曇りがちながらも一日もった。もちろん一日中畑仕事、何をしたのか、草を刈ったり、耕したり、草を削ったり。邪魔になる野菜を植え替えたり。じゃが芋の補植した畝にマルチ掛けしたり。 まだ畑では湿気が多い。 だのに今夜から明日の朝にかけて雨がくるとの予報。 こんなに春先に雨続きは珍しい。 地球温暖化の時代、桜の開花が何年来の遅さになっている。なんか変ですねー。
今日で3月も終わり。日にちの過ぎるのは早い。年を取って余計にそう感じるようになった。 「光陰矢の如し、歳月人を待たず」(禅の言葉)というから、限られた時間を大切に生きろという戒めの言葉らしい。 昔の人もそう感じていたのかなー。 老若男女・何時の時代でも自分の生きているときの歳月は早く過ぎゆくと感じていたのだなー。 そういう感じの発想は何に較べてだろうかな。
その単位は歳月かな。 仏教では「劫」という時間の単位があって、インドの時間的もっとも長い単位が原始経典・阿含経や論書にも引き継がれて、その後成立した経典ても使われている。その劫には盤石劫と芥子劫のたとえがあって、1由旬(牛が一日に歩く距離)日本では一里と云われている。それを一辺とした岩石に3年(100年説もある)に一回天女が舞い降りて衣の袖で振れていってその岩石がすり減って無くなるときが1劫、芥子劫はその一辺とした鉄桝に芥子の種を満たして、3年に一回一粒づつ持ち去って、芥子粒がなくなった時が1劫である。宇宙論的時間、測定できない長い時間をさすが、その辺の単位で考えると私の一生なんて瞬時のごとしだ。早いも遅いもない。
おって、劫については、落語の 壽限無 壽限無 五劫のすりきれ 海砂利水魚の水行末(ジュゲム ジュゲム ゴコウノスリキレ カイジャリスイギョのスイギョウマツ) の劫です。 まいる
今日で3月も終わり。日にちの過ぎるのは早い。年を取って余計にそう感じるようになった。 「光陰矢の如し、歳月人を待たず」(禅の言葉)というから、限られた時間を大切に生きろという戒めの言葉らしい。 昔の人もそう感じていたのかなー。 老若男女・何時の時代でも自分の生きているときの歳月は早く過ぎゆくと感じていたのだなー。 そういう感じの発想は何に較べてだろうかな。
その単位は歳月かな。 仏教では「劫」という時間の単位があって、インドの時間的もっとも長い単位が原始経典・阿含経や論書にも引き継がれて、その後成立した経典ても使われている。その劫には盤石劫と芥子劫のたとえがあって、1由旬(牛が一日に歩く距離)日本では一里と云われている。それを一辺とした岩石に3年(100年説もある)に一回天女が舞い降りて衣の袖で振れていってその岩石がすり減って無くなるときが1劫、芥子劫はその一辺とした鉄桝に芥子の種を満たして、3年に一回一粒づつ持ち去って、芥子粒がなくなった時が1劫である。宇宙論的時間、測定できない長い時間をさすが、その辺の単位で考えると私の一生なんて瞬時のごとしだ。早いも遅いもない。
おって、劫については、落語の 壽限無 壽限無 五劫のすりきれ 海砂利水魚の水行末(ジュゲム ジュゲム ゴコウノスリキレ カイジャリスイギョのスイギョウマツ) の劫です。 まいる