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下飯沼沢の数珠回しを訪ねる・後編

2018-02-27 23:35:53 | 民俗学

下飯沼沢の数珠回しを訪ねる・前編より

版木(右側が古いもの)

 

 子どもの担ってきた行事は、ふつうなら今は子どもの親が中心になって行うもの。ところがここでは公民館が担う。なぜならば、子どもが少なくなれば親も少なくなる。今年は小学生二人が数珠回しの中心となったが、二人は兄弟。ようは下飯沼沢に子どもを持つ親は1軒しかないのである。こうなると子を持つ親だけでは担えない。ということで公民館がそれを助けることになったというわけだ。

 この日は数珠回しに併せて天神祭りの準備をした。「準備」と言うよりはこれが天神祭りなのかもしれないが、なぜかと言えば、御札を刷ってできあがれば、あとは配るだけの行事。配るのは集落の機能を利用して配る。ようは自治組織だ。かつては子どもたちが配って歩いたのだろうが、今はそれがない。したがって天神祭りそのものは、この日の準備に移ったといっても良いのだろう。前編でも触れた通り、かつては数珠回しでで各戸を回った際にいただいた金銭を使って天神祭りの費用にあてた。そして余力で文房品などにあてたとも言う。

 現在刷られている御札は幅13.7センチ、高さ35センチと、御札にしては少し大きめだ。かつては「飯沼沢の数珠回しを訪ねる・余話2」で触れた飯沼沢の天神の御札のように前面に折り目がある折り方をしたようだが、今は正方形に近い紙を三つ折りにしている。訪れたお年寄りが「昔は違ったなー」とかつての折り方をしようとするが思い出せなかった。子どもが二人だけだから、数珠回しに訪れたお年寄りも一緒になった御札作りを手伝う。子どもとお年寄りが一緒にモノづくりをするという貴重な時間なのである。もともとは天神祭りは3月の下旬、春休みになってから行われたという。今は数珠回しに併せて御札づくりとなっていて、人が限られた中で、工夫して行事を行っているという感じだ。主催されている公民館の方にお聞きすると、地区公民館の年間の行事の中で、公民館が主催者となって行っている伝統的なものはこの日の数珠回しだけだという。現在の版木は2代目のもののようで、天神像がかつてのものと少し違う。御札の帯に現在は銀紙が付けられているが、「なぜ銀紙なのですか」と問うと、参加されていたお年寄りが、「そういえば」と昔の御札のことを思い出していただけた。かつては金紙と銀紙があって、たくさんお金をいただける方には金紙のもの、そうでない方には銀紙のものを渡したという。いつからか銀紙になってしまったようだが、たまたま銀紙がたくさん残っていて、それを翌年使って済ましたら、そのまま銀紙になってしまったようだ。確かに見栄えは「金紙の方が良いなー」ということで、今使っている銀紙がなくなったら、金紙に変わるかもしれない。

終わり


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