無名時代に尽してくれた妻を捨て、ベッキーに乗り換えようとした「下司男歌手」を、私の「下司な考え方」から分析してみました。
何故か?
そうですね。
カネにならない妻より、ベッキーの方が世間に知名度があり、いい金蔓(かねづる)になり、旨い汁が吸えるから、じゃないですかねえ。
まあ、こんな「歌屋集団」に、ギャーギャー喚き現を抜かす連中も、やはり「下司なフアン最低集団」としか思えませんよ。
それにしても、大変な不道徳行為として、金銭的にも被害をこうむったベッキー、自業自得と言うには可哀想ですね。
「好きだ」と言われて下司の実家だかに招かれ、のめり込みましたが、果たして人間としてのベッキーが好きなのか、ベッキーの持つ人脈、或いは金銭的利用度とかが好きと言うのか、果たしてどっちかなあ。
こういう場合、常識なら実家だかに連れて行き、紹介するのは結婚が前提だと、解釈するのではないでしょうか。
若しかして結婚詐欺くらいは、平気で行いかねない・・・
とまで疑ってしまいますがね。
何れにしろ、「下司」は所詮「ゲス」に過ぎません。
まともな人間社会では、及びもつかないことをするのが、こういうゲスでしょう。
散々考えた末、こういう「下司」な結論に達した次第です。
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