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Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

続 今年も柚子を採る

2024-11-30 23:24:20 | つぶやき

今年も柚子を採るより

 昨週に続いて柚子採りをした。それにしても棘がすごい。その棘が実に刺さって傷をつける。したがって採った柚子のうち傷のないものは3割とか2割ほどになってしまう。人にあげるのだが、傷のないものを、と思うと傷のついたものがたくさんコンテナに残ってしまう。実が大きくなる前に棘をカットすれば良いのだろうが、手の届かないところの棘を取るなんて言うことはできない。

 この棘、ウェブ上には「トゲは動けない植物の生存戦略として、動物から食べられることを防いだり、蒸散を抑え乾燥から守ったりするため」などと書かれているが、ではほかの植物にもあって良いはずだか、柚子ほどの棘はめったに見ない。棘の少ない品種もあると言うが…。

 

 

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ある「常会」の記録より㊱

2024-11-29 22:16:08 | 地域から学ぶ

ある「常会」の記録より㉟より

 平成26年1月27日の集金常会でも常会預金の件が議題となっている。そして「1年間様子を見て出費を抑えていく」と記録されている。

 2月18日には緊急常会が開かれている。緊急の常会という記録はめったにないこと。内容は雪かきにかんすることである。この常会には1軒だけ遠く離れたところに家がある。集落から距離にして350メートルほど離れている。ほかの家々は遠くても隣まで100メートルほどであるから、この家だけ離れている。その間は水田地帯で、さらにその離れた家は行き止まりにあるため、この燗の道を通行する他人はほぼありえない。ようはどん詰まりにある家だから雪が降っても関係者はその1軒しかないというわけである。その離れたところにある家から村に雪かきをして欲しいと言う依頼があった。もちろん村道ではあるが、そもそもこの常会内の村道で村が雪かきをしてくれる道はない。ようは村からするとその常会内の人たちしか利用しないから、公共性が低いということなのだろう。しかし、この家にとっては集落から自分の家までずっと雪を一人で掻くのは大変だということで、村に掻いてほしい、ということになった。もちろん村は常会内で対応するようにと常会に伝えたわけである。ところがこの緊急常会に、当の該当者が欠席した。したがって常会では「対応しない」という冷たい結論に至っている。このことについて常会長から欠席された当事者に伝えたようで、2月27日の集金常会で報告されている。

 この当事者は集金常会にも欠席がちの方のようで、このいきさつについての記録を見る限り、少しばかり「ムラハチブ」状態のようにも見える。

 5月27日及び8月27日の集金常会において常会を抜ける方が相次いだ。いずれの報告のところにも「常会預金を精算する」と記録があり、脱会者への清算金を払っているようだ。

 9月27日の集金常会では脱会者の相次いだ隣組長より、二つある隣組の合併の話が擬態にあげられている。そして10月27日の集金常会で議論され、合併について賛成することで了解を得たようである。また合併後の組合の細部については、「今後検討する」とされている。その上で常会を欠席されている雪掻きで問題になった方について、休会扱いにしたらどうかという意見が出、「休会届」を出してもらうことで了解されている。ところが隣組長が「休会届」提出をお願いに行くと、当人は「脱会したい」と申し出たようで、記録簿には「脱会届」が添付されている。

続く

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ある「常会」の記録より㉟

2024-11-28 23:28:06 | 地域から学ぶ

ある「常会」の記録より㉞より

 平成25年度に入る。いつも通り元旦はお日待ちである。「お日待ち」と呼んでいるが、新年会もあるし新年の総会も行われる。もちろんここでは「総会」という名の会議はなく、お日待ちのあとに併せて前年度の事業報告や会計報告が行われ、そのまま新年会に続いていく。隣組で新年会を行うところでは、こんな流れだ。お日待ちがあるかないかの違いであって、ここでは「お日待ち」が前段にあることから、通称このように言っている。ちなみにお日待ちには神官を呼びお祓いをしてもらう。1戸当たり千円出すが、それはお札代のようなもの。それ以外に神官にはお礼を出す。この年の新年会は2時間で終了している。

