日伊相互文化普及協会 HPはこちら
6月のルッカ商工会議所公式招待視察は定員を満たしました。
定員を超えた応募がありましたので、今後のキャンセル待ちは受け付けておりませんのでご了承ください。
10月にはオルヴィエートのスローフード祭参加を予定しています。今年もスローフード祭の翌々日のジャパンフェスタで、日本食を紹介する予定です。
プログラムが決まり次第、ブログとHPにて日時の発表をいたします。
定員は12名ですが、すでに6名の予約が入っており、現在6席があります。
さて、イタリアの子供たちの味覚体験のお話です。
半年に一度、担任の先生に引き連れられ子供たちは目いっぱいのおしゃれをして、最高級ランクのレストランで食事をします。
対象となる年齢は10歳くらいから16歳くらいまで。
食事の代金は1人2万円くらいでしょうか。
ですが、それらはレストランの経営者と子供たちが住んでいる地域の自治体が負担をします。
親には負担がかかりません。
ある北の地域ではスローフード協会も何パーセントかを出すこともあります。
そのレストランではすばらしい食材を使っていて、値の張る贅沢品も揃っています。
シェフは全国に名の知れた敏腕シェフ。
そのシェフは他の客同様、子供たちにも礼儀正しく接して、「本日の料理」の説明をします。
子供たちはここで食べたスズキの旬がいつかを絶対に忘れないでしょう。
添えられたハーブが料理と健康にどのように作用するかも。
他の客を見ながらお行儀も考えるでしょう。
学校の机の上で、ビタミンがどうだこうだと聞いているよりいいんじゃないでしょうか?
イタリアでは本物を覚えるのは早いほどいいといいます。
こういったレストランには本物の美術品も飾られています。
味覚も感性も育つのではないでしょうか。
日本では「子供のうちからこんな美味いもんをくわせたら先が大変だ」などと言う人がいます。
「どうせ子供なんだから」と適当にあしらう人もいます。
20、30代で財布とにらめっこをしながら、背伸びして高級レストランで食事をするより、子供のうちに美味しいものやドキドキするものに出会った方が、ずっと多くの事を吸収出来ると思います。
日本でスローフードという言葉が広まってから、子供の食育などに力を入れる学校や団体が出てきました。
ですがそれらはビタミン講座、芋ほり体験、収穫の手伝い、etc・・・
「静かにしなさい」、「ノートをとりなさい」と先生の厳しい指導にさらされて、後日宿題のレポートを提出させられます。
これでは、どんなに意味のある事を体験したとしても、「提出課題」としか子供達は印象を持ちません。
“楽しく”ないのですから“また行きたい(学びたい)”とは思わないでしょう。
給食の話に飛びますが、日本の学校では給食の量は均一によそって、「残したらいけません」といいます。
イタリアではよそうときに「クアント(どれくらい)?」と聞きます。
残しても何もいいません。
「あっ、それ入れないで」と子供が苦手なものを言えばお皿には入れません。
「甘やかしなのよ」と言う日本人は多いでしょう。
食卓はリラックスの場です。
自分の胃の許容量を超えたものを食べるよう、また苦手なものを食べるように強要されるのは苦痛なことであって、もはや団欒ではなくなってしまいます。
胃袋にはその日のコンディションがあり、許容量もそれぞれ違います。
前夜に天麩羅をたくさん食べた子供が、学校の揚げ物を残したくなっても当たり前のこと。
休み時間にサッカーをする子供と、窓から紅葉を眺めている子供も食べる量に差があります。
でも日本では何でも均一にするのが平等だと思うのでしょう、子供たちの内面的な都合は見ないことにしているようです。
一昔前の経済的に貧しかった頃のイタリアの孤児院や刑務所は均等盛りでした。
孤児や服役者は均等盛りを全部食べてもまだお腹が減っていました。
好き嫌いについても日本の親は深刻になります。
イタリアではほとんどといっていいほど気にしません。
なぜなら大人になる頃には何でも食べるようになっているからです。
大人になっても嫌いなものはもうそれでいいのです。
子供が苦味のある野菜や酸味のある料理が好きではないというのは理にかなっています。
子供は代謝が盛んなので、大人が好むものを摂らなくてもすむようになっています。
人参やニガウリ、ピーマン、酢の物を普通に食べる子供はいいとしても、それらが大好物で、むさぼり食べるという子供は病院へ連れて行って健康検査をすることをお奨めします。
食卓はリラックスの場。
楽しく過ごしてこそ情緒が安定、感性が豊かになるのだと思います。
また話は変わりますが、日本ではスローフードという言葉を知っている人が多くなりました。
ところが本家のイタリアでは知っている人はとっても少ないんです。
スローフード協会本部のある地域は別として。
