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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

『稲作の栞』を読む

2010-05-04 20:00:48 | 西天竜

 西天龍耕地整理組合が昭和3年3月と同5年3月に出した『稲作の栞』という数ページの印刷物がある。西天龍耕地整理組合は現在の西天竜土地改良区の前身であり、辰野町から伊那市にかけての1300ヘクタール近くを整備した際の事業執行主体である。これまでにも触れてきたように、この耕地整理組合の主たる事業は、「水を引く」ということ、そして開田をするという二つであった。水の便の悪かった天竜川右岸の扇状地上に幹線水路が引かれたのは昭和3年のこと。いよいよ稲作が始まるという年に作られた『稲作の栞』は、稲作を始める人たちへのまさに栞だったわけである。目次を見ると品種、苗代、本田の3章からなり、苗代では苗代の形状、肥料、面積及播種量・播種期、管理について、本田では整理、肥料、植付及株敷、除草及中耕、灌水、落水期、病虫害について触れられている。諸元を含めると8ページの栞は、2年後の昭和5年に再び発行されるが、そこでは8ページから14ページと内容が増えている。なぜ増えたかというあたりが、実際の稲作を始めてこの地での現実的な問題があからさまになってきたためといえるだろう。そのあたりを捉えてみることにする。

 苗代に使う肥料の量などが細かく指示されており、その内容が両者で若干異なるのはともかくとして、「其の他」として加えられているのは「開田地へ苗代を設置する事は腐敗病の憂あるに依り当分見合わせのこと」である。おそらく昭和3年あるいは4年の実績として開田地へ苗代を作ったところ問題が発生していることを踏まえてのものだろう。このような実績を踏まえた記述が昭和5年版には数多く見られる。そしてそれら追記された中でも重要と思われる部分については傍点が付され、とくに注意するよう組合員に知らされているのである。

 本田の章「整地」の昭和3年版では「代掻及畔塗りは特に丁寧に行う事」と簡単に記されているが、昭和5年版では実に17行にわたり綴られる。そして黒い傍点が連続するのである。

 本田整地の精租は稲作栽培の重要事たると共に新田に於ける吸水量の多寡を決定すべき重要問題にして昨年灌水期に水不足を告げたるは他に原因ありたりとは雖(いえど)本田整地粗雑なるに起因する処處亦被る多く南部山林原野の跡地の如きは土塊蘇蘚苔類等は其の儘にて整地したるや否や認め難きもの多し斯くの如き土地に對しては丁寧に土塊を打ち砕き蘚苔類根株等は悉く除去し他の耕地より一層整地を懇にせざるべからず本年またかかる無自覚なる整地を敢へてせんか収穫は皆無となり本組合開田事業は一頓挫を来す事火を見るよりも明かなれば特に此点に注意し各分水毎に自治的精神を以て利己的誠心を戒め左記順序により円満に丁寧に全地区の整地を終る様特に注意せられたし。

以上の文にはほとんどの文字に傍点がある。山林原野であった土地を新田にしたわけで、木の根や土の塊を除去しないと無駄に水を使ってしまって強いては水不足にあいなるというわけである。さらには現在の岡谷市川岸から導水するわけで長い道のりでは漏水も甚だしく、さらには上から水を取水していけば下流に至ればさらに水はなくなってしまう。念願かなったとはいえ、前途は多難な稲作の始まりだったわけである。今でもそうであるが、田んぼに入れた水も代掻きにしろ畔塗りにしろいい加減であれば水は消えてしまう。余るほど水がやってくるのならともかくとして、そうではない以上組合員に対して秩序ある対応を望むのは当然のことであろう。

 ちなみに「左記順序」の内容は(イ)打起、(ロ)畦畦塗り、(ハ)灌水、(ニ)代掻、(ホ)代直し、(ヘ)代踏ませ、(ト)肥料撒布、(チ)第二回踏ませ、(リ)田直しである。

続く


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