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この章でRYOUTAさんが「熱いコメント」を頂戴しました。
>大昔、安部寧さんが書いた本の中に「チエミやいづみが、石井好子やペギー葉山と決定的に違うのは好子さんやペギーが“アチャラの歌の方が何となくハイカラで垢抜けているから”と言う動機から歌い出したろうし、もっと言えば“ちょっとハイソざぁます”と言った気持ちが見え隠れするが、チエミやいづみは切実に“生活の為”と言う動機があり、それが進駐軍で歌うキッカケになって、現在でも歌のバックボーンになっている」と喝破している件がありました。
好子さんもペギーも進駐軍で歌ったかも知れないが、お嬢さんが外人の前で歌った、と言ったニュアンスはあったでしょう。
でもチーちゃんが必死で覚えたアメリカの歌が「外人」に受けて、それが結果として誰かに似も、非難されることでは決してない、と私は信じている。
必死で覚え、必死で歌い、一生懸命広めた、後に続く人達を牽引するチーちゃん達が居たから今日のポップス界があると思います。是非うーーでぶさんに探して欲しいものの中に、ペギーのご主人で先日物故された根上淳氏が書いた文があって、根上さんが日本に来たエラの楽屋を訪ね(エラとは旧知の仲らしい)、色々話した最後に「私を訪ねジャズを熱心に勉強していた女性は?」と消息を尋ねたと言う。
チーちゃんのことだったそうだ。彼女は亡くなりました、と言う根上氏の言葉にエラは絶句し、しばらく黙って、涙ぐんでいた、とありました。記憶に間違いなければそんな文章だった。
是非この元の正しい記述を皆さんに教えて上げたい!
◆そこで今日はこの記述の部分を抜粋してご紹介いたします。
代々木上原めおと坂 (根上淳・ペギー葉山 著)P100~引用。
>昭和57年2月、先輩、志村喬さんの訃報を聞いた僕は、出演映画のアルバムの中から、志村さんと共演させていただいた数々のスチール写真を探し出して、カミさんと夜遅くまで思い出話をしていた。そのアルバムの隣のページに偶然「猛獣使いの少女」のスチール写真が貼ってあった。
「チエミどうしているかな」
「そうね、ずいぶん会わないわね」
不思議なことに、チエミちゃんが不慮の死に遭ったのは僕らがアルバムをみていたちょうど同じ日の同じ時刻だったそうである。
(中略)
その翌年・・・日本公演の楽屋でエラ・フィッツジェラルドに会った。
「私の歌を勉強していた日本の歌手はどうしていますか」
「彼女は今夜来られないんです。昨年アクシデントで亡くなったのです。」
エラはほとんど視力を失っていた目に涙をいっぱいためて、「オー、ノー」と言ったきりいつまでも下を向いていた。
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チエミさんとエラの初対面は、初めての渡米、昭和28年4月9日のこと。
その後もエラの来日のたびに顔をあわせていたそうです。
NHKで、エラの番組があって、そこでゲストがチエミさんで、通訳なしに談笑している場面を見た記憶が私にはあります。(昭和43年頃ではなかったかと・・・)
トップ画像は、「夢みる夢子さんの漫画モチーフではないパターンの初期の江利チエミさんのサイン」です。
なにかの本で読んだのですが、最初にエラが チエミさんのレコードを聴いた時「あらやだ、この子あたしじゃない!」と叫んだとか。そしてその後のご対面ですっかり チエミさんと意気投合したとか。
エラをもうならせた日本のジャズ歌手江利チエミです。
エラ・フィッツジェラルドのことを、ラジオでチエミさんが「離婚して、喉もつぶして・・・それでも見事に復活して...」と語っていたことがありました。
自分とオーバーラップさせていたのだな~と... 目標だったのですよね!尊敬しておられた。
を探して下さって、掲載ありがとうござんした。「さすがキサン!」とチーちゃんなら言ったことでしょう。パチパチ!
ちょいと皆さん、お目々を拝借!昔、アーサーキットが来日し、コンサートをしました。あの「ウスクダラ」のアーサーキットです。
そこで彼女は「カモナ」を歌いました。演奏は♯&♭でした。
編曲は福井利雄氏のチエミ10周年LPのバージョンでした。
日本語訳も入れて歌ったと思います。これが見事にチエミそっくりでした。チーちゃんのレコードを聴いて日本語を覚えたのかも知れません。演奏もアレンジもチーちゃんのものと同じだったから、余計そう感じたのかもしれません。もしアーサーやサラ
ヴォーンが「さのさ」を歌ったら、彼女達は楽譜を見て「nandanandane-」といきなり歌うでしょうか?やはりチーちゃんの歌とかを聴くと思います。モンタンが歌うとすれば三亀松さんとかを
聴くでしょう。最初は似るのは仕方がないのではないでしょうか?そしてそれは、恥ずかしいことでもなんでもないのでは?と思いますが、いかがでしょう?チーちゃん程の実力と見識がある歌手が、「似ている」「そっくり」と言う「批判」も知っていた筈です。敢えて記載しませんが、私も意地の悪い記事を読んだ記憶があります。しかし彼女は知っていて変えようとしなかったのです。変えれる力は十二分にある人ですから。そして彼女は「江利・フィッツジェラルド」であることに誇りを持っていたと思います。
笈田敏夫さんのリサイタルに応援に行って「鼻のお六、よりジャズやろうヨ、チーちゃん」と言われていました。鼻のお六の頃のことです。「江利・フィッツジェラルド」の実力を仲間も認めて
いたのです。私はそう言うチーちゃんのファンの1人です。そしてファンであることに、誇りを持っています。(意あって言葉が足りない恥ずかしい文章ですが、お許しあれ)
探しているんですよ、ずいぶん前から...
でも、見つけたとしても...高そうですよね。
http://www.kitake.com/sdejavu/sdsound/usukadara.mp3