Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

北信の石仏・後編

2015-06-10 23:29:27 | つぶやき

北信の石仏・中編より

 稚拙であり無表情、北信の石仏をそんな捉え方をしているわたしであるが、旧更埴市郡の霊諍山とともに何度も足を運んでいる石仏がある。飯山市瑞穂の万仏山の三十三観音だ。飯山市といえば豪雪地帯である。この地域を外観して思ったのは路傍の石仏が少ないということ。そして「たまに立つ地蔵などの顔の表情は似ている。彫りが浅いわけではないが、丸く肉付きがよく、ぶかっこう」と表現したこともある。そんななか、万仏山の山道に点々と安置された石仏は、特別な存在だった。瑞穂は下高井郡木島平村と野沢温泉村に挟まれた千曲川右岸の地。瑞穂福島は木島平村から瑞穂に入ってから山手の一段高いところにある集落。この集落東はずれに神社があり、その三叉路に万仏山西国三十三観音の第一番が立つ。ここから万仏岩まで石仏が続く。弘化3年(1846)に造立されたもので、発願は福島組の三郎右衛門・次郎兵衛の2人と言われる。その主旨については「西国三十三所観世音建立 御寄付御名前帳」によって明らかにされている。冒頭に「仰犬飼郷萬仏山は大同年中の頃神変大菩薩始て登山の折から、萬の仏の影向を拝し給ふ、夫より萬仏山と号す」とある(『新編瑞穂村誌』)。また石工についても「石工吉右衛門」と記されているようで、どこの人とは記載されていないが、北信域の石工とは思えない技量を見せてくれる。何より万仏山のこれら石仏は岩の上に安置されていることによって、より趣を見せる。苔むしているのは30年前も、今もそう変わらないようだ。北信らしくない石仏の代表作とえる。

 写真はいずれも昭和50年代後半に撮影したもの。当時は細いコンクリート舗装の道沿いの岩の上にたたずんでいたが、今はどうなっているものか。映画「阿弥陀堂だより」のロケ地にもなって、万仏岩への道途中にその「阿弥陀堂」もあるとか。

終わり


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