 1月は14日にどんど焼きを行い、さらにいつも通り27日に集金常会を行っている。月に3回皆が顔を合わせる。下伊那地域では松飾りを焼く行事を「ほんやり」というところが多いが、ここでは、記録簿を見る限り「どんど焼き」と記す人が多い。ときおり「ほんやり」の字も見えるが…。集金常会の記録には次のような文字が見える。

常会長より常会預金が現在16万円くらいとの話があり、2月より千円上げて月2千円とするよう決定

月2千円となれば年間1戸当たり1万2千円。18戸あるから21万6千円となる。おそらくそのほとんどは飲食代に消える。

 2月と3月は27日に集金常会が行われ、いずれの常会も区会報告にとどまっているが、加えてお花見のことが両月とも日程が報告されている。そして4月、14日に道作りが行われ、何度となく告知されたお花見が20日、いつも通りの集金常会が27日に行われている。

 5月は19日ゴミゼロ活動、27日に集金常会、そして6月は27日の集金常会のみだった。繰り返すがいずれの集金常会も区会報告が主なものになっており、それらも行事の告知が多い。

 7月は14日に常会対抗ソフトボール大会で慰労会を実施。20日に河川清掃があり、同日の夜集金常会を開いている。なぜいつも通り27日に集金常会を開かなかったかと言うと、27日は区の夏祭りが開催されたからで、夏祭りには常会ごと出し物が演じられた。もちろん飲食を伴う集まりである。

 8月は15日、16日と盆野球が行われ、両日ともに慰労会が実施されている。そしていつも通り27日に集金常会である。9月1日は防災訓練、27日は集金常会である。10月と11月は、いずれも27日に集金常会のみ行われている。

 12月は14日に忘年会が行われているが、午後6時に開宴しお開きは10時だったと記録されている。19日に年末の常会が開かれ、次年度の役員が決められている。

 このよように月に1回の集金常会だけ顔を合わせる時もあるが、行事が多いため、年間にすると20回以上全戸が顔を合わせる機会がある。

続く

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〝まさか〟…

2024-11-27 23:43:02 | つぶやき

 〝まさか〟の展開になっている。先ごろ「回帰」を記したが、それから1か月、この日記を11月の末に記したことにしようとしているから、半月もしないうちに、「回帰しても、昨年までのように日記が空白になることはないと思う」は嘘になってしまった。この日記は12月13日の未明に記している。前述したように空白をなくすためのこと。ところが空白が半月にもなってくると、それを埋めようとするには、よほど時間的余裕がないと難しくなってくる。さすがにこういうことを日記に記すことは初めてかもしれない。ようは今日は〇〇日だが、前月の〇〇日の日記を書いている、などということは。果たして空白をなくすことができるかどうかは、わからない。

 その理由はやはり「生業」だろう。ずるずると中途半端に未解決な事項が送られてきて、結局これまでと同じことを繰り返している。定年になって「楽になるはず」が大きな誤算だった。そもそも負債を抱えて定年なんてありえないのに、わたしにはその負債がある。それも複数。自ら招いたことだが、信頼関係の上に背負った負債だから、この負債は絶対今年度のうちに処理しなければならない。年明け後はその負債を処理しなければならないが、ずるずると中途半端に工期が延長された仕事も、もはや負債に近い。一月単位を目途に、それに負債を処理しなくてはならないし、年末までに提出しなければならない申請書もある。昨年までは負債について「来年やります」、と回答していたから負担を軽減できたが、今年はそれができないからますます窮地に立っている。このところの生業以外の仕事の「言い訳」は、「来年からやります」になっている。もう口にすることはなかったはずの言葉が、今年も口から出る始末。もう今年もあと半月である。ここからが今年のピークである。

