Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

親の口癖

2005-11-17 08:07:43 | ひとから学ぶ
 子どものころ、親から盛んに諭される言葉というものが、誰にもあっただろう。「人にあったら挨拶をするように」とか「好き嫌いをしてはいけない」というものは、一般的なものである。そうした教えというものは、今でも時折思い出すことはあるが、必ずしも子どものころ諭されただけではない。大人になってからも、同じようなことを何度も繰り返しいわれた。親はいつまでたっても子どもが外れたことをしていないかと、気をかけていた。「何度もいわれなくても、そんなことはわかっている」と言ってしまえばそれまでだが、何度言われようと、ただただ「はい」と答え、親に対しても、自らに対しても、安心してください、と問いかける。若いころは、「うるさい」と思いながらも、そんなことをいわれるには良い歳になっているのに、今では、自然とうなずくだけである。親子の間とはいつまでたっても親と子である、そんな間がらであるように思う。
 もう20年ほど前のことになるが、兄が結婚して、嫁さんが同じ家に住むようになると、それまでの母親の口癖に変化があった。嫁さんが家に入り、うまくやっていくために、とくに弟であるわたしが、それまでの親子関係で好き勝手な振る舞いをしては、兄嫁がやりずらいということを意識してのことであった。「人にあったら挨拶をするように」が「お姉さんに挨拶をするように」と変わり、「お世話になります」と言うように盛んに口にした。いっぽうでは、時がたつにしたがい、町場の非農家から来た嫁に対してのわだかまりは大きくなり、愚痴をこぼすことも多くなった。しかし、自分の老後を看取ってもらうという事実はまぬがれないわけで、いずれ家から出て行くわたしには、「姉さんにお世話になるんだから」と口癖のように気を使っていた。そしてわたしも結婚して家を出ると、実家を訪れて返り際には、ささやくように「お世話になります」と声をかけるように、毎回のように言われるのである。あるときは愚痴をこぼしながらも、時によっては正反対のように姉さんに気を使う。母は、戦後の嫁としての厳しい条件下で子どもたちを育てた。しかし、今の嫁には、そうした厳しさを無理強いしない。それでも、嫁が思うようにいかないと、家を出て暮らすことを夫に提案する。農家ではそんなケースはめずらしくない。母は、嫁が家に入ってくれたことだけでもありがたいと思っている。愚痴はだれでもあるもので、父も言葉には出さないが複雑な思いを20年近く持ってきたにちがいない。それでも、そうした緊張感がありながら、看取ってもらうという決定的な事実を想定しながら、家族が成り立っていることを、家族ではなくなった弟に何度も諭すのである。
 親が何を教えようとしたか、そして自ら子どもに何を教えていくのか、難しいことではないが、そんな難しいことではないことを当たり前に諭すことができるのか、それが親となった証なのかもしれない。そんな意味で、安易に親子の間がらを面倒だからと敬遠してしまう今の家族関係には、危うさを覚えるわけである。果たして自分はどうなのか。
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