トスカーナの丘の上のホテルに泊まったとき、夕食のテーブルでホテルウーマンが食材について説明をしてくれました。
野菜は全て無農薬有機栽培、農法にも特別な工夫をしているそう。
家禽も餌は全て自然のもの、飼育も自然で薬品なども与えていない。
「さすが、スローフードをしっかりやってるんですね」と我々のメンバーの一人が言ったところ、ホテルウーマンはきょとんとしました。
「スローフードを知らないって? あなたたちが作ったんでしょ」とホテル中の人たちに聞いてみても誰一人スローフードを知りませんでした。
翌朝、そのホテルウーマンが「ズローフッド、分かったわ、あちこちの友達に電話できいたのよ」。
空港の出入国係員たちも知りませんでした。
係員が私に話しかけてきて、私の会話の中にスローフードという言葉が上りました。
「なにそれ?」と係員に聞かれ、「あなたたちが始めたスローフードよ」と私。
その係員は周りにいる係員たちにスローフードを知ってるかと聞きましたが、誰一人知りませんでした。
南へ行くと知っている人は公共関係の人でもまばらで、一般では生産者であろうとアグリトゥリズモであろうと皆無といっていいでしょう。
ちなみに、検索サイトで“Slow Food”と検索してみてください。
トップに来るのはスローフードインターナショナル。その次は日本のサイトです。
検索結果の1ページ目は日本のスローフードが非常にたくさん目に付きます。
それ以外はアメリカ、イギリス、カナダ・・・
言っちゃなんですが、スローフード、という言葉とあまり結びつかなそうな国ばかりですね。
本家(?)のイタリアはなんと、検索結果の8ページ目にやっとこさ現れました。
日伊相互文化普及協会 Emi
6月のルッカ商工会議所公式招待視察は定員を満たしました。
定員を超えた応募がありましたので、今後のキャンセル待ちは受け付けておりませんのでご了承ください。
10月にはオルヴィエートのスローフード祭参加を予定しています。今年もスローフード祭の翌々日のジャパンフェスタで、日本食を紹介する予定です。
プログラムが決まり次第、ブログとHPにて日時の発表をいたします。
定員は12名ですが、すでに6名の予約が入っており、現在6席があります。
さて、イタリアの子供たちの味覚体験のお話です。
半年に一度、担任の先生に引き連れられ子供たちは目いっぱいのおしゃれをして、最高級ランクのレストランで食事をします。
対象となる年齢は10歳くらいから16歳くらいまで。
食事の代金は1人2万円くらいでしょうか。
ですが、それらはレストランの経営者と子供たちが住んでいる地域の自治体が負担をします。
親には負担がかかりません。
ある北の地域ではスローフード協会も何パーセントかを出すこともあります。
そのレストランではすばらしい食材を使っていて、値の張る贅沢品も揃っています。
シェフは全国に名の知れた敏腕シェフ。
そのシェフは他の客同様、子供たちにも礼儀正しく接して、「本日の料理」の説明をします。
子供たちはここで食べたスズキの旬がいつかを絶対に忘れないでしょう。
添えられたハーブが料理と健康にどのように作用するかも。
他の客を見ながらお行儀も考えるでしょう。
学校の机の上で、ビタミンがどうだこうだと聞いているよりいいんじゃないでしょうか?
イタリアでは本物を覚えるのは早いほどいいといいます。
こういったレストランには本物の美術品も飾られています。
味覚も感性も育つのではないでしょうか。
日本では「子供のうちからこんな美味いもんをくわせたら先が大変だ」などと言う人がいます。
「どうせ子供なんだから」と適当にあしらう人もいます。
20、30代で財布とにらめっこをしながら、背伸びして高級レストランで食事をするより、子供のうちに美味しいものやドキドキするものに出会った方が、ずっと多くの事を吸収出来ると思います。
日本でスローフードという言葉が広まってから、子供の食育などに力を入れる学校や団体が出てきました。
ですがそれらはビタミン講座、芋ほり体験、収穫の手伝い、etc・・・
「静かにしなさい」、「ノートをとりなさい」と先生の厳しい指導にさらされて、後日宿題のレポートを提出させられます。
これでは、どんなに意味のある事を体験したとしても、「提出課題」としか子供達は印象を持ちません。
“楽しく”ないのですから“また行きたい(学びたい)”とは思わないでしょう。
給食の話に飛びますが、日本の学校では給食の量は均一によそって、「残したらいけません」といいます。
イタリアではよそうときに「クアント(どれくらい)?」と聞きます。
残しても何もいいません。
「あっ、それ入れないで」と子供が苦手なものを言えばお皿には入れません。
「甘やかしなのよ」と言う日本人は多いでしょう。
食卓はリラックスの場です。