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オートライト

2024-11-26 23:35:25 | つぶやき

 近ごろの車は厄介で仕方ない、というところは「今どきの軽自動車」で記した。軽トラックごときで使いづらいとなると、もっと良い車はオートだらけなのだろう。ライトについては考えた末にちょっと細工をして、自動点灯を制御しているが、最近まで軽トラックには手こずっていた。自動でライトがハイビームになるのが気になって仕方なかった。1年もそんなことで悩んでいたが、それを制御することは簡単なことだった。ようはライトをオードではなく、強制点灯にすれば、ロービーム状態にスイッチをしておけばハイビームにはならない。常用している車ではなかったことから、それに気がつくのに1年もかかってしまった。

 しかし、このオートライトに手こずっていた間に気がついたことがある。わたしはけっこう車間を空ける方だということはこれまでにも記した。自分が後ろから接近されるのが嫌だから、自分が嫌だと思うことは相手にもしたくない。したがって前の車との車間は、ひとより広めだと自負する。先日記した「毎朝の鬱陶しい“奴”のこのごろ」の鬱陶しいのも、詰まるところ後ろから接近されることに始まった。都会はもちろんだろうが、直線道路も気にはならないかもしれない。しかし山間地の道路を走っているとこのロービームとハイビームの切り替えが自動だと本当に厄介で仕方ない。ようは接近していると車の後ろを走っているからハイビームになることはない。ところが車間を空けていると頻繁にハイビームとロービームが切り替わるのだ。これって前を走っている車はけっこう嫌なはず。なぜハイビームになるかといえば、カーブで前の車が視界から少しでも外れると、すぐにハイビームに切り替わる。ものの1秒か2秒、前方から明かりが消えるとすぐにハイビームになるのだ。したがってカーブが連続すると頻繁に切り替わることになる。車間を空けているとそういう状態になるため、切り替わるのを避けたければ接近するしかないのである。もちろん前方から相手が消えるからハイビームになるのだから、前を走っている車はそれほど気にはならないかもしれないが、前に灯りを感知しない限りロービームにはならないのだから、瞬間ハイビームを目にしていることは確かだと思うのだが…。

 ロービームとハイビームの切り替えで対向車や後続車が気になることは、今のところそれほどないが、「通常の走行時は、ハイビームで走行するのがルール」でみんなが自動化すると、きっと「眩しい」という対向車は増えるのだろう。

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自治会費の人頭割

2024-11-25 23:44:01 | 民俗学

 今日出席した会議の中で自治会費が話題になった。自治会のあり方について、2年前に触れた。所属する自治会の中で規約改正を前提にした会則改定委員会に参加したことに触れて記したもの。規約改定の際に問題になったのは、いわゆる認可地縁団体としての規約の制約だった。認可を受ける際の規約の基本スタイルでは、自治会の会員は「家」単位ではなく「個人」だった。しかし従来家単位で加わっていて、総会といえば家の代表として一般的に戸主の男性が出席するのが通例だった。もちろん男性がいなければ女性が出席するが、昔からの流れで自治会が構成されていたのはだれしも知っていること。ところが規約の中では「個人」が対象となれば自治会費など「どうするのか」、あるいは評決はどうするのか、といった問題が発生した。結果的には従来通り家単位で運用していくこととなったが、わたし的には「個人」でよいのではないかと意見したもの。しかし、地域に長年暮らしてきた人たちには、理解してもらうところまで至らなかった。

 考えてみれば自治会の会員が「個人」だとすれば、だれでも総会には出席できるし、評決権が発生する。ただし自治会費は1世帯1口だとすれば、家族が多いと票数が多くなる。それなら自治会費も個人扱いにするべきだ、というような意見には至らなかったが、今日の話題の事例を参考にすれば、「なるほど」とうなずけたりする。ようは自治会費は世帯割と「人頭割」があるというのだ。人頭割という自治会費の例は、初めて耳にしたもの。中信のある地域の自治会費だというが、成人の数によって定額が定められているという。ようは家族が多ければたくさん納めなくてはならないということになって、今の世では逆行しているようにも見えるが、自治会員を「個人」だと捉えれば、そういう考え方もあるのだろうと思った。ただしその事例の自治会が「会員は個人」かどうかは聞いてみなかった。もろん個人であれば、「わたしは入りたくない」という人は、たとえ同じ屋根の下に暮らしていても入らなければ良いということになる。個人の自由に任されるというわけだが、きくところによると、その自治会は神社費も自治会費の中に含んで集めていて、それを拒む人は誰もいないというから、おそらく家単位の自治会であって、たまたま「人頭割」という自治会費を定めているにすぎないと思われる。いずれにしても、「人頭割」という方法があれば、個人会員のわだかまりは解消するのかもしれないが、裏を返せば自治会加入率もっと低下する流れを読んでしまうのかもしれない。

