江利チエミファンのひとりごと

江利チエミという素晴らしい歌手がいた...ということ。
ただただそれを伝えたい...という趣旨のページです。

【270】 代々木上原めおと坂 (2)

2006年04月19日 | 続・江利チエミ(初期記事・後編)

青山学院女子高等部2年の夏休みに兄の参加していた「学生ジャズバンド」の歌手としてして進駐軍キャンプで歌い始めた・・・ これがペギー葉山さんのスタートでした。
ペギーさんはチエミさんより4歳、学年では3つお姉さんです。
高校を卒業し、ディーブ釜萢(かまやつひろしの父、森山良子の伯父)さんの紹介で、昭和26年の12月からペギーさんは新橋・第一ホテルで「渡辺弘とスターダスターズ」の専属歌手として歌いだします。

そんなペギーさんでしたが、毎週土曜日の夜の「ビッグ・ショウ」がとっても憂鬱だったのだとか・・・
そのわけは・・・ その日は場内のお客さんをすっかり「かっさらっていってしまう少女歌手が出演するから」だったそうです。
(P102~ .ライバルは江利チエミ より)

>彼女が嵐のような拍手とアンコールの受けて引き上げていったあと、ダンスバンドの歌手として歌うわたしはとてもみじめで・・・ とペギーさんは書いています。

>・・・なるべく彼女と顔を合わさないようにしていましたが、ある日、ショウのはじまる直前のトイレの中でバッタリと逢ってしまいました。化粧直しをしていた鏡の中に突然彼女が飛び込んできたのです。
「うわ-- トイレ行きたい!あっ あなたペギー? あたし江利チエミよ、よろしく。 あなたここで歌ってるんでしょ? とてもうまいんだってね」 彼女の目はまさしくライバル意識に燃えていました。・・・

恵まれた四谷のサラリーマン家庭に育ったペギーさんには、「客席からどんなに下品なヤジが飛んでこようとも動ずることなくサラッと受けてたつ言葉がついてでる”芸人の娘”江利チエミ」は、別世界のひと・・・だったのです。
しかし、その後・・・楽屋のお風呂で背中の流しっこをしたり... 二人の距離は縮まっていきます。「わたしはワタシ チエミはチエミ」とペギーさんは思うようにしたのだそうです。

チエミさんが亡くなる3月前、ABCラジオの開局記念番組「懐かしのジャズ・ポップスメドレーを歌う企画」で二人は共演しました。
その時チエミさんはペギーさんにこう語ったそうです。

>ペギーはいいわねぇ、子供が居て。子供って可愛いでしょ? 私も子供ができていたら、ちょうど山口百恵さんぐらいの年なのよね。 子供... 欲しかったわ・・・
 子供に関しては、ペギーに負けたわ... 彼女は淋しそうに笑いました。

    ペギーさん近影


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2 コメント

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Unknown (じぇらるど)
2006-04-20 00:31:01
う--でぶさん、お久しぶりです。

18日と19日のエラと百恵さんの記事は8月にコメントしたときに、まさに私がお伝えしたかったことでした。



エラは来日した時に、一日中ホテルでテレビの歌番組などをを見ていたそうで、和田アキ子さんの歌が大変気に入り、関係者にレコードを買ってきてもらって持ち帰ったそうです。その番組にチエミさんが出ていたら、と思うと残念です。



いつも、珍しい写真を紹介して下さっていますが、エラとチエミさんが一緒に写っている写真は持っていますか?

私は、1953年に羽田へ出迎えに行った時の写真(小野満さんやジョージ川口さんなども一緒の)が大好きで、額に入れて飾ってあります。とてもいい写真ですよ。
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こんにちは!! (う--でぶ)
2006-04-20 06:36:36
わたしの写真は「レコードのライナーノーツ」やら「週刊誌/パンフ」なんかが殆ど... その写真はありません。

これからもいろいろと教えてくださいね!!
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