江利チエミファンのひとりごと

江利チエミという素晴らしい歌手がいた...ということ。
ただただそれを伝えたい...という趣旨のページです。

【238】 演劇界 第21巻 第12号 昭和38年12/1発行 より

2006年03月24日 | 続・江利チエミ(初期記事・後編)
雑誌/演劇界 第21巻 第12号 昭和38年12/1発行 
 新宿コマ劇場・11月公演/チエミの100万人の天使 の記事を入手しました。

「江利チエミの孤軍奮闘ぶり」「江利チエミの素晴らしさ」が(逆に)偲ばれる記事ですので、なんの加工もせず、まるのまま引用します。

<マイ・フェア・レディ>でミュージカルタレントの第一線にのし上がった江利チエミを中心にした菊田一夫ミュージカルです。去年の秋、ここへ出て、とたんに芸術祭その他のご褒美を貰ったのですから、今年も相当の気の入れ方でした。果たして、景気は上乗…しかし、舞台の成果の方はどうも、もうひとつというところだったのは残念です。脚本・演出ともに今ひとつの練り方が足りなかったようでした。チエミ独りが光っていましたが…

伊志井寛、菅原謙二、茶川一郎、藤村有広、井上孝雄、筑紫まり、南風カオルといったミュージカルとは縁遠い顔ぶれのなか、従って音楽的に盛り上げるシーンは中野ブラザースとチエミのほかにない...といったことも批評されています。
また、(アニーよ...では客席の一部をオーケストラBOXにしつらえミュージカル対応で公演したのですが)新宿コマは「オーケストラボックス」がない!...という構造上ミュージカルに不向きの舞台。(丸い舞台の上にオケが配置はできますが...間口が広い円形舞台ですが、円形を3分割にしていること、四角じゃないから面積は意外と少ないこともミュージカル向きではない...そう私は勝手に思っています。しかし、舞台と客席が近い...というあの設えも逆にコマの魅力です。)
歌も伴奏も「テープ」になるのがあの劇場の常でした。この部分も「なまなましさの魅力に欠けた」という批評を受けています。
※もちろん、ステージにバンドが乗る...こともありました。これは後で「昭和41年/コマ公演」の話として掲載します。

※第一部の一場面は、中野ブラザースと江利チエミさんが「幾つかの音階の違う鈴を振って踊る(夕焼け小焼け...だったとか?)」シーンは圧巻だったそうです!
 ↑
※このステージ...見てみたかったです~!!

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2 コメント

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いつか見たかった夕焼け (RYOUTA)
2006-03-25 10:13:49
私、人間稼業とチーちゃんファンをやって馬齢ン十年ですが、告白ると恥ずかしながら「スター誕生」と「マイフェアレディ」とこの「100万人・・」は見ていません。

この「100万人」は当時評判がすこぶる悪く「A級タレントのC級舞台」とか書かれていました。作演出の菊田さんがアメリカ視察で、こう言った形式のステージがあるからと鋭意取り入れたと、当時の週刊誌に喋っていました。が、評判が良くないので「日本では未だ早すぎた」と、息巻いたとか。早いも何も未消化であったのは事実らしい。

このステージでは、チーちゃんは念願のミヤコ蝶々さんと共演予定だったけど、蝶々さんのスケジュールがどうしても1ケ月取れなくて実現せず、残念がっていました。これも週刊誌情報です。(共演は「私はカモちゃん」迄お預けとなりました。)中野ブラザーズとの音階の違う鈴で音を作りながら「夕焼け小焼け」を歌い踊った景だけは特に評判が良く、朝日新聞でも誉めていました。私が勤めていた会社の女性に「中野ブラザーズの追っかけおばさん?」がいて、彼女曰く、この景は中野とチーちゃんの共演の中のベスト1か2だそうです。が、同じ様なことを他でやった記録はないから、見た人は幸運だったのでしょう。見たかったナァ「夕焼け」。

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ミヤコ蝶々さん (う--でぶ)
2006-03-25 10:56:57
蝶々さんとのドラマ...

どうでしょう??私はどうも蝶々さんと「関東」は相性が悪かった気がします。

森田健作のオッカサン以外、蝶々さんはいまいち「関東の番組」や「舞台」では成功していないような気がします。



A級タレントのC級舞台

...厳しい批評ですね。菊田一夫さんはたしかに「独断で迷走していた」のでは?? 当時を知らない私ですがいろいろ前後の演劇史などを読むとそんな気がします。
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