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ある「常会」の記録より㉞

2024-11-24 23:44:47 | 地域から学ぶ

ある「常会」の記録より㉝より

 なぜか平成23年の記録が見当たらない。ということで、平成24年の記録簿を紐解く。

 元旦のお日待ちでは前年の事業報告と会計報告、そして会計監査報告が行われた。会計報告の中で「常会預金の支出が収入を上回っている状況が続き、現時点で赤字決算となっている、今後考慮願うとの報告あり」と記されている。ところがこの書き込みのうち、「現時点で赤字決算となっている」が見え消しで削除されている。報告したところ異論があって消されたのか、それともほかの理由かは定かではない。

 加えて当日の書き込みの中にお日待ち後の新年会について、「折詰については23年度より常会長、副常会長の奥様出席分も含む」とある。裏を返せばそれまでは奥様の分は無かったということになる。この常会では、新年会のお手伝いとして、正副常会長の奥さんが燗づけの手伝いで参加していた。言ってみれば折詰で宴会をする程度のものだから、参加している者が自らすれば良いことを、わざわざ奥さんを手伝いに出させている、いわゆる封建社会と言っても差し支えない慣例だったわけである。この意識はとりわけ地方の地域社会では今もって残る意識でもある。

 7月22日の集金常会において、再び会計より「常会預金目減りの件、ご一考を願う」という提案が記録されているが、とくに詳細はない。この年の会計担当は、支出が多いことへの危機感を持っているようで、度々このことについて検討するようにと問いかけているが、常会内には赤字になっても懇親会を、という意識があったようだ。盆野球では8月15日、16日と2日がかりの慰労会を実施している。

 8月27日の集金常会では秋季祭典についての報告が区会よりあり、氏子青年減少により神輿の担ぎ手がいないので、友人や親戚関係へ呼びかけるよう促している。

 9月27日の集金常会では常会所東側のカーテンを婦人部で洗濯したものの、使用不可能だという報告があり、検討した結果無くても良いとして取り付けないと決定している。常会所のためにしている預金ではあるが、前述したように支出が収入を上回っているという。慰労会などの懇親会を減らす術はないいっぽう、常会所には金銭を使いたくない、という意識があるのではないか、という印象を受ける。

続く

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今年も柚子を採る

2024-11-23 23:21:53 | つぶやき

2024.11.23撮影

 

 柚子採りをした。例年より早いと言っていたが、2014年には12月1日2015年には11月22日の収穫の記事を記したから、今年も同じくらいだろう。2010年に初めて我が家でも柚が成り始めたと記している。「昨年から」としるしているから、2009年から収穫を始めたということになる。植えるきっかけになったのは、剪定をしてもらっている方から頂いたこと。2010年にも記したが、その方が地域の直売所に置いたものの、ほとんど売れ残ったと言う。柚子そのものに親近感の無い地域の人たちには、買う意欲が生まれないということだ。「どうやって消費すればいいの」とは、柚子を差し上げた方たちの第一声である。けして柚子が成らない地域ではないにもかかわらず、柚子が増えないのは、親近感の無さといえる。

 2015年の日記には柚子が成っている写真を掲載した。その様子がよくわかるように、と邪魔な葉をとって撮影したら、妻には「不自然だ」と言われたことを記した。今回も同様に木に成っている写真を引用してみたが、葉に覆われて成っている。2015年の葉をとって撮った写真ではたくさん成っていることがよくわかるが、葉に覆われていると「たくさん」というあたりがわかりづらい。我が家には2本、柚子が植えられているが、近年は生活クラブなどで売ってもらっていて、それらはすぐに売れるという。地域の直売所に出して売れなかった、という話とはずいぶん違う。知っている人たちにはその使い道がよくわかっているのだろう。

