大洲城の歴史は、鎌倉時代末期、伊予国守護宇都宮豊房の築いた地蔵ヶ岳城に始まると言われている。 慶長14年(1609)脇坂安治が淡路国洲本より移った時に州本から移築されたと推定される天守は、明治維新には保存されたものの、明治21年(1888年)老朽化により、解体された。その天守を平成16年に、史料をもとに木造で忠実に再現したものが現在の天守。
2013年6月1日、宇和島城を見た翌日、大洲に寄り、臥龍山荘を見てから大洲城へ。駐車場に車を置くと、石垣を組んだ小高い丘の上にお城が見えた。石垣に沿って登って行くと見事な天守が聳えていた。天守に入ると、木肌は新しいが太い柱や梁、急な階段など昔の天守と同じ構造で、城郭建築特有の迫力ある木組みが見られた。木材の調達などご苦労が多かったろうと感心した。天守の最上階から四方を眺める、肱川が見渡せ、湾流している様が判る。天守に隣接した高欄櫓に入ると、梁も柱も古色を帯びている。高欄櫓は1860年に再建されたままの重要文化財だった。ここからは大洲を離れ松山に向かう。
駐車場から見上げると
石垣に沿って登る
巨樹
天守
階段
天守からの眺め
天守天井
高欄櫓内部
2013年6月1日、宇和島城を見た翌日、大洲に寄り、臥龍山荘を見てから大洲城へ。駐車場に車を置くと、石垣を組んだ小高い丘の上にお城が見えた。石垣に沿って登って行くと見事な天守が聳えていた。天守に入ると、木肌は新しいが太い柱や梁、急な階段など昔の天守と同じ構造で、城郭建築特有の迫力ある木組みが見られた。木材の調達などご苦労が多かったろうと感心した。天守の最上階から四方を眺める、肱川が見渡せ、湾流している様が判る。天守に隣接した高欄櫓に入ると、梁も柱も古色を帯びている。高欄櫓は1860年に再建されたままの重要文化財だった。ここからは大洲を離れ松山に向かう。
駐車場から見上げると
石垣に沿って登る
巨樹
天守
階段
天守からの眺め
天守天井
高欄櫓内部
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