江利チエミファンのひとりごと

江利チエミという素晴らしい歌手がいた...ということ。
ただただそれを伝えたい...という趣旨のページです。

11)咲子さんちょっと 新妻に捧げる歌 そして赤帽かあちゃんまで

2005年05月13日 | 江利チエミ(初期記事・本編)

マルチタレントとして幅広い活躍をする江利チエミさんでしたが、歌手としても記念に残る足跡を残しています。
昭和36年2月20日...デルタリズムボーイズとのジョイントコンサートを産経ホールで。
演出・選曲...プロモーションも自身で勤めました。
また、先生・カールジョーンズ氏との原点に立ち返っての「ジャズ」LPもリリースします。
コマ劇場の座長公演、日劇「チエミ大いに歌う」も恒例の行事となります。
コマ以外の劇場では、マイフェアレディ、キスミー・ケイト(帝国劇場)の主演も勤めます。
また、映画でも山本周五郎原作「ちいさこべ」で中村錦之助さんと共演。京都市民映画祭で助演女優賞にも輝きます。
また、日本の芸能史に残る大きな足跡は、キューバン同様に信頼を置いていたバンド・原信夫とシャープス&フラッツとともに日本のジャズミュージシャンの代表として昭和38年6/8のカウント・ベイシー楽団ニッポンサヨナラ公演の舞台にたったことがあげられます。
ベイシーをバックに見事「我が恋はここに」「キャリオカ」を熱唱しました。

庶民的な江利チエミさんは、もうひとつの活動拠点...テレビでの活躍も受像機(テレビジョン)の一般家庭での普及に伴って多くなって行きます。
なんといってもチエミさんのお茶の間人気をより以上に押し上げたものに、TBSドラマ「咲子さんちょっと」があります。
第一クールは、36年10/2~38年12/30まで。好評を博したこのドラマは松竹で映画化もされました。
第二クールは、39年4/6~40年3/29まで... ハワイロケ・香港ロケ...と当時としては画期的な海外ロケもおりまぜて高視聴率を得た番組です。
このテーマは ♪ちょっと ちょっときて ちょっと待って ハ---イハ----イハイハイハイハイハイハイハイハイ 目が回る--- といった楽しい曲でしたが、咲子さんにはもう一曲のテーマ曲がありました。それは、松竹映画「咲子さん」の中で挿入歌として使われました。
当時の題名は「幸せをもとめて」...作詞/中村メイ子 作曲/神津善之。そう、これが「新妻に捧げる歌」なのです。第二クールの咲子さん...では、確かエンディングテーマとして使われたという記憶があります。39年シングルカットして発売され、オリジナルでの最大のヒット・ロングセラー曲となりました。
TBSドラマの曲...ということできっと遠慮をしたのでしょうか、39年紅白では木曾節を、40年は「芸者音頭」を歌っています。また40年、レコード大賞の歌唱賞にノミネートされるも、この年は司会ではありませんでしたが、(NHKを優先して?)大賞の方には出演を辞退しているそうです。

この後もテレビでは、咲子さんが終了後すぐ、40年4/5~11/2まで「チエミ大いに歌う」がスタートします。ワンマンショースタイルの歌番組で広いレパートリーからレコード化されなかった曲も多く取り上げてエンターティナー・チエミの魅力を思う存分発揮します。
この大いに歌うのあとは、あの「サザエさん」が40年11/19~42年9/29までオンエアーされました。
それまで映画の世界のフグ田サザエはブラウン管から全国のお茶の間に顔を見せるようになります。
41年の恒例の新宿コマ・江利チエミ特別公演のお芝居も「サザエさん」で、連日劇場は満員となります。
サザエさん終了のころ...
ちょうどこの頃からノドの異変に気がつきだしたようです。
しかし多忙なスケジュールから、ポリープ--->手術という最悪の結果に...

