江利チエミファンのひとりごと

江利チエミという素晴らしい歌手がいた...ということ。
ただただそれを伝えたい...という趣旨のページです。

◆ 三人娘誕生 映画・ジャンケン娘

2012年02月24日 | 江利チエミ(続編)

大人の事情で削除されてしまうまえに...

エンディング・シーン
サムネイル http://www.youtube.com/watch?v=zMDqsnAEbAQ

日劇「江利チエミの歌唱シーン」
サムネイル http://www.youtube.com/watch?v=XMw2EQiyBsw


江利チエミさんと三人娘
  江利チエミさんが「ありとあらゆるジャンルで活躍するルーツ」...

それはこのブログの初期に書き連ねていますが、
               私が力説したい部分を再掲載させていただきます...



美空ひばり・江利チエミ・雪村いづみで映画をつくれば大当たりするのは当たり前!
しかしそれには思いもかけない困難が待ち受けていました。

少し遅れてきたシンデレラ「雪村いづみ」に、新東宝の杉原貞雄プロデューサーからデビューの年の暮に映画主演の話が持ち込まれます。タイトルは「東京シンデレラ娘」...いづみさんも松竹の美空ひばりさん同様「娘十六ジャズ娘」「遥かなる山の呼び声」「乾杯!女学生」...新東宝の映画+唄という路線でアイドル路線を邁進していきます。チエミさんにも「母子鶴」などがありますが、なにせ本人が「映画・演技」に肯定的じゃない...チエミさんは「あくまで歌手」にこだわっていたのです。
雪村いづみの映画プロデューサー・杉原氏はやがて東宝の森岩雄氏に誘われて「東宝争議」の際に去った古巣「東宝」に復帰します。この前後から杉原氏は三人娘映画の構想をあたためていたようです。

しかし「大看板/美空ひばり」の専属「松竹」も当然考えは同じ!
その具体策の第一段階でひばり・チエミ・いづみを念頭に置いた中野実氏出筆の小説「ジャンケン娘」を「平凡」に売り込み29年6月から1年間にわたって連載を開始させます。その映画化権を勿論「松竹」が抑えます。
しかしそこには大きなネックが... 雪村いづみは「東宝と専属契約を結んでいて他社作品には出演できない。」(チエミはフリー。ひばりは松竹だが「なにしろ別格」なので他社に出られないことはない...)
一方、東宝の杉原は久保明、山田真二といった十代スターを配しての都会的な映画「風はなかない(仮題)」という映画の製作を決定し、ひばり・チエミと交渉に入る。

ひばり側(ママ・福島マネージャー)は、当時やや頭打ちの感があり「お祭りマンボ」「りんご追分」以来レコードセールスも不振で、映画の役どころも「時代劇」ばかりでイメージが固定されてきたひばりに「新境地開拓」をさせるいいチャンスと俄然「東宝」の企画に乗り気になります。
殺人的な当時のスケジュールも、撮影期間にあわせて8/19~9/16までの28日間を空ける事も快諾します。
この話を聞いていづみ側(木倉マネージャー)は小躍りした...と。
ひばりと共演できればいづみの前途にもスターへの道が開ける。チエミと肩を並べることができるかもしれない...と。

チエミ出演には「なんの障害もない」と思われていた。
しかし、チエミはがんとして首を縦には振らなかった...
その理由を後にチエミさんはこう「週刊朝日(30年11月13日号)」の誌上で語っています。
>あたしは映画が嫌いなんだ。顔はまずいし、芝居にもまるっきり自信がない。それに比べて、ひばりちゃんは50本、いづみちゃんは15~6本も撮ってる。あたしの経験は4本きり。それもちょいと唄う程度だろ。負けるに決まってる。絶対に嫌だと言ったんだ...

チエミNO!
しかし東宝の杉原に追い風が吹きます。
松竹の小倉武志プロデューサーはジャンケン娘を企画したもの、東宝では「「風はなかない」の準備に入っている。いづみ出演の可能性は無い...と壁に突き当たっていた。
そこへひばりの福島氏が「ジャンケン娘の権利を東宝に譲ってくれないか?」と圧力をかけます。
福島が運営する「新芸プロ」は、美空ひばりだけでなく田畑義夫・小畑実・堺駿二・山茶花究・丹下キヨ子・中村錦之助(萬屋錦之介)といったメンバーを抱える大組織になっていた。
松竹も「ひばり・福島」には逆らえない...

