Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

変わる光景

2018-07-19 23:24:01 | つぶやき

 終電に乗ろうと駅に向かう。ところが駅に着くと、「行き違いの影響で15分の遅れ」と言われるのは飯田線においてはけして珍しい話ではない。「時間ですから」と言ってお暇してくるのに、駅で30分近く待つのは、まったく普通の光景だ。といって、この程度の遅れは、情報には表れない。したがって「行ってみないと分からない」こと。

 わたしにとっては「終電」であるが、わたしの目的地手前で停まる終電は、まだあとにある。したがって遅れていれば、前の電車に乗ろうとする人がいても珍しいことではないが、「遅れる」とわかって待合室で待っていたわたしの前を通過して改札を過ぎていく人は、この日誰もいなかった。そもそもホームで遅れている電車を待つ人も、数えるほど。わたしにとっての終電はワンマン。したがって前より車両に人は乗っていても、後ろよりの車両に乗る人は少ない。飯田線の伊那谷区間で最も乗降客が多いと言われる「伊那市」駅でも、これが日々の光景なのである。おそらく、今日もわたしが降りるころには、数えるほど、あるいは「誰も」と思うほど息遣いのない車両を、後ろから先頭まで歩いて通過していくに違いない。

 この光景は10年ほど前に伊那に電車通勤していたころとは明らかに異なる。明らかにウイークデーに飲み歩く人はいなくなった。いっぽうで、かつて通勤していた朝方の電車の混雑はなんだろう。10年程前、車で通勤するのに渋滞で時間がかかりすぎると思って電車通勤に変えたころ、最寄りの駅で電車に乗ると、3両のひとつの車両に、乗っている人は2人か、3人だった。今は時には相席をお願いしないと空いていないほど最初から乗客が乗っている。高校生が多い乗客の現状から考えると、かつてより下伊那の子どもたちが上伊那の高校に通っている、ということなのだろうか。あの混雑している乗客が、帰路にはどこへ分散してしまうのか、その理由はいまだわからない。


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