 「ゆずの使い道にはどんなものがある?活用方法やレシピをご紹介」というページがある。冒頭はジャムである。妻も最近はジャムにして保存している。なぜかというと、柚子は棘があって、自ら実を傷めてしまう。したがって表面に傷がないものとなると、収穫した柚子のうち、3割くらい。ちゃんと管理すればもっときれいな実がなるのだろうが、ほったらかしだからこんなものなのだ。実が大きくなる前に棘をカットする、という方法もあるのかもしれないが、ちょっとそんな余裕はない。傷ついた柚子は加工に限るからジャムとなる、というわけである。

 柚子みそは以前にも記しているが、おでんのタレにすると良いことは言うまでもない。やはり柚子そのものメインで食すという方法があまりないから、目立たない存在だ。とはいえその添え物としての存在は少なからずあり、利用法は多様だとは思う。

続 今年も柚子を採る

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ある「常会」の記録より㉝

2024-11-22 23:37:31 | 地域から学ぶ

ある「常会」の記録より㉜より

 平成22年の新年を迎える。いつもどおり元旦は「お日待ち」である。記録簿には「お日待祭」と記されたり、「日待祭」と記されたりする。お日待ちの後は新年会となるが、ほかの懇親会では1戸当り1人の出欠ではないのに、なぜか新年会は1人である。したがってこのころは折詰を戸数分と、お日待ちでお祓いをしてもらう神官の分を足して19個注文される。

 いっぽう花見は4月17日に飲み屋で行われ、23名が参加したと記録簿にある。このころの懇親会の参加者は、23名前後の参加者数が度々記録される。18戸あるものの、全戸参加するわけではなく欠席される方もいて、毎回1戸当り2名参加される家が半数近いくあると推定する。ようは出席する家はいつも複数名というように。もちろん常会費を当てているから、多く参加したからと言って参加費を多く支払うということはないようだ。

 7月18日には常会対抗ソフトボール大会が開催されている。午後4時から慰労会が行われ、終了は「午後7時40分頃」と記録されている。4時間近い慰労会は常会所で行われた。このころになると、懇親会の時間が4時間は当たり前となってくる。盆の15日、16日と盆野球が行われ、いずれの日も午前11時から慰労会が行われている。何かあれば「慰労会」、それも毎日である。

 12月23日に年末の常会が開かれ、翌年度の役員が決められている。このころの役員は、常会長、副常会長、会計、道路委員、林野委員、保健衛生、交通安全、公民館、納税、祭典委員、会計監査、農協総代、区会議員、通報委員、防災委員である。記録簿で報告がある際に登場するのは区会議員くらいで、ほかの役員から報告事項があることは稀である。

 続く

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ある「常会」の記録より㉜

2024-11-21 23:47:07 | 地域から学ぶ

ある「常会」の記録より㉛より

 すっかり「続き」を記すことを忘れていた〝ある「常会」の記録より〟を4年ぶりに再会する。平成20年度で終了していたが、そこからあと10年をここから再開して、記録として残すことにする。

 5冊目は「自 平成二十一年一月 常会記録簿と表紙に書かれている。始まりはもちろん1月1日、元旦である。この常会はずっと元旦に「お日待ち」行事が行われている。午後12時30分から行われたお日待ちには16名が参加。2名が欠席とあり、記録簿が残されている最初の昭和43年時の18戸と変わりはない。この年の常会長は女性である。理由は独り暮らしだからだ。どのような家庭環境であっても、常会長は回されていたということになる。

 この日区長候補の推薦が区会議員より報告され、了承を得ている。ただし、「投票は1月25日7時から20時迄」とあり、投票による信認を受けることになる。さらに記録簿には「今選挙より1戸1票に変更する」とある。これまでは1戸1票ではなかったと捉えられるが、その詳細は不明だ。この後二つある組合ごとに分かれ、組合会を行い、午後2時に神官が訪れ、神事が行われる。

