掃き溜め
亡き友人のお母さんがピアニストの音の悪口を言っていたが(どうして、みんなあんな音になっちゃうのかしらねえ!)
私は交響楽団の音がまるで掃き溜めの音のように聞こえてくるのである。どうも、私が関わると、悪い物を呼び寄せるらしく、神奈川フィル交響楽団は地域の音楽交響楽団と思っていたが、最近、ネットで聞いただけだが、新日本フィルと、全く同じような音に聞こえてくる。私が関わっていない交響楽団(日本フィルハーモニー交響楽団)のシベリウスのトゥオネラの白鳥の音は、まだ、毒されていない。でも、新日本フィル交響楽団の2008年頃の音だって、昔ながらの良い音である。
私は世界が国境を失くしていく方向の利点がわからないのである。世界は一つよの意味が、まるで、一滴の朱を入れたら、水が赤く染まっていくように、毒されて、掃き溜めのように感じるのである。私もあさはかだったから、初めは「世界は一つ、世界平和」と賛同して、そういう運動も熱心にやっていた時期もあった。でも、実際は掃き溜めのような音楽や社会になっている。何のための国境を失くす運動かしら?と考えさせられる。
支配出来る構造になっているだけではないの?支配者は永遠に勝ち組?気に入らなかったら抹殺(葬り)してしまえば、泥棒(奪って)してしまえば、嘘付いて(誤魔化して)しまえでは、勝ち組のつもりで、そういうネットワークを作って、手を結べば、勝って当たり前で、一方、支配される方は、汚名まで着せられて、永遠に負け組である。野口英世なんて、研究は全部、ユダヤに持って行かれて、全部、無い事にされているのではないの?真相は一つぐらい、成就させているだろうと、私の考えでは思う。でないと、あれだけ母に心配されない。愛されない。
私はこの人はいい人と思いたくても、音が合わなくなったら、気持ちがなくなる。亡きOさんの音は最後まで好きだったが、亡きKさんの音も、もう一人のボテッ下手Kさんの音も弾き方も、嫌悪感を感じていたのである。
ウクライナの移民を受け入れると岸田首相が表明したが、国内は死亡者が戦後最大で、生活が成り立たない人、自殺する人もいるのに、そんな外人を受け入れている場合かと思う。ウクライナ人工作員が一杯流入して、掃き溜め文化になっていく事は、目に見えている。
日本の地図は世界の中心ではなく、世界の掃き溜めなのである。
それより「ひまわり」という映画はソフィア・ローレン主演の映画で観た事がある。ひまわりの主題歌もエレクトーンで演奏した事がある。ウクライナだったとは、知らなかった。工作員ではなく、こういう素晴らしい文化のままで、いてほしい。
日本フィルハーモニーだって、外人奏者が一杯、忍び込んでいるから、その内、掃き溜めのよような音になっていくのも、時間の問題であろう。
昨日は練習中にお腹がすいたので、チキンとポテトをつまみ食いした。
ど素人の観客は、案外、感じていると思う。
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