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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

下生坂竹の本の道祖神

2016-01-19 23:48:11 | 民俗学

 

 国道19号を長野から南下。山清路を過ぎ生坂村の生坂トンネルがすぐというところで、左手に道祖神にわら細工が飾られている光景が目に入って車を停めた。生坂トンネルといえば、生坂村の中心である上生坂を大きく迂回するように走っていた国道19号の根元をショートカットして造られたトンネルで、わたしが毎週のように走った昭和の時代にはまだ開いていなかったトンネルだ。このトンネルの開通で、長野-松本間は5分から10分近く短縮されたのではないだろうか。

 沢沿いの堰堤上に祀られた道祖神はトタン屋根の祠によって雨から護られている。このあたりの道祖神といえば、砂岩系の柔らかい石に彫られたものが多く、風化が著しいものもみられる。この生坂トンネル北側に祀られている道祖神はその北側の集落である竹の本のもの。向かって左側面に「明治三年正月吉日 竹の本」と刻まれており、いっぽう右側面には「帯代二拾両」とある。このあたりの道祖神にも「帯代」が刻まれたものが多い。近くの木村にあるものは明治19年に建てられたもので、文字碑ではあるが「帯代十五円」と刻まれているいう。竹ノ本の道祖神は、ふだんから覆い屋に祀られているが、このあたりでは正月に藁で小屋掛けする例が見受けられる。そういえば著名な旧大岡村芦ノ尻の藁製道祖神も小屋掛けにあたる。芦ノ尻はここから意外と近い。

 さて、藁製の酒樽が道祖神の前にしめ飾りとともに吊るされている。酒樽を飾るのもこのあたりの風習だ。この飾りは正月7日にされたもので、同じ日にサンクローが行われる。このあたりでも松本平同様にサンクローと呼ぶようだ。酒樽とは別に道祖神の前に舟が飾られていた。どういう意味なのかと思って聞いてみると、今年に限って舟を供えたもので、近所の方が家に飾ってあったものを持ってきて供えたという。サンクローの櫓は3日の日に集まってつくったといい、その際に酒樽も作った。『生坂村誌 歴史・民俗編』(生坂村誌編纂委員会 平成9年)によると、下生坂では「子供達が門松や注連縄、麦わらで小屋を造る。雑木を切って麦わらを縛りつけて立て、下から火をつけて焼く」とサンクローについて記されている。竹ノ本ではトタン葺きで祠を造ってあるが、かつてはこのように藁で小屋を掛けたのだろう。同書には「道祖神の屋根替え」という項がたてられており、それだけ生坂村では道祖神に藁で小屋掛けするのが特徴的なようだ。陸郷の西側にある池田町や、南隣の旧明科町あたりでもそうした藁で屋根を葺いた道祖神が見受けられる。


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