Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

1月7日のどんど焼き

2018-01-07 23:11:22 | 民俗学

下生坂竹の本

 

 6日、前日仕事の都合で長野に宿泊し、高速を使わずにこの日は南下した。生坂村下生坂竹の本の道祖神について以前触れた。この前を通る度にその道祖神の様子が気になるようになったが、この日も前を通ると、すでにサンクローの櫓が出来上がっていたので、思わず車を止めて撮影した。まだ6日だというのに出来上がっているということは、明日か明後日にはサンクローが行われるのかもしれない、そう思ってカメラを構えた。もちろん「下生坂竹の本の道祖神」で触れた道祖神の前に飾られる樽の飾りはどうなんだろうと思い、のぞいてみると、やはりすでに今年のものが出来上がって飾られていた。以前触れた通り、この樽は7日に作られたと言っていたから、今年は少し早い。そしてサンクローも7日にやったと書いてあるから、おそらくえ今日実施されたのだろう。

 この日、旧三郷村を通り、広域農道に出て伊那へ戻ったが、三郷のあたりでは繭玉あるいは餅花風の物を持った子どもたちがどこかへ向かって歩いている姿が見えた。これからサンクローなのか、それともサンクローの準備かははっきりしないが、餅を手にしているということは、これからサンクローなんだろうと想像する。松の内といえば7日あたりまでをいうことから察すると、今年はずいぶん早い感じだ。成人の日が8日ということで、ハッピーマンデー制になってから最も早い成人の日どりになる。応じたように今年の正月明けは「早い」という印象が強い。昔と違って4日の通勤時間帯には、すでに通勤者と思われる人の姿が多かった。

 今日も北へ車を進めたが、すでにどんど焼きの準備が万端という印象の漂う光景をいくつか見た。昔から7日にどんど焼きをするところが多かった飯田下伊那では、当たり前のように7日にどんど焼き(ホンヤリ)が行われた。わたしの住んでいる自治会でも今朝がたホンヤリが実施された。もともとは小正月に行われていたはずなのだが、このごろは7日過ぎの休日が当てられることが多い。今年は14日が日曜日だというのに、この有様なのだ。もはや小正月は失われたと言っても過言ではないのかもしれない。そしてかつては夕方行われていたどんど焼きが、わたしの地域ではほとんどのところで朝行われている。かつて7日にどんど焼きをすると言えば飯田市域と言われていたが、それが波及したように周辺でも7日近辺になり、「朝」行うようになってきている。そもそも子どもたちの行事にされてきたのが、こうした変化を受け入れる原点にあったかもしれない。

 北へ向かう際にすでに櫓が組まれていた場所でも、やはりこの7日あたりを中心に実施されるのだろう。夕方通ると、飯島町七久保新屋敷ではどんど焼きはすでに火の始末に入っていた。ここでは夕方行うということはかつての例にならっているようだ。


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