Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

ハチミツ

2006-09-09 09:46:19 | 自然から学ぶ
 自宅での朝食。卓上にハチミツの瓶が置かれている。「どうしたの」と聞くとどこかでいただいたもののようだ。「豊丘村産純粋 はちみつ」と書かれたラベルを見ると、農協で販売しているはちみつである。蜜源の表示がされている。「アカシア、リンゴ、かき」とある。特定在来生物として批判を受けているアカシアであるが、ハチミツの生産者からクレームが出ているという報道も流れ、現在のハチミツ生産がアカシアに頼っていることは知っていたが、実際にラベルにその蜜源が表示されていて、身近な問題なんだということはわかった。

 長野市の県庁横を流れている裾花川は、源は旧鬼無里村である。大雨が降ると上部にある県営裾花ダムで洪水調整が行なわれているのだろうが、川いっぱいに水が流れる姿を何度か見ている。堤外地にある畑はその都度水につかっている。川岸には高くなった木々が林をつくっていて、恐らく洪水時には流れの妨げとなっている。そんな裾花川の県庁から下流域で、近ごろ河川内の除伐が行なわれていた。河川内に多く生えていた木は、やはりアカシアである。洪水時に根こそぎ流れて、下流域の構造物などに引っかかるなどの影響が指摘されていた。防災対策も兼ねた河川整備だったのだろう。整備後は緑が消え、河川内に土の色が見えている。緑色だったころにくらべれば、ずいぶん暑さを感じる。夏も終わりに近づいたいまだから、気にもとめないが、土が露になった姿もあまり良い印象ではない。どの時点で河川内整備をするのが良いか、一考を要する行為でもある。その河川整備において、すべての木を除伐したわけではない。一定間隔で残された木が残っている。もちろんアカシアではなく、ヤナギの木である。意図的にすべて切るのではなく残すように整備されたものなのだろう。ところがそんななかにもアカシアが時折残っている。どんな木が残されているかといえば、大きくなって日陰を作り、日除け的に人が集まるような木は、これも意図的に残したのだろう。

 長野市周辺の堤外地を見れば、どこもアカシアでいっぱいである。犀川の川中島側の河川敷内には「アカシヤの杜」という林がある。堤防道路からの入り口にそう表示されている。見事なまでに背丈が高くなったアカシアは、適度に間伐されていて、まさしく杜となっている。木々の下はマレットゴルフ場に整備されていて、住民の「憩いの場」という印象が強い。すでに日本に入ってきて長いつきあいをしてきたアカシアは、「人々ともにある」という印象は強い。

 さて、豊丘村のハチミツであるが、生産者は同村福島の方だ。福島といっても範囲は広いが山の方の集落である。蜜源とはいうが、蜜源であるとどういうように判断するのかは知らない。蜂の追っかけ調査でもするのだろうか、あるいは運んできた蜜を見てアカシアの蜜だとわかるのだろうか。いずれにしてもこれだけ蔓延してしまったアカシアを消すことは不可能であるし、不在地主に断って除伐するほど手はないし金もないし、そこまでしなくてはいけないのか、という優先性というものもある。養蜂家の人たちがクレームをつけるほどアカシアが姿を消すとはとても考えられないと思うのだが・・・。

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