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「せいの神」という違和感から その9

2023-05-24 23:59:04 | 民俗学

「せいの神」という違和感から その8より

 その1において『長野県史』のデータから始まった「せいの神」という違和感の解明、その8では同じ『長野県史』のデータに回帰したのに、その1との不整合のようなものを抱いた。実はその1の『長野県史』の出所は、『長野県史』民俗編第二巻(二)南信地方 仕事と行事の「火祭り」の項だった。この「火祭り」の項は、編さん過程においてできあがった項であって、もともと調査項目に存在していたものではなかったと、あらためてその8の地図を作成するためにデータを探していて気がついた。

 長野県民俗地図研究会なるものが立ち上げられ、県史の調査データを県立歴史館で14000枚もの写真に収める作業をしていただいた安室知氏の努力もさることながら、その14000枚もの写真の中から目的の調査データを探すのは容易ではなく、写真のファイル名に見出しを付ける作業をこの数か月行ってきた。今回の火祭りにおける呼称のデータを、記載されている年中行事の小正月あたりから探そうと見出しを見当に探したのだが、見つからない。そのはずである。県史の調査手引きを紐解いても、年中行事の項に「火祭り」はないのである。それに代わる調査項目があったはず、と探すと、同じ「年中行事」の部の「松飾り」に関わる質問の中に存在した。その質問は「松を飾るのはいつですか。またいつまで飾っておきますか。その処置はどうしますか。」というもの。ようは最後にある松飾処置の仕方を聞いている中から「火祭り」に発展しているようなのだ。したがって回答を紐解くと、必ずしも「何と呼んでいましたか」と聞いているわけではないので、その視点でデータを起こしたとしても、精度は若干落ちるとも言えるわけである。

 実は「信仰」の部において「道祖神」を扱った箇所があり、その中であえて「道祖神」と「塞の神」を意識して質問をされている。ようは「ドウロクジ(道祖神)、サイノカミはそれぞれどんな神様といわれていますか」と。そして注として「両方まつるムラではその違いに注意する」と記されている。その祭りを聞いている項では「どちらの神についてのことかはっきりさせる」とある。これに応じてのものなのだろう、県史の調査データには質問に対しての回答を「道祖神」と「塞の神」を縦に二つ並べて、分別して回答を一覧化しているのである。今回ただ呼び名だけをもって図化したわけであるが、この縦列に併記された一覧にある「道祖神」「塞の神」の回答と比較しながら整理してみると、さらに道祖神なのか、塞の神なのか、その上で火祭りは何と呼ばれているのか、と展開できそうなのである。ちょっとこれを整理するのは容易ではないので、今回行わないが、その8の文末で記した「調査票に記載されたコメントも含めて解析が可能となる」は、そういう意味である。ちなみに今回焦点をあてている伊那市エリアの同回答をみてみると、「小沢」において「呼び名」の回答欄には「ドウロクジン」と「セーノカミ」両者記載があり、祀られているものはいずれも「自然石」だとしている。また今回の発端となった「羽広」には、道祖神の「呼び名」の回答には「道祖神」も「塞の神」にも記載はなく、神体について「道祖神」に「ゴツゴツした石」とあり、「塞の神」には「ドウロクジンと同じようにあつかっている」と記されている。そのほかの調査地点にも回答欄にいくらかの記載はされているが、とりわけ神様の「呼び名」についての回答欄は空白が多い。こうしてみてくると、そもそも県史の調査精度ともかかわってくる。これほど空白が多いと(現物をここにあげないが・・・)再び違和感が生じてしまう。もっといえば質問の仕方とも絡んでくるため、もはやそこまで詮索するのは無理というもの、となる。

 以上県史のデータからの分析はここまでとする。

続く


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