2011年9月27日、上野国一宮・貫前神社の参拝を終えて妙義山に向かうと、途中のコンビニから妙義山の山容がくっきりと見えた。妙義山は赤城・榛名と並ぶ上毛三山の1つ。一の鳥居の前にくると参道は妙義山の主峰・白雲山に向って真っ直ぐ伸びている、中腹にある妙義神社まではかなりの登り坂、参道横には彼岸花が咲いていた。更に進むと立派な総門があり、総門を過ぎても石段は長く続いていた。二の鳥居を抜けて平地で一息ついて前方を見ると、社殿は更に高い石段の上にある。ところがその石段の前に立札があって登れない。平成19年の台風の大雨により本殿の裏山が崩れ、平成21年度に治山工事は完了したが、現在は、文化財の修復工事中で見学できませんとの事。
石段の右に仮本殿とされている波己曽社(はこそしゃ)があったので、そこで参拝。波己曽社は本殿・幣殿・拝殿からなり、三百数十年前に建造された旧本社と伝えられている。
妙義神社の創建は、宣化天皇2年(537年)と伝わり、古くは波己曽(はこそ)神社といい、『日本三代実録』に記載がある、ご祭神は日本武尊。現在の修復中の社殿は、宝暦年間(1751年~1764年)の改修によるもので重要文化財。境内を廻ると、大きな常夜灯があり、社務所の門には旧宮様御殿の表札も。実は平成18年に行った時の拝殿の写真が1枚だけ残っていたので載せておきます。ここからは榛名山に向かった。
妙義山
一の鳥居
参道
総門
石段
最後の石段
波己曽社正面
波己曽社 横から
社務所
平成18年に行った時の拝殿
石段の右に仮本殿とされている波己曽社(はこそしゃ)があったので、そこで参拝。波己曽社は本殿・幣殿・拝殿からなり、三百数十年前に建造された旧本社と伝えられている。
妙義神社の創建は、宣化天皇2年(537年)と伝わり、古くは波己曽(はこそ)神社といい、『日本三代実録』に記載がある、ご祭神は日本武尊。現在の修復中の社殿は、宝暦年間(1751年~1764年)の改修によるもので重要文化財。境内を廻ると、大きな常夜灯があり、社務所の門には旧宮様御殿の表札も。実は平成18年に行った時の拝殿の写真が1枚だけ残っていたので載せておきます。ここからは榛名山に向かった。
妙義山
一の鳥居
参道
総門
石段
最後の石段
波己曽社正面
波己曽社 横から
社務所
平成18年に行った時の拝殿
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