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江利チエミファンのひとりごと

江利チエミという素晴らしい歌手がいた...ということ。
ただただそれを伝えたい...という趣旨のページです。

【239】 清川虹子さん著 恋して泣いて芝居して より

2006年03月25日 | 続・江利チエミ(初期記事・後編)

チエミさんと清川さんとは 本当の親子のように 喧嘩もあったそうです。

 

スター誕生・・・元々は、前にも書き込みましたが、結婚後しばらく引退していたチエミさんの本格的なカムバックに清川さんが原案を出してドラマ化したもの。
1時間の二回連続で放映されたテレビドラマでした。
翌36年、梅田コマで初演し、梅田コマ開設以来初の補助席が作られたほどの大ヒットを飛ばしました。

若い頃、さる御曹司と恋に落ち、女の子を産み落とした母親が、今、その娘と二人でドサ周りの漫才師をしている。
娘はチャンスをつかんでスターとなるが、母親は娘を立場を思いドサ回りを続けるというのが原案のストーリー...
母親役は勿論、清川虹子さんでした。

新宿コマで37年再演をする...となって、舞台づくりのとき、「父親役はいらない!」とチエミさんは主張します。ここで座長のチエミさんに、清川さんは「それでは巧くいかない!母と父、娘のからみは、新派ふうのいい芝居になるのだから・・・」と苦言を呈したのです。
また「わたしは歌と踊りをやるから、ママは芝居をやってよ」というチエミさんに、清川ママは「ミュージカルの基本は芝居・・・」とも...。
その公演中もそのあともしばらく口もきかなかったとか。
「マイ・フェア・レディ」「アニーよ銃をとれ」に清川さんがキャスティングされていないのはそのためだったそうです。

「やっぱりお父さんを入れよう!」・・・三回目の41年「名古屋御園座公演」での再演のときにチエミさんがこう言い出すまで、長いながい「不仲」が続いていたのだそうです。

チエミさんの共演者話でもうひとつ・・・
森川信さんは梅田コマでの「じゃがたらお春」公演中に「妻危篤」の報をうけ、代役を立てる云々の手はずもできていない間に帰宅してしまったのです。(これは芸能人の辛いところです。親の死に目にも逢えない掟・・・これを破ってしまったのです。)
舞台に穴をあけ、座長のチエミさん、そしてそのときの相手役・中村賀津雄さんを大いに怒らせてしまい、その後「江利チエミ公演のメンバー」から外れてしまいました。
中村賀津雄は錦之介さんの弟さん・・・梨園の出身ですから「たとえ親の死に目に逢えなくても舞台に穴はあけられない」という掟の染み付いている人です。
チエミさんは「梨園出身の中村賀津夫さん」といった共演者の手前、座長として許すことができない難しい立場だったのだと思います。

春香伝のころ、チエミさんは「そろそろいいよね!森川さんに出てもらおう」と清川さんに云っていたそうです。ところが・・・森川さんも急逝されて、二度とチエミさんと共演することがなかったのだそうです。

清川さんもチエミさんの通夜には参列しましたが、舞台公演中のため火葬場に付き添うことはできませんでした。(3/3の音楽葬には親族代表で出席されました。)

波平さんもサザエさんも、随分長く出番待ちをしていましたが、今頃天上界ではフネさんを交えて「にぎやかなチエミ喜劇」が演じられているのかも知れません。
忠臣蔵にも鼻のお六にも、森川さんがいたらもっと素敵な舞台だったような気もします。
そうそう...新たに焼きなおして「春香伝」かもしれないし、「赤帽かあちゃん」かも知れませんね。

   映画「女侠一代」 
   
     ドテラばあさんを熱演した清川さんです。

赤帽かあちゃん...のことは、ブログをスタートしたばかりの時 ここ に一部書き込んでいます。


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