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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

松迎え

2020-12-28 23:02:06 | 民俗学

 今年もわが家では簡単な松飾りになる予定だが、近所では昔ながらの松飾りをする家が少なくない。我が家のあたりでの松飾りの様子を記したものが、『長野県上伊那誌民俗篇』(昭和55年 上伊那誌刊行会)にある。そこにはこう記されている。

 三十一日に家内外の飾付けをする。門松は家の中央正面に新しい杭二本、適当な間隔をおいて打込み、松と竹とを立てて注連縄を張りオヤをつける。戸間口にも注連縄をはり、土蔵・物置等別棟の建物・神棚・仏壇にも、小さな松の枝にオヤスとお注連をつけたものを飾る。

 また松迎えについては

 二十八日前後の吉日を選んで松迎えする。山へ行ってなるべく五段か七段の松を伐ってくる。

とある。しばらく前に「三段松」を記したが、ここには五段とか七段という松を使ったと記されている。いまどきこのような松をみなが採ろうとしたら大変なことだ。そもそも松がない、というわけではないが、管理がされなくなった山から、若い松は姿を消して、大きな松ばかりになってしまっている。松飾りに適した松などなかなかないのである。したがって、ホームセンターで売られている松が求められるようになるのだろうが、いったいぜんたいどこからやってきた松なのか・・・。

 ことし氏子になっている神社の元旦祭の当番がわが隣組にやってきた。ここに住み始めて20年余になるが、意外にその神社の元旦祭にかかわることが多い。ところがコロナ禍ということもあって、今回は準備はするものの、元旦祭当日は、隣組長だけ出席で、ほかの者は用がないという。ようは直らいがないからだ。直らいがあるとお燗づけなど準備や片づけが必要となる。それがないというのはありがたい。コロナ禍でふだんの年より楽をしている人たちも多いことだろう。

 さて、その神社の元旦祭を迎えるにあたっての松飾りなどの準備が当番の仕事である。昨日は松迎えの予定だったが、今回は事前に自治会の役員さんが伐りに行ってくれたようで、松を採ってくるという作業はなく、松とサカキを役員さんの家から神社に運ぶだけの簡単な作業だった。以前御柱祭のサカキ採りも地区内に居住する方のよその村にある山に行ったが、今回の松も同じ村の別の山から採ってきたものという。地区内に居住する方の知り合いの山からお願いしたという。この地区には区有林というものがあるのに、あえてよその村の山から調達する。見れば、確かにまっすぐの上品な松だ。区有林にはなかなか見当たらないような松なのかもしれないが、探せばないことはない程度のもの。しかし、採り易い、とか依頼しやすい、あるいは去年もそうだったから、というような流れで採取することが多い。気持ちはわかるが、そもそもよそから持ち込む松に、神様は喜ぶかどうか。松は歳神様の依り代となる。そして歳神様は山から来るともいわれる。ようはよその山から迎える、という考えはもともとなかっただろう。したがってこうした民俗の記述を見ても具体的に「どこの山から」というデータは少ない。それは当たり前に地元の山、あるいは自分の山から迎える、のが自然だからだ。地域によっては必ずしも松を使わない地域もあるという。松がなければ松にこだわる必要がないのも、依り代という現実性から捉えれば当たり前かもしれない。


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