「辰野町川島木曽沢の道祖神」より
わたしの印象では、辰野町には自然石道祖神が多くあるというものであったが、実は『長野県上伊那誌』民俗編に掲載された道祖神一覧において、辰野町で自然石道祖神が記載されている例は少ない。
①小野 13基 うち飯沼山口の文字碑の備考欄に「左に奇石あり」
②川島 22基 うち「奇石」として前述した木曽沢の陽石
③伊那富 49基 うち唐木沢石祠の備考欄に「後に奇石らしき石あり」
④ 堀上竹原石祠銘文欄に「傍に奇石あり」
⑤ 堀上荒井双体像備考欄に「傍に小奇石」
⑥ 北大出石祠銘文欄に「まわりに陰陽石があった由」
⑦ 北大出双体像銘文欄に「右隅の石は奇石か」
以上7例である。総数84基のうち7例であるから、10パーセントに満たないわけだが、その中でも単独で一覧に掲載されているものは、木曽沢のもの1例のみで、あとは周囲に置かれていていってみれば主役ではないわけである。
そもそも前掲書はもちろんのこと、伊那谷の道祖神を世に出されたといって間違いはない竹入弘元氏の『伊那谷の石仏』(昭和51年 伊那毎日新聞社)において「奇石」はあまり扱われておらず、双体像などの補足的な位置づけで陰陽石が紹介されているにすぎず、「奇石」が登場するのは根羽村横畑の道祖神を紹介している箇所のみと思われる。前掲書は『伊那谷の石仏』より4年後に刊行されており、この間に竹入氏は「奇石」への意識が少し高まったのではないかと考える。
辰野町上辰野堀上竹原 自然石道祖神
さて、7例の中で④の上辰野堀上竹原のものは、以前に「辰野町堀上竹原の道祖神」で取り上げた。もう一度自然石のみここで確認してみる。横に線が上部と下部に見える。これは木曽沢のものと同様に、石を構成している主たる鉱物に別の鉱物が貫入しているために現れている。石そのものが何の石かはっきりしないが、変成作用を受けた岩石と言える。辰野のこのあたりは粘板岩地帯で、その中にチャートが貫入するように分布している。おそらくチャートではないかと思う。