杉原はジャンケン娘の映画化権を手に入れ俄然張り切ります。風はなかないは中止...その監督をする予定の杉江敏男がメガフォンをとることになった。映画も「総天然色」で撮る!それまでひばりが出演していた映画は全て白黒だった...八田尚之にシナリオも依頼...
そのシナリオの第1稿を持って杉原は江利チエミのもとに乗り込みます。

前掲の「週刊朝日」から引用します。
>(記者:最後にかぶとをぬいだのは?)
国際劇場の楽屋。それまで杉原さんにはずいぶん泣かされた。あの人、熱心だね。プロデューサーはあれくらいでなきゃだめね。あたしの行く先々どこまでもついてくるんだもの。最後に監督の杉江先生と国際にやってきた。
(記者:杉原さん、なんて言った?)
あたしがこんな顔で使いもんになる?って聞いたら、「うん、面白い顔してんな。おれにまかしときい。引き受けた」というから、「よし、まかした」それだけさ。
杉原さん、ニコーっと笑ったっけ...

世紀の顔合わせ/ジャンケン娘 は、11月第一週から二週にかけて封切られました。
さきがけて10月28日、東京宝塚劇場で完成記念の有料試写会が催され当日は長蛇の列が... 試写会の盛況はそのまま興行成績に反映し、東宝は約2億の興行成績をあげます。(製作料は3千万、ギャラはひばり300万、チエミ200万、いづみ130万... 東宝の利益は莫大なものとなります。)

ひばりさんは低迷気味だった人気を回復。年齢相応の役どころ...という新境地も開拓します。
いづみさんはなにより2人の先輩と肩を並べることが出来た。
しかし、この映画で「3枚目」というそれまでのスターの演じられない「チエミならでは!」の役どころを見つけた江利チエミさんが一番の飛躍を遂げることになります。
このジャンケン娘の好演は、映画「サザエさん」との出会いにも繋がって行きます... 喜劇ができて3枚目もできるアイドル女性歌手...という「チエミの前にチエミなし」という強烈な個性をものにするのです。
この「ジャンケン娘」が歌手江利チエミが「歌手だけではとうてい納まりきれない才能」を開花させた「きっかけ」となったのだと思います。
メジャーデビューからまだ3年しか経っていない...昭和30年の事でした。

 A型:チエミさん B型:いづみさん O型:ひばりさん 
血液型も三人三様... B型のいづみさんがパイプ役になったことが三人娘誕生のキィ・ポイントだったともいわれます。

 <---週刊平凡(昭和30年正月)でのショット。偶然にもひばりさんはサインにこのジャンケン娘の翌年(31年)から江利チエミ最大の当たり役ともいえる「サザエさん」を書いています。いづみさんは自画像、チエミさんは「夢見る夢子」さんのイラストをモチーフにしたサインです。


平凡で企画され松竹で映画化が予定された「ジャンケン娘」...
しかし、雪村いづみさんは「東宝」と専属契約をしていた...
ひばりさん、チエミさんは比較的フリーな立場であったので「東宝」が名乗りをあげた...
ひばりさんが一番の難関と思いきや快諾... 
しかし何の障害もないと思われた「江利チエミ」はがんとして首を縦に振らなかった...
そこには「美空ひばりさん」との確執があった...
そしてなにより江利チエミさんは後年一番三人の中で女優業でも多岐にわたって活躍をするのですが「最初は演技をすることに消極的だった」... 

  さまざまな事柄があってこの映画「ジャンケン娘」は誕生したのです。

先日のBS朝日さんの番組...残念ながら間違いが多かったです。


下世話な話ですが、三人娘時代のギャラの話も過去に...
  http://blog.goo.ne.jp/udebu60827/e/1ca8fd91de7e1f7098bc5b6aa98dfc2b
     ↑
  こちらに掲載しています。


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1 コメント

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「よっちゃんのマニアック」ブログさんで... (う--でぶ)
2012-03-04 10:56:34
http://blogs.yahoo.co.jp/nsrpp579/61710669.html#61710669
  ↑
美空ひばりさん事務所サイドからの当時の経緯についてが記事にされています。
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