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西天竜円筒分水工群調査報告より

2016-06-01 23:36:46 | 西天竜

 「分水工を探る」其の18において、久保田賀津男さんが『伊那谷自然友の会報』の183号(2月1日発行)と184号(4月1日発行)へ発表された「西天竜用水と円筒分水工群」について触れた。今日まで知らなかったが、久保田さんは「長野県上伊那郡西天竜用水円筒分水工群調査報告書」というものをまとめられていた。どこかの雑誌に報告されているのかどうかまでは解らないが、飯田市立中央図書館にコピー版の同報文が寄贈されている。本文45ページに付記27ページ、さらに付表3ページという大作である。久保田さんが冒頭で「これらを統計的にまとめた資料が一般に公表されていない」と述べられているように、西天竜幹線水路はもちろん、とりわけ円筒分水工群についての資料が乏しいのは事実だ。「資料がない」ではなく、「公表されていない」と表現された意図は解らないが、後者の表現から推察すると、公表されてはいないが、「ある」ということなのだろうか。それは例えば『西天竜史』のことなのかどうかも解らない。

 さて、久保田さんは円筒分水工について詳細なデータをふんだんに使って説明されているが、おそらく読み手は文章を読んでも理解できないだろう。実際の施設を知っているわたしが読んでもよく解らないのだから、見たこともない人には難解に違いない。すでに造られてから長い年月を経ているだけに、時間的変遷と計測データをリンクさせずに現状からのみ推測しても、正確性に欠ける。逐一ここでそれを検証することはしないが、久保田さんが言うように、記述されたものが少ないのは事実だ。とはいえ近年ここでも紹介してきたように、久保田さんの調査報告ほど詳細ではないが、若林博さんによって『伊那路』(上伊那郷土研究会)に何度か発表されたものがある。広大なエリアに農業用水を供給する西天竜の用水路については、そう簡単ではないというのがわたしの印象である。わたしもこれまで「西天竜」について触れられたものが少ないという印象があって、西天竜について、とりわけ「西天竜」のお膝元である『伊那路』へ寄稿したいという思いがあった。それは本日記でも何度となく「西天竜」について触れてきたからだ。このことは上伊那郡西天竜土地改良区の皆さんにも了解を頂いていた。しかし、なかなか寄稿できなかったのは、異動によって上伊那の地を離れてしまったということもある。いずれは、と思っているうちに、すでに3年を経てしまっている。そういう意味では久保田さんの調査報告は、とても刺激になっている。

 久保田さんの報告の中で分水工2例についてコメントさせていただく。一つ目は神子柴33号甲B分水工について紹介されているが(P-32)、これは現在使われていない御園32号の春日街道東側に現存する円筒分水工の間違いではないだろうか。そして図47に「神子柴33号甲B」と表している分水工は、「御園33号乙」円筒分水工と思われる。久保田さんは頻繁に分水槽周縁部の形状について注目されているようだが、当初の形状は外側の天端が張り出し、内側はストレート、というのがほとんどだったようである。ようは造成後の改変は水利・水理上の意図があったわけではなく、補修補強をしたことによる結果論に過ぎないといった方が正しく、この形状をあまり意識する必要はない、とわたしは思う。二つ目は「分水工を探る」其の18で紹介した木下18号支線円筒分水工のこと。「春日街道以東に存在する円筒分水工系はこれだけ」、としているが、これだけにあらず。そして当の木下18号支線円筒分水工であるが、平成24年の改築で「通水孔の数を増や」してはいないし、「上塗り」をしたのではなく前述したように「改築」をしたもので補修したものではない。やはり農業土木分野の者が歴史を踏まえてまとめる必要性を、強く抱くところである。


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