Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

コト八日を探る⑥

2011-02-20 23:36:09 | 民俗学
コト八日を探る⑤より

 前回触れたヌカエブシ、入山辺厩所で聞いていて気がついたのは、いぶす材料を工面する話だ。いぶす物はヌカ、コショウ、ネギ、髪の毛といったものになる。コショウ、ネギといったものは燃えつき難いものだから燃えなくてもいぶせるだけの火付けの材料が必要になる。もちろん紙を使えば良いのだろうが、かつては紙を燃やすという発想はなかっただろう。ということでヌカとか藁といった物が使われたのだろうが、あくまでも「いぶす」ためにある程度時間を要さなくてはならない。そういう意味ではヌカが最も適していたといえるのだろう。このヌカを手に入れるのはなかなか難しい時代である。もちろん藁でさえどこの家にでもあるという物ではなくなった。今回その様子をうかがってみて、実際ヌカを利用している姿は見られなかった。ある人は「キジロに溜まったゴミ(焚き物を置いてある場所の下に溜まるゴミ)をいぶした」と言い、とくにコショウとかネギというものを意識していない様子だった。この人に言わせると、長い時間いぶすことができる材料が良い、ということ。厄神が家に入り込まないために、より長くいぶすというわけなのだ。ヌカ、コショウ、ネギといった材料にこだわっていると用意できずに「やらなかった」ということになるが、この方のように主旨に沿っていぶすのに適当な材料を探し出した例もある。また、厄神のことを「オゾイ神様」と言い、だから「オゾイ物を燃やす」とも言った。

 さて、ヌカエブシに比較して各地でその姿を確認できる餅塗りの行事。教育委員会の事前の実施情報を上回り、松本市内ではかなりの地域で道祖神に餅を塗る習俗が今も行われているようだ。餅を塗る意味については「道祖神につけることで一年の「難を逃れる」信仰であり、また、ちぎって沢山にして顔中につけるのは豊作祈願であった」と原毅彦氏は報告している(『松本市史民俗編調査報告書第2集-入山辺中入を中心として-』)。コトヨウカに道祖神へ餅を塗りつけたという記録は、上伊那郡にもある。竹入弘元氏は「めっつりはなっつり」と言って塗る習俗を紹介している。この言葉の意味には二通りあるようで、「目の吊り上った、鼻のひきつった、器量の悪い人」を世話をしてほしいと唱える意で、「道祖神はあまのじゃくの神なので逆を言うと器量の良い人を世話をしてくれる」(竹入弘元著『伊那谷の石仏』)がひとつ。もうひとつは、「めっつき、はなっつき、いい嫁様あ世話してくれ」といって「目つき、鼻つきの良い器量」を願うもの(『上伊那郡誌民俗篇』民間信仰の項)。ただ上伊那においてはこの餅を塗るという行為は既に廃絶しているのではないか、と予測する。そのような道祖神を拝見したことがないからだ。

 ところで今年、厩所で朝5時ごろ道祖神にお参りした方は、自分がもっとも早いと思っていたら、既に餅が塗られていたという。誰にも見られないように行かなくてはならないというようなことは言わないが、餅を塗る順番を待っている姿も見たことはない。そもそも多くの地域で現存している行事なれど、実質行なっている家はそれほど多くはないとも言える。地区内を聞きまわっていたらこんな話が聞けた。「明日朝は寒いという天気予報を聞いていて、夜のうちにお参りした」というのだ。なるほどどんなに早く行っても、先客がいるはずだ。前日のうちに塗りつけてしまっているのだから。その方はこんなことも口にした。「前日なら誰にも見られないだろうと思った」と。本来はコトヨウカの朝に餅を搗いたと言うから前日にお参りというわけにはいかなかっただろうが、餅を搗く家は少なく、今ではオハギを利用している例が多い。さらには餅は「搗く」から「買う」に変化しているのも事実で、この方は「今年は黄な粉餅を買ってきた」ようだ。

続く

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