Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

ある水田地帯の光景

2024-10-06 23:14:27 | 地域から学ぶ

令和6年10月6日 PM1:30

 

 今年はアサギマダラの飛来が少ない。あちこちでアサギマダラを、という活動が盛んなせいかもしれないが、わが家のような静かな空間に来て欲しい、とは勝手な希望だ。今日出会ったアサギマダラ、最初は近くに行っただけで飛んで行ったしまっていたが、そのうちに慣れてくると近くにいても飛び立とうとしない。それどころかすぐ近くに手を差し伸べても飛び立たないので、手で触ったのに、それでも飛び立たない。よほど留まっていた花が気に入っていたかどうかは知らないが、毎年アサギマダラを捉えているのに、今日出会った個体は、ちょっと鈍感すぎる感じだった。

 来週末が地元の祭典ということで、今年は以前にも触れた道が決壊して、いまだ復旧していないため、わが家の方に祭典の際に囃子屋台が迂回するという。ということで、道沿いにある水田の畔の草を刈った。この日近くでも高齢の方が草を刈られていて、数年前まで水田を耕作されていたが、耕作放棄となっている土地の水田面の草を刈られていた。この場合「耕作放棄」は適さないかもしれない。年に何度か草を刈られている。したがって肥培管理されている水田、ということになるだろうか。隣接する我が家の水田も同じような状態だから、大きなことは言えないが、この空間にわたしがかかわるようになった30年以上前には、見渡す限り稲が植わっていた。しかし、今は稲が植わっているのはその1割くらいに減っただろうか。無理もないことで、この空間はほ場整備がされていないため、それぞれの水田に入るにも、人の土地を通らないといけない土地がいまだにある。我が家の土地から見下ろす位置にあって、今日草を刈られていた方の水田の空間は、それこそ30年以上前に車が入れるようにと農道を造られた。洞の中の細長い空間だから、道が開くことで、ほぼ関係者の土地には入られるようになったのだろうが、わが家の水田のある空間は細長い空間ではないため、道の奥にはいまだ道が繋がっていない水田もいくつかあったりする。加えてあっても道が狭いため、もし耕作できなくなったとしても、誰かが耕作してくれる、とは簡単にいかないのだ。さすがに30年で耕作地が1割まで減少するとなると、典型的な空間と言える。山の中ではよく見られる事例だが、集落の中の土地でこれほど耕作放棄が進んだ例は珍しいのではないか。高齢者が多いから、そう遠くないうちに、もしかしたら稲作をしているのは我が家だけ、になってしまうかもしれない。

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