たわ言

思いつくまま

慈母観音

2009-11-21 18:48:29 | 日記
21日
昨日、うららさんから新聞に投稿し、入賞して載った記事の数々が送られてきた。よくもなあこれだけ、本当に偉いやつや。おれなんか悪行を重ね地獄に落ちること必定の人間、足元にも及ばない。その思考は慈母観音だ。よくもこんな人、どうして出来たのだろうか。父母の訓育だろうな。これを私してよいのだろうか。
 内容は小出しにしてプライバシイに反しないところでぼつぼつと。
夕方は寒くなった冬の到来はすぐそこにきている。  まいる
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ご回在

2009-11-19 16:52:20 | 日記
19日朝
 先日、称光寺へ立ち寄り、特別行事「数珠くり」に参加させてもらった。その際役員の方が檀家の皆さんに「ご回在が午前6時ごろに着かれるから、5時半には集まってほしい」と云われていたので、またとない機会だから、見せて貰おうと、6時前に着いたがご回在の読経は終りに近かった。読経が終わると箱に納め、その箱をお参りの檀家の皆さんの背にいちいち当てられる。境内にいた私も当てて戴き、有難いことであったと思っている。 
 ご回在とは、融通念仏宗だけの他宗にはない特異な行事で、大阪平野の本山・大念仏寺の御本尊・十一尊天得阿弥陀如来像の掛け軸を黒塗りの木箱に納め、奉持して、末寺でその掛け軸を掛け、法事を行い。その箱を持って檀信徒の各家を回られるという、出張形式の行事と云うか。ご本尊自らお出ましの今はやりの宅配便である。記録ではっきりしているのは大念仏寺第36世道和上人からで、四百年も続いている行事だという。こういうのは無形文化財にならないのか。    まいる 
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寒い日、何をして過ごすか。

2009-11-18 19:42:56 | 日記
朝は快晴だったのに時間の経過とともに
徐々に冷えてきて昼過ぎには、一ひら二ひら舞っているのは雪だった。こう云うのは雪と云えるのだろうか。身体は寒さに付いていっていないので寒さが堪える。冬の到来をどうしたらよいのか。
 70有余年生きてきたのだから、何とかなると思っているが寒さがこたえる。
畑にいけず、歩く会のレジュメづくりで一日を過ごした。
 寒くとも豌豆は芽を切ってきた。植物の方が気候を読んでいるのかも、
 明日は玉葱の定植をしたいが、天気が大丈夫だろうか。   まいる 
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巻向遺跡見学 その2

2009-11-16 11:39:05 | 日記
16日
昨日、巻向遺跡で桜井市教委の腕章を巻いたがっちりした体躯の人と、しばらく巻向の古墳群と中心建物について話をしていた。そのうち、剥ぎ取った土の山に登って写真をとる人がいたので注意をしに行かれたので別れた。もう少し話がしたかったのにと思って帰路についた。帰りの電車、バスの中でどこかで見た顔なのに思い出せない。
 どこの発掘現場か、まほろば講座か、ウォークか、桜井市教委の人に心当たりがないし、思い出せない。もやもやを抱えて、夕食・就寝。
 夜半に目を覚まし、もやもやを考えていた。もしや、考古学の好きな俳優じゃないのかと、インターネット「考古学愛好 俳優」で検索した。この顔だ。アマチャ考古学者 苅谷俊介だった。
 彼はずっと巻向遺跡で発掘に通い続け、著書もあって『まほろばの歌が聞える』で王宮にこの場所を指摘していたとのこと。児玉清も同様、桜井市教委の腕章を巻いて案内に立っていたということである。それと判ればサインを貰っておくのに。
 しかし、分っていたら、緊張してそんな話は弾まなかったと思う。周りの人も誰も気づいていなかった。女の人で「私はボランテァで」とおっしゃる人に出会ったが、沢山の人がボランテァで来ていると思ったが、まさか。       まいる
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巻向遺跡見学

2009-11-15 15:21:10 | 日記
15日
巻向遺跡の現地説明会は10~15時までだったけど、9時までに着くように家を出た。この種現地説明会は1時間前に着く事に限る。
 昨日のような天候でも6千人が来たと係員、朝までの雨であったので受付前は水が溜まり長靴でないと歩けなかったとか。
 今日は晴の予報から係員は7時30分集合、予定を繰り上げ8時から受け付けたとか。 天理からのJRは満員、先を競って受付へ、以後スムーズに見学できた。
 1回の見学人数の制限によって、同じ電車でも後の方の人は、次か、その次の回となる。飛鳥にしろ、この線はカードで入ったらダメ、切符を買わないと早く出られない。
 現場は柱跡にビニールパイプを立て太い32cmは柱、16mは束にあたるらしい。建物は南北4間(間は柱と柱のあいだ)東西4間、19.2m×12.4m東西の柱の間隔は短いという。土器などの年代から3世紀初頭の建物跡、まさに女王卑弥呼の時代の建物である。誰が、何をした建物か判らない。新聞にはいろいろ推測を書いているが、今後の課題という。
 着く電車、帰りに出会う電車も超満員、臨時電車を走らせているらしいが、所詮は単線、すれちがえる駅は桜井・三輪・天理ぐらい、上りが遅れれば、必然的に下りも遅れる。JRの事務系職員も動員して、駅の整理に当たっているとのこと。次は大晦日と3カ日ですねと動員された駅員の話。
 早く帰ったので、西大寺にあるお寺へ調べごと、丁度数珠繰りをやっていた。数珠繰りの輪にいれてもらい体験。これが何百年も続いて来たのだと感心。
                                  まいる
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