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長野県北信地域の道祖神を料理してみる

2018-07-16 23:21:06 | 民俗学

長野県中信地域の道祖神を料理してみる 前編 より

 ようやく北信地域の道祖神一覧がまとまった。先日の「鬼無里の道祖神」でも触れた通り、基数については参考値程度だ。なぜかと言えば、自然石の類や鬼無里においての繭玉丸石にあっては、欠片のようなものがあって、主神に対しての付属物扱いになっているものが多い。そもそも道祖神として祀られているものは1個体なのか「群」なのかよくわからない。同じことは自然石の類、とりわけ南信の奇石も同様だ。

 

 さて、鬼無里において五輪塔の欠片を道祖神としている例が多いことについて触れたが、鬼無里の特徴であることに間違いはないが、周辺にまったくそうした例がないわけではない。小川村裏立屋区下村薬師堂前のものには「繭玉石数個、宝篋印塔の相輪残欠あり」と記されている。同様に同村法地中村のものには「五輪塔 風空輪2個 繭玉数個」とある。明らかに五輪塔の残骸のようなものがあって、それらを道祖神として扱っている点は、鬼無里の例に酷似し、とくに鬼無里と小川村との強い関係性をうかがい知ることができる。また、鬼無里で繭型「丸石」としているものを小川村では「繭玉石」と表記している。そもそも「丸石」というのは、丸石道祖神が他県の事例から知られるようになって、円形の自然石のものを「丸石」と呼ばれるようになったが、あくまでも研究者が名づけたものであって、地域の人々が「丸石」と呼んでいたかは怪しいものがある。形状から名付けられたものであって、どちらも同じような形状でも、地域ごとの解釈で名称上は異なる結果に及んでいる。したがって、「丸石」も「玉石」も同じものと言えるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 これまで「東信」「中信」と料理してきた。今回の北信はどうか、ということになるが、北信では圧倒的に文字碑が多い。以前にも触れたように引用文献の関係で、東信は圧倒的に双体像が多いが、これは文字碑を扱っている文献が少ないためで、正確な種別をうかがい知るには東信は参考にならない。よって東信を除いた地域で比較したとしても、北信の文字碑の多さは特徴的だ。そもそも北信では豪雪地帯を中心に「造塔」という形で道祖神が存在しない地域が多い。しかし、道祖神信仰がないわけではなく、小正月に木造の小さい道祖神を作る家が多く、石神として祀ることがされなかっ地域が多い。これも北信の大きな特徴のひとつと言える。市町村別道祖神数のグラフで歴然とわかるように、右側の県境域に近いエリアには、極端に道祖神の造塔が少ないことがうかがえる。北信地域の中で南高北低という図式が読み取れる。

 種別年代別造塔数を見た場合、双体像は江戸後期に造塔のピークを迎えると、明治時代に向かって徐々に減少し、戦後になって再び双体像が建てられた様子がうかがえる。また市町村別種別割合を見た場合、特徴的なのは①戸隠村と信濃町の双体像比率が高いこと、②鬼無里村と小川村に丸石系の多いこと、③小布施町に自然石が多いこと、④県境域に石祠の占有率が高いこと、といったことだろうか。

続く


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