 このころの集金常会は、その度に区会の報告が多く記録されている。2月27日の集金常会の席で花見の日が決められ、区内の飲食店への予約をすることが確認されている。その花見は4月18日に実施され、24名が参加したと記録にはある。複数名参加する家が必ずある。

 10月27日の集金常会の区会報告に区会構成の変更に関するものがある。次年度から副区長は区会議員からの選出ではなく別途選出するということ。また、「常会長会」を新設するとある。さらに12月23日の年末常会での区会報告によると、区会議員を選出するにあたり、45歳から68歳と年齢を制限するとともに、氏子青年については、これまで30歳までだったものを35歳までに延長するとある。

続く

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毎朝の鬱陶しい“奴”のこのごろ

2024-11-20 23:31:15 | ひとから学ぶ

 最近、毎朝鬱陶しかった“奴”が、接近してこない。高速を降りて、駐車場までの一般道、後ろにつかれると接近されて鬱陶しくて仕方なかった。したがってなるべくなら高速上で抜いてくれればそれでもう会うことも無いのだが、これがけっこう高速の出口辺りで後ろにつかれる。一般道に出てからとなると、奴を「お先にどうぞ」と除けるのも面倒なこと。そもそもそんなことに気を遣いたくないもの。ここに書いていることそのものも鬱陶しいことなのだが、「気を遣う」という意識そのものも、奴はどう思っているか知らないが、迷惑なこと。会わないのが一番なのだが、「またか」という感じに頻繁に遭遇する出来事。

 同僚が言うには、けっこう長い区間を走っている車の様。ようは大方の車を抜いてくるわけで、その数は相当のものなのだろう。たまに「何キロ出しているんだ」と抜かれた後について行ってみると、140キロくらい出している。さすがにしょっちゅう会う車だから、「ついて行く」といっても抜かれてから間をおいて、接近はしないようにしているが、等間隔で車速を見るとそのくらいの速度だ。毎日毎日長いスパンをこの速度で走っているということは、毎日毎日抜かれている車がいるということ。目立つ車ではないが、みんなが知っている目立った車であることに間違いない。「毎朝の鬱陶しい“奴”」ではわたしと20キロくらいの違いだろうか、と記したが、最近は100キロ以下で走ることが多いから、そんなレベルではない。にもかかわらず、高速出口で頻繁に後ろにつかれる。何度かスマートインター内で除けるようにレーンを逸れたことがあったから、わたしが嫌がっていると察知したかどうかはわからない。ふつうはいつも出口に向かう車が、ふつうではないラインに入っていくのだから察知するとは思うが、果たして…。

 何度か一般道に下りてから奴を避けるように高速で走ったこともある。それが奴にとってわたしを意識させるきっかけになったかどうかはわからないが、このところ後ろについても煽られることはなくなった。それでもこれまでの印象があるから、「意識する」ことに変わりはない。奴に限らないが、接近する車すべてに「勘弁しろよ」と言いたいところだ。というか、わたし的には、ほぼ3台に1台は「意識せざるをえない」車間をとってくるのが実情だ。

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古本を買う 後編

2024-11-19 23:26:01 | つぶやき

古本を買う 前編より

 今年になって古本を何冊も購入している。ふつうに検索すれば、つまるところ東京都古書籍商業協同組合のページに行きつき、そこで購入している。前編でも触れた通り、そこに表示される古書代は、ぴんからきりである。しかし、高いから良い、安いからダメとも言えない。手に取って買うわけではないから、特に新書ではないとなれば判断は難しい。したがって安いものに手を出してダメだったら、それも仕方ない。今年に入って購入したものの多くは民俗地図に関するもの。けっこう高価だったかもしれない、昨日の600円物に比べたら。その中で1冊、失敗物があった。そこそこの値段がしたのに、ページがごそっと抜け落ちている。いわゆる「落丁本」である。売る側が解って売っていたかはわからない。図書館にもどこの図書館にもあるというモノではなかったので、高価だったが購入したが、残念な結果であった。したがって古本は、ちょっとしたかけのようなものかもしれない。

