Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

北信の石仏・前編

2015-06-06 23:21:48 | つぶやき

観音山百体観音

 

市後沢西国三十三観音

 

 先ごろの長野県民俗の会195回例会では旧大岡村の石造物を訪れた。『長野県中・南部の石造物』が刊行されたことによって、石造物をテーマに、という意図が例会企画にある。『長野県中・南部の石造物』刊行の経緯は以前触れたわけだが、長野県民俗の会が編者となって進めた石造物の本は、松本市の郷土出版社より『信州の石仏』と題し北信編が2000年に発行されている。本来は続編として3冊発行されるはずだったのだが、北信編の売れ行きがよくなかったことと、そもそもこうした高額な本を発行しても売れなくなっていた時代性もあってそれは成らなかった。石造物、いわゆる石仏本というと、そもそも美しい石仏を捉える写真中心のものがほとんどだ。もちろん調査報告書スタイルのものもたくさん発行されているが、販売目的ではない。そういう意味で、真っ先に配本された北信編は刊行されるべき内容だったのかということになる。出版社が企画したのだから素人とは違う。しかしながらこれほどの本を作り上げて果たして、という思いは素人でも浮かんでいた。それほどマイナーなものという印象があるからだ。

 大岡村の石造物を訪ねて思ったこと、というよりは北信の石仏を昔から見ている者にとって、この地域独特なものがある。例えば今回の例会で訪れた大岡北部にある観音山の百体観音である。西国・坂東・秩父の観音霊場を移し霊場として模したものであるが、山の中に点々と配置され、まさに霊場巡りをするように散策することになる。大規模な移し霊場であるが、石仏に銘はないものの、入口の常夜塔に天保13年(1842)の銘があることからそのころに建立されたものだろうと言われている。この百体観音のひとつの写真をとりあげたが、ほぼこういう表情の石仏である。けして彫りが稚拙というわけではないが、わたしが注目するのは表情である。仏様だから人間的でなくて良いのはあたり前だが、石仏を見ていて思うのは、その表情の温和さに癒されるからだ。そういう意味ではこの秩父二十八番に心惹かれるものはない。なぜなら無表情だからだ。こうした石仏が一箇所に百体あっても、次へ次へと足を進めるまで惹かれないのだ。

 いっぽう旧大岡村市後沢にある西国三十三観音は、一箇所にまとめられて安置されている。彫りは観音山のものより明らかに稚拙で、素人が彫ったのではと思うほどである。しかしながら表情には温和さが浮かび、惹かれるものがある。木造観音と違って石仏の良さはここにあるといってもよい。実は長野市周辺の石仏の表情には前者の例が多い。けして石仏が少ないわけではないのだが、わたしが長野市周辺にあまり足を運ばなかった理由でもある。

続く


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