自分の胃の許容量を超えたものを食べるよう、また苦手なものを食べるように強要されるのは苦痛なことであって、もはや団欒ではなくなってしまいます。
胃袋にはその日のコンディションがあり、許容量もそれぞれ違います。
前夜に天麩羅をたくさん食べた子供が、学校の揚げ物を残したくなっても当たり前のこと。
休み時間にサッカーをする子供と、窓から紅葉を眺めている子供も食べる量に差があります。
でも日本では何でも均一にするのが平等だと思うのでしょう、子供たちの内面的な都合は見ないことにしているようです。
一昔前の経済的に貧しかった頃のイタリアの孤児院や刑務所は均等盛りでした。
孤児や服役者は均等盛りを全部食べてもまだお腹が減っていました。
好き嫌いについても日本の親は深刻になります。
イタリアではほとんどといっていいほど気にしません。
なぜなら大人になる頃には何でも食べるようになっているからです。
大人になっても嫌いなものはもうそれでいいのです。
子供が苦味のある野菜や酸味のある料理が好きではないというのは理にかなっています。
子供は代謝が盛んなので、大人が好むものを摂らなくてもすむようになっています。
人参やニガウリ、ピーマン、酢の物を普通に食べる子供はいいとしても、それらが大好物で、むさぼり食べるという子供は病院へ連れて行って健康検査をすることをお奨めします。
食卓はリラックスの場。
楽しく過ごしてこそ情緒が安定、感性が豊かになるのだと思います。
また話は変わりますが、日本ではスローフードという言葉を知っている人が多くなりました。
ところが本家のイタリアでは知っている人はとっても少ないんです。
スローフード協会本部のある地域は別として。
トスカーナの丘の上のホテルに泊まったとき、夕食のテーブルでホテルウーマンが食材について説明をしてくれました。
野菜は全て無農薬有機栽培、農法にも特別な工夫をしているそう。
家禽も餌は全て自然のもの、飼育も自然で薬品なども与えていない。
「さすが、スローフードをしっかりやってるんですね」と我々のメンバーの一人が言ったところ、ホテルウーマンはきょとんとしました。
「スローフードを知らないって? あなたたちが作ったんでしょ」とホテル中の人たちに聞いてみても誰一人スローフードを知りませんでした。
翌朝、そのホテルウーマンが「ズローフッド、分かったわ、あちこちの友達に電話できいたのよ」。
空港の出入国係員たちも知りませんでした。
係員が私に話しかけてきて、私の会話の中にスローフードという言葉が上りました。
「なにそれ?」と係員に聞かれ、「あなたたちが始めたスローフードよ」と私。
その係員は周りにいる係員たちにスローフードを知ってるかと聞きましたが、誰一人知りませんでした。
南へ行くと知っている人は公共関係の人でもまばらで、一般では生産者であろうとアグリトゥリズモであろうと皆無といっていいでしょう。
ちなみに、検索サイトで“Slow Food”と検索してみてください。
トップに来るのはスローフードインターナショナル。その次は日本のサイトです。
検索結果の1ページ目は日本のスローフードが非常にたくさん目に付きます。
それ以外はアメリカ、イギリス、カナダ・・・
言っちゃなんですが、スローフード、という言葉とあまり結びつかなそうな国ばかりですね。
本家(?)のイタリアはなんと、検索結果の8ページ目にやっとこさ現れました。
日伊相互文化普及協会 Emi
ここトラーパニには「給食」がありません。まだまだ、住職が近いここでは、1:30に学校が終わり、みんな家で昼食を取ります。「仕事があるのに困るわ~」という主婦も増えてきていますが、、、がんばれお母さん!
そうですね。
日本のスローフード運動で言われている事は、イタリアでは自然にやってますよね。スローフードを知らなくても。
日本ではスローフードが特別な事になってます。
これって自然からかけ離れた環境にいることを証明していることのような気がします。
>20、30代で財布とにらめっこをしながら、背伸びして高級レストランで食事・・・
これ私ですw 自治体の補助・レストランの協力という考えはすばらしい。要らない道路にどうやって予算つけるかばかり考えないで、素敵なお金(我々の血税)の使い道をしてほしい。
ところで、食事もそうですが、楽しいことが一番ですよね。
心の安定が感性を磨く。納得です!
※日本は一人で食事してる人が外国に比べると多い気が、、、
強制的にさせられたり、無理な均一化って本当に没個性につながります。
とはいえ、出る杭は打たれやすい環境である、わが国日本。いろいろ考えさせられました。
あぁ、、、去年の今頃はイタリア行く準備してたなぁ、、、ルッカ懐かしいですw
出る杭を打つ日本人、出る杭をおもしろがるイタリア人・・・・。
私も楽しいのが一番だと思ってます。
今頃のルッカ、お花で溢れてますよ。