 さて、今年、友人がグリーンファームで古本を買ったといって、その本を見せてもらった。今年9月27日のNHK『ドキュメント72時間』で放映されたグリーンファームである。そこで古本まで扱っているとは知らなかった。見せてもらった本は、やはりここでよく引用している『長野県上伊那誌民俗篇上』である。ページ数は1467ページという厚さ。当時いくらだったか覚えはないが、ふつうなら高価なはず。前述の東京都古書籍商業協同組合のページで検索すると、現在1冊だけ販売されていた。ただし上下2冊売りで、下巻は「方言篇」で676ページある。合わせると2000ページ超え。さすがに2冊で1万円となっている。やはり高額だ。ところが友人はこの上巻をグリーンファームで100円で売っていたといって買ったよう。数日後「また買って来た」といい、「100円は安すぎる」と店に最初に購入した際に言ったらしく、「300円だった」という。それも2冊購入して来たらしく、この値段ならわたしも欲しい、と言ったら1冊譲ってくれた。ほかにも本があるのだろうと、わたしも久しぶりにグリーンファームに足を運んでみた。数は少ないが、市町村史誌や郷土の本が何冊か売られている。さすがに何冊もあったであろう『長野県上伊那誌民俗篇上』は全て友人が買ってしまったらしく、もうなかった。何冊もいらないが、と思いながら『長野県上伊那誌民俗篇下』を購入した。やはり300円。1冊所有しているが、コピーする際に厚いとしづらいため、裁断しようともう1冊手に入れることにした。ほかにすぐ手にしたいと思った本はなかったが、さすがに市場よりは安い印象だから、またいつか行って買って来ようと思っている。

「続 古本を買う」

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古本を買う 前編

2024-11-18 23:42:23 | つぶやき

 先日「青木村の自然石道祖神③」で引用した『信州の芸能』(昭和49年 信濃毎日新聞社)、実は手元にあるのは同書のコピーである。コピーしたのは、わたしが祭りを盛んに訪れていた20代のころのこと。刊行されたのが昭和49年だったから、すでに本屋に並んでいなかったし、そもそもお金がなかったから、「買う」という思いもそれほど強くなかった(本屋に並んでいれば悩んだうえで買っていたかもしれないが)。そこで図書館で借りてきて、会社で内緒でコピーしたというわけである。200ページちょっとという本だから、コピーしても100枚ほどのものだったので、それほど目立つ行為ではなかった。ただ、最小限と言う気持ちもあって、奥付はもちろんだが、最後にあった三隅治雄の解説部分は省いた。ということで、発行年がわからず、引用する際にはいつもネットで検索していた。たまたま今回も発行年を検索していて、古本の販売ページを見たわけだが、「安い」と思ったしだい。昔と違って印刷不況や、ペーパーレス化で本が売れない時代になった。ということで古本を検索しても、けっこう安い。ということで購入することにした。なぜならば、このコピーバージョンの本、しょっちゅう書棚から出している印象がある。ようはこの日記でもよく引用している本なのだ。そもそも若いころコピーして、この本を参考にあちこち祭りに出向いた。「こんなところに、こんな祭りがある」と情報を得るための座右の本(コピー)だったのかもしれない。

 今は注文してもすぐに届く。えらい時代になったもの、と思う。土曜日に注文して、今日既に届いた。気がついたのは当時1500円だったということ。それほど厚い本ではないが、けっこう高価な本だったということになるのだろうか。昭和49年と言うとネットで検索すると、国鉄山手線の最短区間が30円だった。タクシーの初乗りが220円だっと言うから、一概には言えないが、現在の2倍から3倍くらいだろうか印象は…。とすると5000円くらい、今ではこの本、5000円では売れないだろう。もっと高い印象だ。その本が安値は600円だったので、もちろん最安値のところで注文した。本をたくさん持っていて、書庫を自宅に用意しているわたしには、お買い得感が高い。もちろんふつうの人には「高い」かもしれないが、コピーバージョンよりはずっと良い。若干のかすれた傷はあり、年代物だから変色もあるが、ほぼ新品と変わりないくらいの状態。ようは使用された雰囲気はほぼない。コピーをとらなかったのでわからなかったが、末尾の三隅治雄の解説を読んで気がついたことがいろいろある。この本、昭和47年1月から翌年の12月まで、おそらく信濃毎日新聞に特集記事として掲載されたものをまとめたものなのだろう。信濃毎日新聞にはよくあるケース。したがって記事は記者によって書かれたもの。毎回三隅治雄によって「ゆらい」として解説が加えられていたようだ。