当時、歌番組のレギュラー・連続ドラマをもっていました。
それは42年10/6~26の「江利チエミと共に」、そして11/3~翌43年4/19までのドラマ「ちょっと待ってパパ」です。
仕事に穴は開けられない...チエミさんの責任感が「休む」とか「キャンセルして静養する」といった選択肢を簡単に選べなかったのでは?などと思います。テレビ以外にも東西コマの座長公演と...過密なスケジュールをこなしていた時期です。
また、当時...これは週刊誌でのインタビューなどに「なんとかヒットを!」とよく発言をしています。

42年のひとり泣く夜のワルツは13万枚...まずまずのヒットだったのですけどね。
最大のライバル・美空ひばりが40年「柔」に始まり 悲しい酒 真っ赤な太陽 と結婚・離婚のころのスランプを脱していた時にもかさなります...こういった神経面もノドに悪影響を及ぼしたのかもしれません。また週刊誌では40年頃から「夫婦仲がどうこう」という記述も増えてきていました...

この週刊誌ネタはさておき...
歌手が連続ホームドラマをやると歌が売れなくなるよ!...と水前寺清子がTBSドラマ「ありがとう」に主演するにあたってスタッフなどから苦言をうけた...というエピソードがあります。
これって...チエミさん?? 他にもコメットさんの九重さん...確かにあてはまります。
家庭的なイメージ・庶民的なイメージ...これがブラウン管から強烈なインパクトを持って日常家庭に映し出される。たしかに歌手にとって、マイナスな部分である...という見方が出来ます。
チエミさんの場合はそのイメージを逆手にとって「新妻に捧げる歌」というヒットが生まれます。
また、縁の無かった歌手としての受賞も、中村八大さんと臨んだ「ブラジル国際音楽祭」で最優秀歌手賞・ベスト歌唱賞を41年に「「私だけのあなた」で受賞しています。

しかし...これ!といったヒット曲を出せない(満足できない)時期を迎えます。
もっとベテラン顔してふんぞり返っていてもよかったのに...などと私は思うのですが、チエミさんは「慢心」ということが嫌いな人...歌手の世代交代...ポリープの手術...と、歌手・江利チエミにとっては受難の時期に入ってしまった...ともいえると思います。

女優・江利チエミは舞台でも数々の名演技をのこし数々の賞を受賞していきます。
ドラマもひっきりなしに主演を続けます。
単発ものドラマ、ゲスト出演は除いたTBS時代以降のチエミ主演ドラマを列記します。
女優江利チエミは様々な役どころをこなして行きます。
43年8/3~10/26 フジテレビ:あの妓ちゃん
  初出場の紅白で共演した三味線の名手・三味線豊吉の生涯を演じました。
43年12/2~翌44年5/26まで、高校教師に扮した「花子さん」
  生徒役で桃井かおりがデビューします。
バラエティでも44年NHK連想ゲームの紅キャプテンを勤めます。
44年10/5~翌45年3/29まで、歌手志望の娘を演じる「わたしはカモちゃん」
※この時期、チエミさんは火災で自宅全焼、ずっとチエミさんに寄り添ってくれた長兄の死、離婚、そしてあの義姉の横領事件...とさらなる受難に見舞われます。
この一連の事件の前後も舞台、コンサートと積極的な活動を続けていました。歌番組...これもミュージックフェアや夜のヒットスタジオ...と歌手活動もきちんとこなしていました。
事件渦中の46年「旅立つ朝」は、そこそこのヒットになりました。

