たわ言

思いつくまま

虹雲 ・ 慶雲

2010-05-29 14:53:55 | 日記
29日 
 午前 畑  トウモロコシに烏・アナグマよけのネットを張っていたとき、10時半ごろだったか、ちょいと頭を上げると天空南東・平城宮跡のあたりの青空の一部分が青・紫・赤・黄と虹色に美しく彩られていた。人生で初めてみる光景だった。 よくみると薄い一固まりの雲全体が青空の中に美しく輝いているのである。 急いで畑の近所の奥さん、歴史の道を歩く人にも教えてあげた。  みんな感嘆の声をだしていた。 禎々さんにも知らせてあげたらよかったのにと後から思った次第。
 しばらくして段々に薄れていき、消えてしまって、全天青空になってしまった。5・6分ぐらいの出来事でなかったのか。
  
 『続日本紀』大宝4年(704)5月10日の条に「備前国が神馬を献上した。宮中の西楼の上に慶雲があらわれた。そのため詔を下して、全国に大赦を行ない、元号を慶雲元年とした。そして未納の大税、神馬を出した郡のその年の調を免除した。 文武百官に、身分に応じて禄を賜わった。 神馬を献上した備前国守で正5位下の猪名真人石前には位を一階進め、最初に慶雲を発見した式部少丞で従7位上の小野朝臣馬養には、位を3階進め、それぞれに絁(あしぎぬ)10疋、絹糸20絇、麻布30端、鍬40口を賜わった」とある。
 元号を代えるほど珍しく、めでたいことで、 平城遷都の6年前の藤原宮でのこと、この年は3月に疫病が流行り、4月末に備中・備後・安芸・阿波の稲の苗が被害を受けたので、それぞれに物資を恵み与えたとある。
 
 これは旧暦の5月10日、丁度いまごろ、今年の口てい疫の流行、寒さと天候不順は、その年と共通するもがあるかも。

 それから63年後の天平神護3年8月8日に「参河国が祥瑞の景雲が現れたと言上した。僧600人を集めて、西宮の寝殿において僧達に食事を給した。景雲が現れたからである。この日僧侶の振る舞いは仏門にある者のようでなく、手を拍って歓喜すること俗人とまったく変わらなかった」そして、「8月16日に神護景雲と改元した」とある。

 奈良時代に全国で2回だけ、こんな改元に連なるめでたいことを発見した私にも、何かいいことがあればよいが。    まいる
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平城宮跡の今

2010-05-28 17:59:53 | 日記
28日  時々 
 久し振りに県立図書情報舘へ行った。ところが休館日、開館の1分ぐらい前、いつもは列をなして並んでいるのに、誰もいない。 毎月月末は土・日・月に当るときは、その前日の平日が休館と掲示れていた。道理で、人がいない筈だ。 
 仕方がないので、埋蔵文化財センターの展示をみていたら、3・4人のシニア・グループの見学があって、それを読売新聞が取材していた。 来月下旬の夕刊に載るそうだ。 それじゃ旧聞じゃないか。
 帰り道、平城宮跡に立ち寄った。結構人が来ている。 老人会・修学旅行、遠足・バスツアーが大半。  朱雀門前の何十軒か軒を並べていた、すだれ掛けの東・西市が撤去されていた。
 交流広場のイベントは今、五條・吉野地域『見る!知る!体感する!紀伊半島の真ん中~南大和道しるべ』をやっていた。そこそこの人。  地区のPRと物産直売、十津川の湯泉地温泉(とうせんじ)から今朝汲んできたという「かけ流し」の「足湯」もあった。  黒滝のコンニャク、十津川のきのこ、下市の割り箸(ランチュウ)を買って帰った。   夕方畑の草引き。      まいる
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季節の逆戻り

2010-05-27 17:03:36 | 日記
27日 寒い日、
 午前 畑、 午後も 畑に行ったが寒くって、先日仕舞った長袖シャツにズボン下を引きずり出して着る。
 暑くなったり、寒く逆戻りしたり、今年の天候はどうや。 山間地の稲は1カ月経ったが育っているのかなー。  この調子では米が不作でなかったらよいのに。
 国中は田植えが始まった。 例年は暑い中やっていると思ったのに、土手の田圃に面するところに捏ねた土を塗って、水が洩れないようにしている作業、長靴を履いてやっているものの、いかにも寒そうに思える。  次の土・日は田植えの盛りになるだろう。

 田圃に水が入って蛙が鳴きだした。やはり季節だなあー。  ジャガイモの花が咲く頃に、数年前まで、わが畑の横の溝にホタルが見られたのに、近年は見られなくなった。 下水道の完備で溝に水がなくなったせいだと思う。      まいる
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おめでとう 美三媛

2010-05-25 12:59:22 | 日記
25日
 今日は美三媛 ーというより美御前というべきかー の誕生日である。  私の就職記念日でもあった。  N市の国立病院で生れた。 お腹の中で成長しすぎて、普通分娩が難しいからと、帝王切開とした。 日にちが来て、赤ちゃんは帰宅してもよいが、お母さんは抜糸するまでと指示され、頼んで病院において貰った。
 
 その美三媛も芭蕉が『笈の小文』を書いた歳になりあそばされたのである。 知足編『千鳥掛』では、『笈の小文』に前書が付いていて、貞享4年の暮れに郷里・伊賀上野に帰りついて、
   代々の賢き人も、古郷はわすれがたきものにおもほへ侍るよし。 我今は、はじめの老いも四とせ過て、何事に
   つけても昔のなつかしきまゝに、はらからのあまたよはひかたぶきて侍るも見捨てがたくて、・・・
と、はじめの老い、すなわち、初老も四とせ過てでなく、五とせ過てかなー。

お母さんが、丁度、O市の湖岸にいた年齢である。 しかし、江戸時代の「はじめの老い」も、現代では人生の盛りである。 美御前の美貌と体力は衰えは知らず。若さそのもの。

 元より我が家の母系が美人の系統で、 みつき、 輪華、 茶のしずく、 然り。  みんな絶世のと云いたいくらいの美形である。 父系は種馬としてはだめ、忠富士に遠く及ばない。 人間世界だからこそ伴侶ができたのである。 家畜の世界なら、とうに肉になってしまっている運命だったのだ。

 孔子のいう「不惑」の歳になったが、 何時までも、その若さと美貌を失わず、惑わずに三姫の「肝っ玉かあさん」としてガンバッテください。  これがほんまの「たわごと」だろう。       まいる
コメント (6)
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雨の日課

2010-05-24 10:34:10 | 日記
24日 雨・今日も  やや寒い長袖シャツにする。
 空が明るくなったと思ったのに、まだ、雨がしとしとと。
 ツツジの花は咲き出した。去年より花が多い。
 生ゴミの収集日、少し遅れたがご苦労さんです。

 畑に行けないのが3日目ともなると、畑の様子が気になる。 家の中でなにをするのかウロウロして手に付かない。 平素はこんな天気のよい日は家の中のことをするは勿体ないと思って、先送りしているのに、 いざ雨となったら何をしたらよいのか。
 年寄りにはメモをしておいた方がよいなー。  
 月曜日は図書館も休みだし。          まいる
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