現在をカットバックして描いていく手法は問題ないと思う。しかし、それに絡んで膨張していく「ともだち」の存在が薄い。なんか「大したことない」のだ。
この話、そもそも荒唐無稽な物語である。
1個人が人類を滅亡させようとするのも荒唐無稽だし、それに立ち塞がるのが市井の町のオッサンたちというのも荒唐無稽である。荒唐無稽なのだから、変なリアリティを持たせる必要などない。
ケンヂやマルオたちの日常生活には徹底したリアリティが必要だ。これが現実離れしてたら面白くない。『ALWAYS~三丁目の夕陽』みたいなリアリティがあってよい。それに対して「ともだち」が世界征服をする部分には余分なリアリティは不要だ。徹底的に荒唐無稽でいい。この現実と非現実のギャップが激しいほど、この作品はおもしろくなる。
一例をあげれば、ともだちが繰り出してくる巨大ロボット。ロボット工学の敷島博士(「鉄人28号」の博士と同名w)が、ともだちに造らされた物だろう。これが、いかにも「現代のロボット工学ならば、ここまでは造れますよ」という代物だ。しかし、こんな物にそういうリアリティ・裏付けは不要だ。もっともっと荒唐無稽でいい。少年たちが幼い日に想像してたロボットそのままで問題ない。
ゴジラを生物学・物理学などで検証すれば存在が考えられない生物で、まだハリウッド版のGodzillaのほうが科学的には合理的だ。しかしGodzillaよりもゴジラのほうが圧倒的に魅力的だし面白い。そういうことだ。
そもそも羽田空港や国会議事堂を破壊することなど現実では起こり得ない非現実的な出来事だ。だから、その手段も非現実的で全く構わない。
おそらく製作時期的に9.11.米国同時多発テロの影響を強く受けてしまったのだろう。
「現実のウサマ・ビンラディンがああいう事ができたんだから、ともだちがやる事も実際にできそうなリアリティを持たせよう」そんな意図か。確かにビンラディンも荒唐無稽な攻撃を実現してみせた。しかし、あれは突発的テロで一度きりだったから成功した。ともだちのように継続的・永続的な世界征服では行えない。そもそもが非現実的な存在なのだ。だからこそ、この作品はケンヂたちの日常は堤得意の拘りのリアリティ空間と、ともだちが作り出すマンガ的非日常空間の二部構成で構築されるべき世界であろう。