 いずれにしても600円プラス送料。800円もしない。ネットで検索すると値段は高いもの(3000円超えもあった。きっとその値段が最安値だったら買わなかった)もあれば安いものもある。価値としてはもっと高くて良いと思うのだが、残念な時代であり、ありがたい時代でもある。20代の頃から利用していたコピーバージョン、40年もお世話になったが、これで廃棄処分である(内緒でコピーした当時を思い起こせば、それも可哀そうな印象ではあるが…)。

続く

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上伊那における火祭りの呼称

2024-11-17 23:35:59 | 民俗学

 当たり前と思って検索すると「出てこない」。当り前だろう、昨年は本日記は空白だらけだった。したがって記録として残すべきものも、まったくない。ということで今回検索したのは、長野県民俗の会第239回例会のこと。この例会は民俗地図研究会の発表機会でもあった。その内容について、何も記録はない。それはさておき、その例会でわたしが利用した地図が下図である。これは何かと言えば、図のタイトルにあるように「火祭りの呼び名」を示したもので、範囲は「上伊那」を示している。実はこの図は『長野県上伊那誌 民俗篇下巻』(昭和55年 上伊那誌編纂会)のもので、下巻は方言編であった。方言だけで680ページ近いもので、かなり力を入れられた書と言える。方言についてのこうした公的編纂物では特筆されるものなのかもしれない。方言地図が288枚作成されており、さらにその調査地点は240箇所にものぼる。長野県史民俗編の調査地点数が県外を含めると455箇所ほどあったから、この狭い範囲だけで240箇所というのは密度が濃いとも言える。方言を扱ったものだから、方言外の民俗に興味を持っているわたしたちには、そのすべてに視線が向くことはないが、ここに示した図の呼び名には、方言と言うよりは、信仰の地域性が垣間見えて興味深い。実際の前掲書に掲載された地図は、複数の呼び名があると括って両者を表示しているが、今回わたしたちが目指している民俗地図は、地図を作成した上で意図のある図に編集しているので、「括る」という表現は、よほど複数の記号を示さなくてはならないという意図がない以上やらない予定だ。

 ということで、あらためてQGISを利用して前掲書の地図を作り直してみたものが、ここに表したもの。せっかく上伊那誌の方言調査地を地物として落としたから、ほかにもいくつか地図を作成したいところである。

 さて、地図であるが、行政枠は大正9年のものを示している。行政枠外に表示されているのは塩尻市や諏訪地方、ようは上伊那郡外のデータも示している。セイノカミと呼ぶ地域が伊那市は天竜川両岸、そして辰野町までの天竜川右岸に多くあるとともに、諏訪や大鹿村にも点在する。駒ヶ根から伊南ではホンヤリが圧倒しているのがわかる。

 

 

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鞍掛の道祖神

2024-11-16 23:05:22 | 地域から学ぶ

辰野町伊那富北大出鞍掛の道祖神

 

 辰野町北大出鞍掛の道祖神は、これまでにも触れている。先日北大出にある西天竜の隧道に潜ったのだが、現場はこの道祖神から近かったので、ついでにこの道祖神を撮ろうと立ち寄った。三叉路に祀られているのは廿三夜と青面金剛、そしてこの道祖神である。道祖神には年銘はなく、背面に「鞍掛中」「帯代七両」とある。また、青面金剛には、「宝永二乙酉□」「三月二十六日」とある。宝永2年は1705年にあたる。「廿三夜」のほかに馬頭観音も1基並んでいる。馬頭観音に「安政五午天」とあるが、ほかは年号は刻まれていない。なお、北大出の中で1705年銘は最も古い。

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