義姉の事件や離婚...様々な問題を抱えながらもまた精力的な芸能活動を再開します。

48年今度は10ch(現/テレビ朝日)に局を変えて「黄色いトマト」を好演。5/17~8/30まで。
 --->マイフェアレディの舞台を横浜・山手に置き換えたようなチエミさんらしいドラマでした。
またこの年から、TBS「みんなで歌おう73」の司会+歌をレギュラーで75(昭和50)年まで勤めます。
49年3/28~8/29は黄色いトマトと同様、ナショナルゴールデン劇場・野菜シリーズ「ねぎぼうずの唄」に主演。
この年の終わりに発売した「酒場にて」も好評!久々のヒットとなりました。
50年上半期の有線大賞では最優秀敢闘賞を受賞しました。当時のアイドルらとベスト30歌謡曲...などヒット歌謡番組にもスケジュールをさいて精力的に出演していました。
久々のヒットも飛ばした50年は、ドラマでも古巣のTBSに戻り木曜ゴールデンタイム20:00~「はじめまして」で移動布団洗濯屋さんの未亡人を演じます。(5/1~9/25まで)長男役は、後にもののけ姫のアシタカの声で声優としても大成した松田洋治さんが演じていました。
続いて、同じTBS日曜の夜のドラマ「妻のあした」にも10/5~12/20まで主演をします。
また、52年には日テレで昼の時間帯の毎日放映されるドラマ枠(13:30~55まで)にも挑戦します。
「赤帽かあちゃん」(8/29~10/28.まで)戦前--->戦中---->戦後を、山梨・下部温泉の女中さん、平和主義者との結婚、夫の戦死...一人息子をリンタクの運転手・身延線/下部温泉駅の赤帽と働きつづけて育て上げ、最後は交通事故死をしてしまう実在の女性「内海かな江さん」をほとんどノーメイクの体当たりで演技し、好評を得ました。(先にこの作品は、「女赤帽物語」として清川虹子さんの主演によって新宿コマで上演されました。チエミさんが存命だったら舞台にかけてロングランが出来たろうに...と、今でも残念でなりません。原作著書名/女侠曼荼羅 今もあるでしょうか?JR身延線/下部温泉駅にはチエミさんと清川さんのドラマでの2ショット写真が飾ってありました。)

このころ、コマの公演以外の「実演」では、再びブームを迎えた「ジャズコンサート」への歌手としての参加も精力的にこなしています。全国巡業もこなしました。
そうそう!ステージといえば酒場にてが久々にヒットチャートを上昇した50年。雪村いづみさんとのジョイントコンサート「ミュージカル・タイトルマッチ」での全国縦断公演も大成功を収めます...横浜をかわきりに上野、大阪...中野サンプラザではアンコール公演も開かれました。

あのころ...原点に返って「やっぱりジャズが歌いたい!」...チエミさんはやはりそう思いだしていたようにも、私は感じていました。

30年代後半~50年ころまで、チエミさんにとって波乱万丈の10年ですが、少し矢継ぎ早に書き込んでしまいました。

新妻に捧げる歌
 https://www.youtube.com/watch?v=0sXlFeRA1Uc
咲子さんちょっと
 https://www.youtube.com/watch?v=lXQb90S2Wms
サザエさん
 https://www.youtube.com/watch?v=Sb8HVEImqac


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2 コメント

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役者であること歌手であること (のんの妻)
2005-05-24 17:07:20
もっとベテラン顔してふんぞり返っていてもよかったのに...>確かにチエミさんの実力と功績から言えばそうであってもおかしくはないんですよね。でもチエミさんとは遠くかけ離れた図だ(笑)こうやって見ると改めてドラマで活躍していたことが伺えます。イコール、どれだけ役者として制作者からも視聴者からも愛されていたか、としみじみ思います。

チーちゃんの歌手としての素晴らしさは、役者でもあるということに大きく起因していると思います・・・ってのはわざわざ今更ですけど。

今振り返ると、こんなに愛された(それはもちろんドラマの成功という意味でも)女優さんって他にいるのかなあ~って思ってしまいました。



あ、リンクさせていただきました~!!ありがとうございます。
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こんなトコで本当に...いいのでしょうか? (う---でぶ。)
2005-05-24 19:33:44
こんなblogをリンクしていただき...なんだか照れくさいです。

ここにはリンク欄がない(?)ので、のんの妻さんをクリックしてHP「こんな妻あんな夫」さんの子育て奮戦記録をご覧になられてください。

旦那様はも「相当なチエミさんファン」です。

これからも「布教活動」頑張りましょうね(笑)。
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