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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

大岡へ・前編

2015-05-30 23:04:05 | 民俗学

 長野県民俗の会第195回例会は、本日長野市大岡を会場に開かれた。記憶では10年ほど前にも同じ大岡を会場に例会が行われている。本日記を始める前のことかと思っていたが、検索してみると既に日記を書き始めた以降のこと。平成18年6月10日のことだった。当時花尾の「隠し道祖神」を訪れた際、入口にクリンソウが咲きほころんでいたことが強く印象に残っていた。したがって当時の方がもう少し季節的に早かったのでは、と思いながら本日見学していたわけであるが、以前同様に「隠し道祖神」の入口に既に季節を終え、かろうじて残るクリンソウの花をいくつか確認することができた。ということで明らかに以前の方が季節が早かったと思ったわけであるが、6月10日ということで、10日ほど今回より遅い開催だったわけである。ようはここから解ることは、今年の季節のズレである。クリンソウといえば喬木村の九十九谷のクリンソウが知られているが、ここでも例年より10日ほど花期が早かったという。「隠し道祖神」というようによそ者には解らない場所に安置されているわけだが、今回は雑草の伸びが早く、以前訪れた際に比べると、いっそうその場所を見つけるのに時間を要した。何より野の様子が、今年は例年とだいぶズレている、そんな印象を強く受けるわけである。

 さて、かつての例会(156回例会)のことは「隠し道祖神」と「セイドーボー行事」で触れた。『長野県中・南部の石造物』の刊行が成ったこともあり、今年は石造物をテーマに活動が展開されている。今回も長野市大岡の石造物を訪ねるというのが主旨。長野市博物館では平成12年から市内にある身近な文化財として石造物について市民とともに調査を進めたという。平成17年から大岡村が長野市に合併されたのを機に悉皆調査を始めたという。その成果として『大岡の石仏』という調査報告書が平成23年に発行されている。今回の例会参加者にはその本を例会資料として配布された。例会の特典ともいえるもので、参加しないと受けられない恩恵でもある。もちろん終活に入っている者にとっては、身辺整理をしていると特典とは言い難いかもしれないが、本を片手に再び訪れるには十分な参考書といえる。

 大岡と麻績村との境にそびえる聖山は、この一帯の水源の山である。参加者から面白い話があった。ようは聖山の北側は大岡、南側は麻績になる。どちらも聖山を源として水田地帯が展開されているわけであるが、どちらの地域からも聖山は水源の山として象徴的な存在となる。その山を見る際に、どちらが「表」であるかということである。もちろん大岡から見れば北から見る聖山が「表」なのだろうし、麻績から見れば南から見る聖が「表」だと捉えるだろう。とりわけ源である山だけに、祈願の対象にもなった。ひとつの山を見るにも、円環状に人々がそれを捉えるわけで、それぞれに象徴たる山を捉える。このところ「描かれた図から見えるもの」を連載しているが、それぞれの地域が、そして人々が、何を象徴として空間を描くかという視点で捉えている。「表」という捉え方も、当然自分が暮らしている、見ている側をそう捉えるのがふつうのはず。富士山を対象に静岡か山梨か、という論争と同じことなのである。

 聖山の北側に高峯寺という寺がある。今は無住になってしまったというが、高峯寺には水口祀りの際の御札を配布する習俗があったという。大岡歴史民俗資料館にはタナンベと言われる田御幣の再現されたものが展示されている。八十八夜に水が回りますようにと、集落の代表が高峯寺に参り、タナンベをいただいてきて各戸に配ったというが、今はタナンベが立てられることはない。

 

タナンベ

 


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