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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

鬼無里の道祖神

2018-07-08 23:29:08 | 民俗学

 道祖神一覧の内容から種別のチェックを行っていて、とても気になるデータを目にした。数多い市町村を担当分けしてまとめたわけだが、他と違うデータは目立つ。東信に意外と道祖神が多いことについて以前触れたが、そこには自然石の道祖神が多いことも触れた。それ以上に違和感を抱いたのは、旧鬼無里村(現長野市)の道祖神である。一覧からまとめた「種別造塔数」をグラフにしてみた。「丸石」の横に「丸石(繭形)」というものがある。26体と数が最も多いわけであるが、そもそも一覧に「丸石(繭形)」を見たとき、「丸石」の一種なのか、それとも「丸石」とは違った形態のものなのか悩んだ。担当者に問い合わせてみると、「繭形丸石」に訂正と返信が。あらためて自分で引用文献を確認してみると、確かに文献には「丸石(まゆ型)」とある。あえて「繭型丸石」に訂正する意味もないと判断し、元のまま「丸石(繭形)」で表記しようと考えている。文献にある写真に明らかに丸石が写っていれば、「丸石」にしようと思ったのだが、数多い「丸石(繭型)」のほとんどが、いわゆる「丸石」とはちょっと違う。さらに自然石というでもない。

 

 実は完全に五輪塔の形をしたものを道祖神としている例がある。原にあるもので、1基はまさに五輪、もう並んでいるもう1基もひとつ石が欠けているが、みるからに五輪塔である。文献には「丸石」と表記されているが、「五輪塔」の方が正しい。そしてこの五輪塔の一番上にある空輪・風輪の形をしたものを単体として「道祖神」としている例が、鬼無里には実に多い。「丸石(繭型)」と表記されている道祖神のうち、半数以上は五輪塔の欠片のような形状をしているのである。さらに、「丸石(繭形)」と表記されている道祖神の多くが、「6体あり」とか「4体あり」という具合に複数個あることが備考欄に記されており、写真からもそれがわかる。それほど事例が多くなければ気にはならなかったが、これだけ数多くあると不思議でならない。一覧上は旧鬼無里村の道祖神数は56基となるが、実際は複数個ある例が多く、数を数えるにも難しい。

 なぜ五輪塔の欠片のようなものが道祖神と呼ばれているのか。もともと五輪塔だったとしたら、かなり古いものと言えそうだが、実は鬼無里には銘文のある古い道祖神はほとんどない。最も古いもので、「安永八年」銘のもので、西暦1779年にあたる。あとは1800年以降の建立である。そして最古のものが鬼無里神社にある双体道祖神で、江戸時代のものは、文字碑があとひとつあるだけだ。この謎を解くには、実際に訪れて聞いてみるしかない。文献からこれほど顕著な傾向が見つかる例は少ない。

 

鬼無里神社 双体道祖神

 


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