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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

清水のカゼノカミサマ 前編

2024-03-20 23:56:31 | 民俗学

 こと八日に行われる念仏については何度となく触れてきていて、さらに春の彼岸に行われる念仏も伊那谷はもちろん、東筑摩に分布するものについても触れた。妻の実家のある喬木村富田で行われる「こと念仏」は、かつて当番の家に村人が寄り、ふだんある部屋を区切る戸がはずされ、大きく放たれた部屋で念仏が行われた。そこには「奉唱大念佛百万遍」と大きく墨書きされた垂れ幕が下がっていた。この「百万遍」と冠する行事が、東筑摩一帯に現在も行われているが、旧明科町清水で行われる彼岸に行われる行事は、一般にはそのまま「百万遍」と称されているものと思い、ここでも紹介してきたわけだが、地元では「カゼノカミサマ」と言っているということを今になって知った次第である。

 平成2年の3月21日に訪れて以来、34年を経て清水の「カゼノカミサマ」を訪れた。行事の呼称を確認したところ、「百万遍」ではなく地元では「カゼノカミサマ」と呼んでいることを確認した。午前9時に光久寺に隣接した清水の集会施設に地域の人々が集まった。午前中は「人形作り」と聞いて、その作業を見たいと思いうかがった。もともとは集会施設ではなく、当番の家にそれぞれの家で作った藁人形を持ち寄って念仏が唱えられていたといい、現在の集会施設ができてから、集会施設に集まるようになったという。平成2年の際には、すでに集会施設で行っていたことから、そのころから当番の家に集まるのは辞めたようだ。その後もそれぞれの家で人形を作って持ち寄っていたようだが、昨年から集会施設で作るようになったという。もちろん全員ではなく、今まで通り家で作って持ち寄る人もいる。午前9時にうかがうと、既に部屋の中には1体の人形があり、地区の長老が作られたもののようで、人形作りも長老の意見を聞きながらという流れだった。

長老の作られた人形

 

一握りほどの藁を持って胴体を作る

 

上に出した藁はちょんまげにする

 

裃をつける

 

胴体が出来上がると、押し切りで足元を切って揃える

 

刀をつけ、腕を組ませる

 

顔を描く

 

出来上がった人形さまざま

 

藁の数珠を作る

 

人形を真ん中に置き、百万遍念仏

 

ムラ境へ

 

ムラ境に立つお地蔵さん、その向こうが人形を捨てる崖

 

みな声を掛けるわけでもなく、揃ってがけ下の様子をうかがう

 

人形を一斉に投げ捨てる

 

送られた人形

 

 人形そのものは家によって、あるいは人によって作り方は異なっていて、長老の作られた人形は胴体の下に脚が2本ついているスタイルで、背丈も高いものだった。いっぽうこの日作られた人形は、すべて足はつかず、胴体だけのものだった。平成2年の写真を見ても、脚のついているものもあれば、胴体だけのものもあり、当時から家ごとに異なる人形であったことがわかる。脚をつけると人形が立てづらいということもあり、単純で簡単なものとなれば、胴体だけのスタイルになるのだろう。長老の作られた立派な脚のついた人形は高さ69センチあり、いっぽう最も小さなものは高さ39センチほどのものだった。当然のことで、長老の作られたものは、脚だけで長さ32センチあった。その人形をどうやって立たせるかというと、必ずつけられる刀を三本目の脚として利用しており、ようは三脚風にして立たせているというわけで、この立て方は、会田川を少し遡った旧四賀村の倉掛法音寺と同様である。

 脚をつけなければ作りは単純で、慣れれば1体つくるにもそれほど時間はかからない。腕は縄を綯って胴体に通して前で手を繋ぐように輪にするが、男性は縄を綯い、女性や子どもたちは縄を三つ編みに編んでいた。どのように作らなければいけないという決まりがあるわけではなく、自由に作られるが、必ず侍を意図してちょんまげが付けられ、裃を藁で着せるように作られる。また前述したように刀も必ず付く。かつてなら桑棒を使って刀としたのだろうが、今はまっすぐなそれに代わる木が使われている。そして刀には大根で鍔が着く。かつては米を人形に持たしたというが、今はつけられない。最後に障子紙を切って頭の部分に巻き、顔が描かれる。それこそ子どもたちは自由気ままな顔を描いており、子どもたちにとっては最も楽しい時のようにもうかがえた。

 こうして午前中に人形が作られると、午後1時から念仏を唱えるための数珠を藁で綯い、百万遍となる。午前中にくらべると倍ほどに集まる人は多く、大勢で数珠を綯うからあっという間に藁の数珠は出来上がる。8畳間二部屋にわたる長い輪となった数珠を囲い、みなで左回しに念仏を唱えながら3周回すが、床の間のある側に大きく藁を房のように丸くした目印が来るようにして百万遍が始まる。藁の数珠はつなぎ目が多く、念仏が始まっても度々念仏が途絶える。ようはつなぎ目がほどけてしまうため、その度につなぐ際に中断するのである。とはいえ、3周回すのもあっと言うまで、百万遍もすぐに終わる。

 終わるとみなで集落境まで人形を抱えて行き、お地蔵さんのある場所の崖で会田川に向かって投げ捨てるのである。午後1時からの基本的な流れは、平成2年とまったく変わらない。帰ると集会施設で直会となる。

続く


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