Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

盆歌

2007-08-13 08:28:58 | ひとから学ぶ





 信濃毎日新聞の8/12朝刊社説において、「都市からの手も欲しい」と過疎集落への救いの手について触れている。その内容はともかくとして、冒頭で新野の盆踊り歌を引き合いに出して、盆に帰省したら過疎地集落の現状をよく見て欲しいといっている。その引き合いに出された歌は「盆が来たのに帰らぬやつは 木仏 金仏 石仏」というものだ。ようは「盆に帰らぬものは仏様」というように捉えられるが、これは良い意味ではなく、悪い意味で言っている。新野の盆踊りのこの歌詞が歌われる部分は「盆」を歌ったもので、その全体を次に紹介してみよう。


 盆よ盆よと春からまちて 盆が過ぎたら何によまちる
 盆にゃおいでよ七月(八月)おいで 死んだ仏も盆にゃ来る
 盆が来たのに帰やぬやつは 木仏 金仏 石仏
 盆にゃ踊るぞ今年の盆にゃ 腹にゃ子はなし身は軽ろし
 盆よ盆よと楽しむうちに いつか身にしむ秋の風
 盆が来たとてうれしうもないよ うらは去年の古肌着
 盆の十六日がやみにらよいが 娘ひいたりひかせたり
 盆の十五日が晴ならよいが 男ひいたりひかせたり
 盆が来たなら踊らずまわず 年に一度の盆じゃもの
 盆にゃ親様お許しござる 踊り帰りが遅くとも
 盆のぼた餅や白歯の娘 おけばねぐさる毛も生える
 盆にボボせで何時ボボするだ 盆にゃ親から許しボボ
 盆に来るなら小斧を持っておいで 盆にゃボボの毛の枝はたき
 盆よ盆よと春からまちて 盆のかたびら着るじゃない
 盆のあげくの若い衆を見れば 露をはなれたキリギリス
 (『阿南町誌下巻』より)

以上のようなものである。社説ではどういう意図でこの歌詞を引き合いにだしたかわからないが、新野盆歌は信仰から離れて娯楽として継続されたなかで作られてきたものだ。大正14年に当時の有志の若者たちが、野卑な部分があるために良家の子女が踊りに参加できないというような問題があって踊りを改めようとした。そして下品なものは廃止されていったという。よく昔語りにも登場するが、風紀を乱すといって幕府や政府から取締りをうけながらかいくぐって継続されてきたものが、民俗芸能であったともいえる。すべてではないが、娯楽性が強まるとともに、自由でなかった時代だけに、一時を楽しむ農村の若者たちの姿が浮かぶ。盆の歌をみると、ここに紹介したものばかりでなく、誉めたたえたりけなしたりを繰り替えす。しかし、こうした歌の背景をみるにつけ、当時の暮らしの様子や、人々の思いが浮かんだりして奥は深い。社説に照会されたフレーズを思うに、踊る楽しみのために春から待ち望んでいる。それほど待っているのだから盆には帰らにゃだめだ、とそんなことを戒めているようにも聞こえる。そして後半は男と女の世界を触れて「露をはなれたキリギリス」とまとめている。今の時代には笑いものなのかもしれないが、若者が祭りだと言って楽しみにしているのは、今も変わりない。

 写真は、そんな新野の隣にある天竜村大河内で14日に行われるかけ踊りである。こちらは娯楽性は薄く、むしろ仏様供養の意味合いの強い古い盆踊りである。かつての盆といえば、こうして盆の姿を追っていたものだが、今や盆に生家も訪れない、まさに歌に歌われた「木仏 金仏 石仏」になってしまったわたしだ。

 撮影 S62.8.14


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